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深堀埋立地女島大神祠のアコウ  長崎市深堀町5丁目

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深堀埋立地女島大神祠のアコウ  長崎市深堀町5丁目

深堀のすぐ手前の海に、かつて「女島」という小さな島があった。昭和43年(1968)深堀〜香焼間の海面埋立てが完成し、三菱重工などの工場が進出した。この埋立地の中にまだ「女島」の島影が残っている。

場所は、深堀バス終点前の角に深堀公番がある。埋立地大通りを香焼側に50mほど行くと右に入る道があり、奥に赤い鳥居があってここが境内である。
アコウの大きな枝分かれした木の根元に「女島大神」が祀られ、中にはぐるぐる蛇がまいたような不思議な石の神体があった。女島は小さな岩礁だったので昔からあったのは、この祠だけと聞いた。他の祠や浜恵比須は後でどこからか持ってきているらしい。

アコウの木は、祠の後側とすぐ上の一番高かった岩礁に株を広げ、この広大な埋立地の中に隠れた一角をつくっている。
写真の後の2枚は、2007年5月撮影。地図は、明治34年測図国土地理院旧版地図である。

野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (2)

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野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (2)

平成20年2月4日、松原から野岳湖へ行き湖を一周。深沢儀太夫が築いた人工湖。ここから黒木へ行くため萱瀬ダムへの林道近道を通る。40年ほど前、野岳に泊まり、この山道を歩いたことがある。だいたいそのとおり車道となって整備されている。
杉を祀った水源や、ロッククライミングの岩場がある。多良の連峰と萱瀬ダムが高い位置から眺められ、景観がよい。萱瀬ダムの北川内橋手前に出る。

野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (1)

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野岳湖一周と萱瀬ダムへの道の風景 (1)

平成20年2月4日、松原から野岳湖へ行き湖を一周。深沢儀太夫が築いた人工湖。ここから黒木へ行くため萱瀬ダムへの林道近道を通る。40年ほど前、野岳に泊まり、この山道を歩いたことがある。だいたいそのとおり車道となって整備されている。
杉を祀った水源や、ロッククライミングの岩場がある。多良の連峰と萱瀬ダムが高い位置から眺められ、景観がよい。萱瀬ダムの北川内橋手前に出る。

多良山系黒木の大ケヤキ  大村市黒木町

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多良山系黒木の大ケヤキ  大村市黒木町

多良山系黒木の奥深い山中の巨樹探訪。萱瀬の大名スギ、黒木ケ原岳尾根の大モミノキに続き、最後の巨樹となる岩屋越の登山道途中にある大ケヤキを訪ねた。前日は山に雪が降り、多良山系の尾根は雪が残っていた。
大村・鹿島を結ぶ国道444号線。黒木小学校のところで黒木渓谷へ行く道と分かれる。山へ向かって国道はぐいぐい登り、平谷黒木トンネルの入口に来る。写真の左上鞍部が岩屋越。
トンネル右手の踏み跡をたどると、すぐ岩屋越の本来の登山道に出る。5分すると「大ケヤキ」への道である表示板がある。

登山道はしっかりしている。レスキューP「502」を見ながら小沢の3つ目を渡り、切り通しまで来ると大ケヤキは近い。登山道のすぐ左手下に大木が見える。トンネルから40分ほど。ここまではさほど急な道でない。ここから岩屋越まではさらに40分かかる。
大ケヤキは、根元ですぐ2本に分かれ、幹周りは4.6m。樹皮が鱗状に剥がれた文様は見事。谷の上流である斜面地。よほど成長に適していたのか、対面に幹周り4mの大ケヤキがあと1本ある。

Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。位置図は同HPに詳しくある。
この木の紹介は、同氏以外ない。長崎森林管理署HPの2007年12月14日トピックスでは、大モミの道に表示板など取り付けた記事がある。文中に「黒木地区の国有林には、萱瀬スギを始めケヤキやモミの巨木が点在している」と記しているだけのようだ。
本では、長崎県生物学会編「多良岳の生物」2001年刊57〜59頁に、宮崎正隆氏稿「多良山系の巨樹・巨木」があるが、この大ケヤキは紹介されていない。

周辺を探した。同氏はケヤキの2本しかふれられていないが、すぐ近くに大モミも2本あった。何の石垣跡か長い。そこから生えた1本は、幹周り4m以上の大木。あと1本はやや小さい。
岩屋越まで行く。この道は昔、2回ほど登った記憶がある。最後の登りはやはりきつい。郡岳ー経ヶ岳の尾根縦走路で、岩屋越はこの中間くらいの地点。雪道の越には「大村鹿島県境」の標石と、「平谷温泉へ2km 岩屋へ2.5km」の道標があった。

大ケヤキ

以前、五島の巨木の写真を送って頂いた針本さんから、大村市黒木の大ケヤキのある場所を教えてもらった。早速、見に行く。黒木トンネル近くに駐車し、トンネル入口の真上に向かう左手の山道を登る。5分ほど登ると大ケヤキの表示板がある。山道は、岩屋口ー岩屋越コースになっている。
この山はスギ、ヒノキが植林された国有林。高木にはシイ、アカガシ、ホソバタブ、ヤブニッケイ、低木にはヤブツバキ、アオキ、ネズミモチ、ヒサカキなどが多い。2〜3ヶ所、水のない渓流を渡る。どこが道なのか判りずらい箇所があるが、テープや印の石組みを頼りに進む。「レスキューポイント番号502 」の表示を過ぎる。

登り始めて40分ほどで、針本さんから教えてもらった切り通しに着く。めざす大ケヤキは、ここから100mほど。足も軽くなる! しばらくすると、左斜面下にそれらしき巨木が見えた。斜面を下り、大ケヤキと対面。
そこから、山道を少し登ると レスキューポイント番号503 」の表示がある。初めて訪れるには、判りずらい。針本さんの地図のおかげで見ることができました。針本さんに感謝!

大ケヤキの幹は地上2mの所から二つに分かれているが、二本が合着したようにも見える。幹回り4.6m。樹高は25m前後。森の中で存在感がある。そこから少し下ると渓流になっていて、水が流れている。手ですくって渇きを癒す。
一息ついて見ると、対岸の斜面に大ケヤキが1本ある。幹回り4m。樹高はさきほどのケヤキとほぼ同じで、両方のケヤキの枝が空で触れ合わんばかりに、向かい合っていた。

郡岳(こうりだけ)山麓の自然休養林の今  大村市重井田町

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郡岳(こうりだけ)山麓の自然休養林の今  大村市重井田町

Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)に、次のとおり郡岳(こうりだけ)山麓の自然休養林を記していた。野岳湖の大村湾CCの奥一帯。この道は萱瀬ダムへ出る。自然休養林が今、どうなっているか、立ち寄ってみた。
現況は写真のとおり。遊歩道は、一部歩けるが、後は荒れている。伐採したところもあり、ベンチ・トイレ・樹木の名札などは撤去しているようだ。時間がなかったから、もちろん中までは見ていない。かろうじて、郡岳南登山口にエンコウカエデとハイノキの名札を見つけた。

自然休養林

自然休養林とは、国民の休養・レクレーションのため、施設などを整備した国有林を言う。郡岳(こうりだけ)を中心とした山麓は、スギ・ヒノキの人工林と、クロマツの混交林、広葉樹の天然林が広がる。ゴルフ場に接した場所に遊歩道がある。
気持ちのよい遊歩道を歩くと、シイ、アカガシ、ヤマビワ、リョウブ、クマノミズキ、etc、の中、トキワガキの高木もある。ツクバネガシの他、オオツクバネガシが多く見られた。
残念ながら施設の老朽化のため、この休養林は平成18年4月に廃止が決定された。国の財政緊縮策がこんな所にも反映している。長崎では西彼杵半島の一部だけが自然休養林となる。

松原八幡神社の社叢  大村市松原本町

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松原八幡神社の社叢  大村市松原本町

大村市松原は、長崎街道の有名な宿(茶屋)跡。国道34号線の松原入口交差点から旧道へ入るか、松原1丁目交差点から左折し、JR大村線ガード上の道を渡る。八幡神社の社叢は、国道左にすぐ見えている。
社殿左のクスノキは、幹周り7mの巨木。根元の大きさに驚く。境内にはエノキ、ケヤキの大木のほか、松原国民学校同窓生が寄贈した見事なサカキ、ホルトノキなどがある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

松原本町八満宮樹叢

クスノキの巨木や、エノキ、ケヤキの大木があり、神社社叢として大村市の天然記念物にしてされている。
境内には寄贈されたものであるが、京都の 北山杉を見ることができる。

網場天満神社の社叢  長崎市網場町

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網場天満神社の社叢  長崎市網場町

国道34号線の網場道バス停から日見の町と網場漁港へ方へ行き、そのはずれの海岸通りに神社はある。この県道は、茂木へ続く。
HP「長崎市の文化財」による説明は次のとおり。

網場天満神社の社叢  市指定天然記念物

指定年月日 昭和53年3月20日 所在地 長崎市網場町1番地1 天満神社境内
所有者 天満神社
旧日見村のころの氏神であった神社で、網場の海岸沿いの小高い丘の上にある。
この小高い丘全体が境内であり、社叢でもある。丘を覆う主なものは、クスノキ、スタジイ、ヤマモモ、カゴノキ、アラカシ、ツバキ、ナナメノキなどの高木と、ハクサンボク、マサキ、クスドイゲなどの低木の照葉樹である。ここには、特別に貴重といえる種類も、また、巨木というほどのものもない。
それでも、丘全体が社叢というまとまりと、沿海地の照葉樹木の社叢としても、大切に保存すべきものである。

大村市に残るアーチ石橋  大村市中里町「ひやけはし」

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大村市に残るアーチ石橋  大村市中里町「ひやけはし」

大村市中里町にはカキノキの樹形がよい大木があった。「ひやけはし」という変った名のアーチ石橋もあるとHPにあったから訪ねてみた。大村市では、この橋が唯一の石橋のようだ。
国道34号線が鈴田峠を過ぎ、JR大村線の鈴田峠トンネル出口付近で左折して踏み切りを渡り、旧国道の道を行くとすぐの川に架かっている。鉄道のすぐ左側。折りよくシーサイドライナーが通った。
橋の銘柱はコンクリート製。変った形をしていて「ひやけはし」とある。架設年は不明。このあたりの地名が「日焼」とバス停があった。HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

第 62 番 ひやけはし   大村市中里郷
年代 不明   長さ 約6.0m 幅員 約4.0m
地域在住の大久保氏から連絡を頂いた橋。旧国道に架かる橋。ここに石橋があることを、知らせてもらうまで全く知らなかった。感謝。
【ガイド】諫早市から国道34号線で鈴田峠を越える。鉄道のトンネル付近で左折して旧国道に入る。

「陸軍所轄地」などの標石が大村の三城城跡(忠霊塔)にもあった

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「陸軍所轄地」などの標石が大村の三城城跡(忠霊塔)にもあった

大村市三城町にある三城城跡(さんじょうじょうあと)は、JR大村駅先の裏手の小高い丘。大村純忠(すみただ)と、その子喜前(よしあき)にわたる2代の居城。慶長4年(1599)、喜前が玖島城を築いて移るまでの城跡である。現在、本丸跡には県下6万余の第二次世界大戦戦没者を祭る忠霊塔がある。(大村市HP)

三城城跡の大木を見に行った帰り、下りの道で道脇に立てかけられた標石を見つけた。ここは今、道路工事中で折れた石は上部のみ。「陸軍用…」とあった。付近をよく探すと、道の両脇に数本があった。ほとんどは「陸軍用地」と刻まれていた。
築城前墓碑跡の下の石には「陸軍所轄地」とあった。丁寧にも下の道路からの歩道石段には、上下左右の4本が立っていた。

大村市は、大戦中は軍都。今も自衛隊の部隊がいる。三城城跡の場所がどう利用されていたかわからないが、ここに忠霊塔が建てられているのは、軍の要衝の施設があったためではないか。
長崎市浜平1丁目の中央タクシー本社横、「浜平中央ビル」の下角にあった原爆の熱線を浴びたと思われる「陸軍所轄地」の黒い標石は、先項で紹介している。
大村へ出向き、たまたまここで見つけたこの標石も、その関連から記録しておきたい。