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さが名木100選  80 弁財天のイチョウ  西松浦郡有田町泉山1丁目

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さが名木100選  80 弁財天のイチョウ  西松浦郡有田町泉山1丁目

国道35号線有田町の桑古場交差点か泉山交差点からJR佐世保線の北を行く県道へ入る。これは有田町中心部を通る県道である。東へ向い大イチョウは、町の東部泉山の磁石場跡「白磁ヶ丘公園」へ行く途中の市道左手にあり、一目でそれと分かる高木がある。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

80 弁財天のイチョウ
・所 在 地  有田町泉山
・推定樹齢   1000年
・大 き さ  樹高 40m  幹回り 11.6m  枝張り 18m
・登録番号   38136
雄木で、樹齢は、1,000年を越すといわれているが、勢いは全く衰えていない。1828年、有田皿山が「文政の大火」に見舞われたとき、泉山の窯元・池田家(池田伝平窯)は、この銀杏に隣接し、大イチョウの枝に抱かれていたため消失をまぬがれたと伝えられている。
国天然記念物(大正15年10月20日指定)

なお、佐賀県HPの中の「国指定天然記念物の部(1)」による説明は次のとおり。

有田のイチョウ(ありたのいちょう)

国指定天然記念物/ 大正15年10月20日指定
西松浦郡有田町泉山524
植物

神社や寺院の境内地の他、最近は街路樹としても植えられるイチョウは、中国原産の落葉高木であり、生きる化石ともいわれている。
有田のイチョウは、弁財天社の境内に所在し、雄木で、根回り11メートル、目通り幹回り9メートル、樹高38メートル、枝張りは31メートルに及ぶ県内随一のイチョウ巨木で、全国的にも貴重である。推定樹齢は、1000年以上であるが、樹勢は今も旺盛である。

さが名木100選  26〜28 川古・武雄・塚崎の大楠(クスノキ)  佐賀県武雄市

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さが名木100選  26〜28 川古・武雄・塚崎の大楠(クスノキ)  佐賀県武雄市

佐賀県武雄市にとてつもない3本の大クスノキがある。全国クスノキ巨木の順位から川古は第5位、武雄は第7位、塚崎は第53位とされている。
平成20年3月20日、黒髪山の帰りに寄って写した。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

26 川古の大楠(クスノキ)
・所 在 地  武雄市若木町川古7845−1
・推定樹齢   3000年
・大 き さ  樹高 25m  幹回り 21m  枝張り 27m
・登録番号   06309  
環境省の調査では、全国第5位とされている。幹の南西部には空洞があり、その中には稲荷の石祠が祀られ、奈良時代には、名僧行基がここを訪れ、大楠の一部には2.4mの観音像を刻んだと伝えられている。
大楠周辺は川古の大楠公園となっており、連日、県内外から観光客も絶えず訪れられている。
国天然記念物(大正13年12月9日指定)

27 武雄の大楠(クスノキ)
・所 在 地  武雄市武雄町武雄5334−2
・推定樹齢   3000年
・大 き さ  樹高 30m  幹回り 20m  枝張り 33m
・登録番号   06314  
このクスノキは、武雄神社裏手の御船山山麓にあり、環境省の調査では、全国第7位とされている。
本幹には、12畳敷きの広さの空洞がある。また、武雄市で一番古い武雄神社の御神木とされており、地元の守り神として親しまれている。
市天然記念物(昭和45年7月15日指定)

28 塚崎の大楠(クスノキ)
・所 在 地  武雄市武雄町武雄5563−2
・推定樹齢   2000年
・大 き さ  樹高 18m  幹回り 13.6m  枝張り 18m
・登録番号   0627284  
武雄市文化会館横の高台に位置しており、昭和38年の落雷によって、本幹の9m以上が失われ、中は空洞になっている。
推定樹齢2000年といわれており、県でも重要な文化財である。
市天然記念物(昭和60年4月22日指定)

佐賀県有田の黒髪山・青螺山   平成20年3月

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佐賀県有田の黒髪山・青螺山   平成20年3月

平成20年3月20日(木 春分の日)くもり。佐賀県有田の黒髪山(標高516m)・青螺山(標高618m)へ行く。参加12人。車3台は高速道の波佐見有田まで利用。
コースは、龍門ダム9時半発ー後の平ー黒髪山ー見返峠ー青螺山(昼食)ー青牧峠ー龍門ダムに15時着。
稜線は風が強く寒かった。黒髪山の山頂岩場の鎖・階段下りと、青螺山の急登りに手こずった。
青螺山の石柱は、佐世保高橋氏が探した伊万里港の「陸軍輸送港域第二区標」「昭和一五年六月十日」。 

長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷

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長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷

西彼杵郡長与町高田郷にも、まだ知られていないアーチ石橋が残っていた。これも「《トピックスで読む》長崎の歴史」の著者江越先生の話から。
先日、勤め先の大瀬戸歴史民俗資料館を訪ねたとき、長崎市三ツ山町に残っていた「小谷橋」(先項)と一緒に、この長与町の橋のことも聞いていたのだが、私は今、中尾城公園に移築されている「百合野橋」のことと思って、よく聞いてなかった。

百合野団地入口で現在、JR線路をまたぐ橋が「百合野橋」となっている。もともとアーチ石橋であった橋は、団地へ入って「百合野団地第一」バス停右下にある小さな橋である。
話の様子が違うので昨夜、先生へ再び確かめた。先生も実際見られたのでなく、この橋は大宮町の道津さんから聞いた話。道津さんが近くをよく歩くので見つけられていたのである。
幸い道津さんは、私のかつての職場の先輩。電話して場所を確かめ、本日(3月19日)調べに行った。

場所は、道の尾を通って長与へ行くJR長崎本線沿いの県道33号線。川平有料道路長与インター入口のすぐ手前左側にクリーニング店「洗濯工房」がある。この店裏とJR線路との間に小さな川が東の山手から流れている。
壊れかけた石橋が、店裏のコンクリート壁にへばりつくように残っている。線路側は水害により上石が流されているようだが、骨組みはしっかりしていて、アーチの形を完全に残している。

脚立で橋まで降りる。上流側の中央切石に「明治四十四年二月築造」と刻んでいた。橋名がもしやとして下流側へ回ったが何もなかった。長さ5m、幅員4mくらいの橋。
店の家人に聞くと、昔は橋の高さで脇に旧家があり、県道が通っていた。今の県道が高くかさ上げして造られたため、敷地を高く上げて現在の店を作っているそうである。
うまい具合に列車が通った。壊れかけているが、いつまでも残ってもらいたい市近郊のアーチ石橋である。

なお、最後の写真2枚は、中尾城公園文化ホール下へ移築されている「百合野橋」と、「百合野団地第一」バス停下の現在の橋。

三輪神社などのクスノキ  長崎市琴海形上町

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三輪神社などのクスノキ  長崎市琴海形上町

国道206号線により長崎市琴海形上町へ行く。形上小学校を過ぎ長崎市立琴海病院前に来ると、国道の左方に高木がこんもりした神社が見える。鳥居に「三輪神社」とあった。
境内由緒書によると、当時の形上村の庄屋相川新右衛門がキリスト教弾圧の偽装策として、寛永10(1633)年、智津大権現を祭神としてこの老碕の守に奉祀したとある。
神社の記事は、fwd−net長崎・諫早「神社に行こう」に紹介がある。
参道石段の中段右にあるクスノキはかなり大きい。幹周りは5mほどあった。

国道へ戻り少し行くと、これも国道沿いのすぐ左方へ、石垣で囲まれた高い木立がある。石垣の間の通路を入ると、クスノキの幹周り4mを越す大木を中心に、池のある庭園がこしらえられていた。
家は古くて小さく、庭はだいぶん荒れぎみであったが、何となく昔、形上地区で由緒のあった屋敷跡のようである。前記の形上村庄屋宅でなかったかと思っているが、確認はしていない。

波佐見金山跡  東彼杵郡波佐見町湯無田郷

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波佐見金山跡  東彼杵郡波佐見町湯無田郷

波佐見金山跡は、波佐見町湯無田郷にある。ここは県道1号線の中尾山入口。右折して白山陶器前を過ぎ、上内海住宅バス停に史跡案内板がある。住宅裏の川向こうに金山跡の坑口2つが見られ、1つは完全に扉で塞ぎ、1つは畑のビニールハウス続きの倉庫として利用されているようだ。堤が住宅をはさんで上下にある。

下流の陶山神社左側の川脇斜面にも坑口があって、石垣で塞いでいると聞いたが、探しきれなかった。この川脇の道は昔の旧道か、堤下で川を渡るところに古い桁橋があり、「中尾橋」と刻んだ銘柱を見つけた。

陶山神社前に残る赤レンガ造アーチ石橋( https://misakimichi.com/archives/684 を参照。切石に「伊東橋」と刻みがあるよう)の解明のため、このあたりはもう少し関連づけて、史料や資料を調べる必要があるだろう。
「波佐見金山跡」の現地説明板は次のとおり。操業当時の古写真は、波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊70頁から。

波佐見金山跡

明治二十九年、金鉱脈を発見し、翌三十年、鹿児島県祁答院重義により採鉱開始し、日露戦争時(明治37・38年)有望金山として外債募集に役立った。
坑道は西側に朝日坑をはじめ五坑、東側に三坑、その他に一坑があり、鉱石は電車で精錬所(現在の白山陶器)に運び粉末に砕き、金、銀をとり出していた。電力は初め川上水力発電所からの送電によったが、のち火力発電所(赤煉瓦建物)を設けた。
明治四十三年、日本興業銀行が直接経営に当り”波佐見鉱業株式会社”となる。
大正三年八月、貧鉱となって、突然閉山した。この間、金一、〇三三Kg(二七五貫余)、銀二、三九四Kg(六三六貫余)を採掘する。
その後、金山は三菱鉱業の手に移り、大東亜戦争中、大村空廠が疎開して坑道に地下工場を設けていた。
平成四年一月    長崎県波佐見教育委員会

俵坂の「従是大村領」領界石  東彼杵郡東彼杵町

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俵坂の「従是大村領」領界石  東彼杵郡東彼杵町

国道34号線が、長崎県東彼杵町から佐賀県嬉野町との県境「俵坂」に登りきる切り通しの、すぐ手前となる右方のやや高い石垣上に、この領界石が移されて立てられている。車中からなら、よく注意して見てないと見過ごす。
現地説明板は次のとおり。同じ所に立つ隣りの高い石は「地神」である。

領  界  石

「従是大村領」の領界石は、元禄三年(一六九〇)ここより北西二百メートルの藩境(現在の県境)に建てられました。
高い所に立つ五尺五寸(一・七メートル)の大村藩の領界石と、その北側の低い所に立つ「従是北佐嘉領」の二・八五メートルと背の高い領界石が、よりそって立つ姿は、当時の旅人たちの目を引く存在でした。
明治の国道建設後、その所在がわからなくなっていましたが、昭和三十三年、俵坂バス停付近の土中に、上の部分が欠けた姿で発見され、ここに移しました。
東彼杵町教育委員会

小石原のモミとムクノキ  東彼杵郡波佐見町小樽郷

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小石原のモミとムクノキ  東彼杵郡波佐見町小樽郷

県道1号線を東に嬉野町の方へ行く。中尾山入口を過ぎるとまもなく武雄方面への県道102号線と分岐する。川向いの高山陶器が目印。この手前で御堂橋を左折して渡る。小樽郷の小石原はここで、町営住宅の左奥が宇都宅となる。
モミは宇都宅裏庭の奥、ムクノキは右畑の奥に生えている。モミは2本あり、人家近くその巨木さに驚いた。
波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊22頁による説明は次のとおり。

10.小石原の樅と椋の大樹(小樽郷)

小石原の宇都家裏庭は、北に山を負い南向きで、以前に何かいわくありげな感じがします。ここに大樅2本と大椋があります。ともに樹齢はわかりませんが、樅は周り2.8mと2.35mで高さは20mほど伸びています。
椋は根周り4.5m、目通しで3.1mもあり、節くれだってずんぐり型。波佐見では大樹であるばかりか、めずらしい樹種でもあります。