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上西勝也氏HP「史跡と標石で辿る 日本の測量史」あとがきから ( 長崎県 )

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上西勝也氏HP「史跡と標石で辿る 日本の測量史」あとがきから

以下は、日本の測量史研究をされている京都市在住、上西勝也氏HPのあとがきから。
私たちが協力して2012年11月末、長崎魚見岳台場跡(国指定史跡)上の大久保山登山道途中で見かける、内務省地理寮(刻面は「地理局」)が1876年(明治9)に設置した測点を発掘したことにふれられている。
発掘状況の詳しくと、上西氏HPの報告は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/3503
https://misakimichi.com/archives/3510
先生が今どうされているか、現況をHPで開いてみたら、この長崎の関したあとがきに気付いた。

上西勝也氏 HP「史跡と標石で辿る 日本の測量史」(旧題:三角点の探訪)

このホームページでは地図をつくるための測量の歴史とともに、わたしが探訪した測量の標石や遺跡をはじめ測量や地図に関する話題を紹介します。

あとがき
2013年1月
前年にひきつづき測量関係の切手収集に力を入れました。エクアドルの切手でフランス遠征隊による南米赤道直下の子午線長測定200周年と250周年を記念した1936年と1986年発行の全14種をバラバラで全部入手できました。
夏にはアイルランドへ旅行しましたが、かつて英国が統治した国であり几号水準点も見つけることができました。几号だけでなく文字数字が付刻されているものが多いようでした。
長崎で内務省地理寮が1876年(明治9)に設置した測点を発掘しました。この測点は地上の表示標存在だけが以前から知られていましたが今回は地中の本体を見つけました。2006年(平成18)2月に初探訪についで昨年4月に掘削予備調査、11月に本体測点発掘となりました。現地の皆さまに大変ご尽力をいただきました。

2014年1月
昨年は標石の探索はほとんどやっていませんが測量史跡のほうは国内あちこちを探訪してきました。柏崎市にある北方探検家、松田伝十郎の顕彰碑、佐渡市宿根木にある幕末の地理学者、柴田収蔵の生家、北海道別海町西別川河口の伊能忠敬が到達した最端地点、稚内市声問にある松浦武四郎の宿営地跡などを訪ねました。そのほか文献によって江戸時代以前の測量について調べこのHPを充実しました。

出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった ( 長崎県 )

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出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった

朝日新聞長崎地域版2014年7月25日の記事は、次のとおり。

「旧出島橋」橋台の一部出土 8月2日に見学会
国指定史跡「出島和蘭(オランダ)商館跡」の復元を進めている長崎市は24日、出島表門と対岸を結ぶ旧出島橋の取り付け部分「橋台(きょうだい)」の一部が出土したと発表した。
橋台は、橋を架けるため両岸から突き出た埋め立て部分。それぞれ先が三角形になり、その頂点のあたりに橋が架けられる。江戸時代の出島には、30メートル弱隔たった両岸から橋台が突き出し、長さ約4・5メートルの橋がかかっていたという。
出土したのは、出島の対岸側の橋台と護岸の計3カ所の石垣で、長さは2〜8メートル程度。対岸側にあった建物の撤去に伴い、6月から発掘調査を進め、7月上旬に出土した。橋台の幅が約14メートルだったこともわかったという。…

新聞記事では良くわからないが、この項は、本ブログ次を参照。出島の表門橋「旧出島橋」は、アーチ式石橋だった。「プロセイン・ドイツが観た幕末日本」169頁  ⅤⅠ−47 長崎、出島橋、1861年、ベルグによるスケッチに基づくフォトリトグラフも残されている。
https://misakimichi.com/archives/3573

出島復元「2050年目標」は、長崎市に整備審議会が提言をしている(朝日新聞2014年3月5日)。「出島表門橋架橋プロジェクト」は、長崎市HPを参照。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/792000/792600/p025477.html
「3 架橋の課題」を次のとおり記している。現在のところプロポーザルで提案された表門橋デザインを見ると、アーチ式石橋の復元は困難なようであるが、「ミニ出島」模型くらいは、正しい石橋で展示してもらいたい。

1.明治以降の中島川変流工事により、出島は扇形の内側が約15m削り取られ、川幅が当時と異なるため、石橋の復元ではなく出島へのルートを復元するための架橋事業となります。
2.河川の管理、防災面の配慮が必要です。
3.出島側は国指定史跡なので、史跡を削り橋台の設置することができません。
4.架橋は、旧出島橋の歴史的考証を行った上で事業を進め、架橋する橋が“復元”と混同されないようなデザインにする必要があります。

長崎・アトリエ ウララブログに、明治初期にオーストリア人写真家スチルフリードによって撮影された出島表門橋の貴重な古写真があったので、次を参照。出典は不明。
(長崎新聞から引用) 当初木製だった表門橋は、1678年にアーチ型石橋(全長4,5m)へ架け替えられたそうである。 http://blog.livedoor.jp/aqua8288/archives/2013766.html

田ノ頭のシダレザクラ  東彼杵郡波佐見町田ノ頭郷 ( 長崎県 )

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田ノ頭のシダレザクラ  東彼杵郡波佐見町田ノ頭郷

東彼杵郡波佐見町の次はシダレザクラの名木。県道4号線が波佐見温泉入口を過ぎ、川棚川が大きくカーブしているところの橋手前に道路案内板があった。波佐見町田ノ頭郷でシダレザクラの名木はすぐ右手の細い道を上がった突き当たりにある。
3月下旬の開花の時期を迎え、観覧場や丸太のベンチが用意されていた。まだほんの小さな蕾である。
Otoji.K氏HP「長崎の名木」リストの中の説明は次のとおり。咲いた写真は同HPを参照。

波佐見町田ノ頭郷のシダレザクラ

県道4号線沿いにシダレザクラの案内板があり、分りやすい。民家の山の斜面の畑にある。樹齢およそ百数十年という。道路に向って枝垂れ、10mほどにも広がっている。数ヶ所、支柱で支えられてある。
満開の時期はすこし過ぎていたが圧巻。こんな大きなシダレザクラは初めて見た。シダレザクラはエドヒガン系で、萼筒がくびれるのが特徴。

なお、波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987刊19頁による説明は次のとおり。

7.田ノ頭の枝垂桜(田ノ頭郷)

毎年4月、淡いピンクの花がいっぱいに拡がるこの枝垂桜。丘の中腹にあるので、遠くからも人の目をひき、うららかな春を知らせます。近寄って見ると、樹齢は確かめられないが、百数十年を経た老木です。近くに子どもの若木が2本あって一層ひき立てます。波佐見の名木の一つでしょう。

(追 記 2015年3月29日)

開花写真は、私の先輩”gonbeyaの部屋 – エヌログ 「桜めぐり」”の記事から。2015年3月25日撮影。