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佐賀市街松原川の風景  

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佐賀市街松原川の風景

平成20年5月31日、佐賀市へ行く。佐賀城北濠沿い貫通道路の裏通り松原1〜3丁目の松原川の風景。
平成元年、佐賀市市制百周年記念事業の一つとして、「松原川環境整備事業、松原川の親水歩道づくり」を行い、周辺に数基の石桁橋やアーチ橋風の橋が整備された。
fed−net長崎・諫早Y氏HPには、長崎市の中島川よりよっぽど雰囲気が良いとある。
松原神社北の太鼓橋は、切石の石造アーチ橋として造られた。(石橋の項)
松原川の現地説明板は次のとおり。
松 原 川

多布施川左岸水路、市中を平行して東流。市民に安らぎと親しみを与えてくれる佐賀市の代表的な川。
多布施川左岸、NTT前のポンポン井樋から分流して東へ向い、松原神社の東北角から南へ折れ佐嘉神社角派出所まで750m。これから道下をくぐり小水路に分流し人目につかなくなる。
訪れる文人墨客は歴代、この川の美しさ、思い出等を文学に記し絵に描いてきた。多くの橋が架かり、それぞれ市民に親しまれている。             県庁通り商店連盟

多久市に残るアーチ石橋

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多久市に残るアーチ石橋

多久市に残るアーチ石橋は、2橋である。西多久町の「笑郷(わらいごう)橋」と南多久町の「谷下の森永宅橋」。谷下の橋は最近見つかった。2はコンクリートアーチである。

西多久町大字板屋の「笑郷(わらいごう)橋」は、多久聖廟の入口となる「市立病院前」交差点から、女山峠を越し武雄市若木の方へ向かう県道25号線により行く。
「西多久分岐」は県道24号線と分かれ右を取る。西部小学校・物産館「幡船の里」・正善寺入口を過ぎ、少し行き、左方の農道へ入る。「山口」バス停のまだ手前である。
農道は牛津川上流に出、まっすぐの所は、2の「川の上橋」(コンクリートアーチ)、手前農家の方から上流の方へ行くと、1の「笑郷橋」である。

この農家の主の話では、山上に平野集落があり、橋はそのための道だった。昭和29年の水害により流され、「笑郷橋」は修復し残った。両橋名はこの方に確かめた。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータは次のとおり。
2はあくまで参考のため載せられている。

写真  1  №2,972  山口無名橋(笑郷橋)  2007.09.08  多久市西多久町大字板屋
牛津川   橋長:7.68m  橋幅:2.5m  径間:4.5m  拱矢:2.25m  環厚:30cm
架設:昭和29年頃
世戸さんの情報です。北方町から多久市へ入りました、時間はすでに17時半です。
左岸下流側から車にロープをくくりつけて降りました、ロープが見えています。
壁石は布積み。

写真  2  眼鏡橋風のコンクリートアーチ(川の上橋) 2007.09.08  同
牛津川   橋長:8.0m  橋幅:2.8m
世戸さんの情報です。山口無名橋から約150m下流です。

次に新しく見つかった南多久町の「谷下の森永宅橋」(仮称)を紹介する。
写真  3        谷下の森永宅橋           多久市南多久町大字花祭(谷下)
谷下川   橋長:3.65m  橋幅:1.8m  径間:2.22m

前記1,2の橋名を地元では「笑郷橋」「川の上橋」と言い、私が多久市役所へ念のため電話確認した。その際、商工観光課前田さんが、「多久市史」の中で南多久町谷下の石橋を記していると写しを送ってくれた。
平成20年5月31日現地確認。場所は県道25号線南多久「平瀬橋」交差点から江北へ向かう県道35号線へ入る。すぐ石原橋の次が「谷下」バス停となり、やや手前から大神宮へ上る道へ入る。防火水槽先の左4軒目の家が森永宅で玄関前の小川に架かる。
下流側要石にのみ、「大正拾五年一月新成 石垣建築石橋工事 新設者森永百助 石工國信安馬」との刻字があった。
多久市「多久市史」の記述は次のとおり(発行2002年?・掲載巻頁未確認)。

石 橋  めがね橋に代表される石橋は長崎県や熊本県に多く構築されているが、多久市に現存する石橋で古来の技術を留める石橋は谷下の谷下川に架けられた一橋だけである。市道から森永宅に渡る専用の橋で、幅一・八二㍍、長さは上間で三・六五㍍、下間二・二二㍍、高さ二・三八㍍のアーチ式である。大正十五年(一九二六)一月に施主森永百助、石工國信安馬によって構築されている。
東原の篠砂川にも石橋が架けられていたが、平成二年七月の水害で被害を受け、復旧工事で消滅した。橋本体は無傷であったが、裏込め部分から奥の道路が抉られ、石橋の構造上の堅固さを証明する結果となった。大正九年頃の構築であった。

(追 記 平成20年6月19日)

ところで、写真1の「笑郷(わらいごう)橋」は、橋名の由来を書き忘れていた。多久市商工観光課前田さんから送ってもらった「多久市史」の中778〜779頁にある伝説話。
西多久地区には「女山の女盗賊」にまつわる話(民話・言い伝え)が、次のとおりある。女盗賊が短刀の血を洗った場所が「洗い江」と呼ばれていた。それが「笑郷」になったのだろうということである。

西多久町                 女山の女盗賊

伊万里に向かう女山峠には女盗賊が出没し、旅人から身ぐるみ剥ぎ取ったり命を奪い、大変恐れられていた。二重あたりで獲物(旅人)が往来するのを覗いて、谷から出て来て旅人を襲い、血のついた短刀を川で洗った。女盗賊が人の往来を見ていた場所を人見と呼び、よく出てくる所を出口、身ぐるみ剥がした所をはぎの原、短刀の血を洗った所を洗い江と呼び、血洗い橋と言う所もあった。また、時には赤子を背負って出て来て、旅人が通ると赤子の尻をつねって泣かせ、旅人が「どうしたのか」と尋ねると「病気にかかっている」といって同情を誘い、隙をみて強盗を働いた。子供をおぶって出てきた所を子峠とよんだ。…

以下は略。女強盗の名はおつる。最後は、おつるに小さいときから苦しい思いをさせた父親のじいさんが金をつくって折角迎えにきたが、それとは知らずに父を殺めてしまった話のようだ。    

早里のホゲ岩  伊万里市瀬戸町早里

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早里のホゲ岩  伊万里市瀬戸町早里

伊万里市瀬戸町早里へ佐賀県指定天然記念物「早里のイスノキ」を見に行ったとき、近くに「ホゲ岩」という珍しい岩があると聞いた。早里は伊万里湾の瀬戸で、半島や小島の周辺を埋め立ててできた干拓地である。海に突き出ていた岩場が海食によってホゲて、天然アーチになった。これが干拓地の中に残っていると言う。
石橋に関連し天然アーチも調べている方がいる。fed−net長崎・諫早HP「長崎県の石橋を訪ねて」にこの項がある。佐賀県となるがそのY氏のためにも、写真で情報を知らせたく岩へ寄ってみた。

国道204号線は伊万里湾沿いに通る。伊万里市街から玄海町方面へ直接行くか、伊万里湾大橋を渡って戻ると瀬戸町早里に着く。「早里」バス停先に海に向けて干拓地の中を行く道路があり、この道に左折して100mほど進むと、ホゲ岩が道路沿い右手にある。
規模は小さく観光地でないため、案内板はない。小さいながら見事な天然アーチだ。干拓地の中に残っている姿がよい。穴の先は大きな農家の入口道路だった。
天然アーチは、佐世保市瀬戸越町の眼鏡岩、同吉井町のお橋観音、同世知原町の弦掛観音でも見ている。(別項にあり)

相浦の球状閃緑岩  多久市北多久町多久原

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相浦の球状閃緑岩  多久市北多久町多久原

佐賀県の天然記念物に「小川内のスギ」「早里のイスノキ」でふれているので、もう1つ話題。
多久市北多久町大工田・相浦地区に「カイガラ石」や「ナポレオン石」と呼ばれる石があり、国内外でも珍しく佐賀県の天然記念物に指定されている。
正確な岩石名は、「球状閃緑岩」(きゅうじょうせんりょくがん)。どんな石か。相浦へ見に行った。

多久市役所近く「多久原北」交差点から国道203号線多久バイパスへ入る。長崎自動車道の北側を通り、「多久IC」近くに「相浦入口」の道路標識がある。必ずバイパスを通らないと、IC道が混在し集落入口がわかりにくい。
この道へ入り集落の谷奥まで進むと「相神浦大権現」社がある。もう天山の山懐である。社殿右に大きな岩石が「佐賀県天然記念物」の標柱とともに据えられてあった。
この石が集落内で一番大きいと聞いた。

「カイガラ石」「ハマグリ石」「菊面石」とか呼ばれる種類の石。表面に球顆(たまつぶ)がぼつぼつ見えた。「ナポレオン石」とは、コルシカ島に産するため付けられた石名らしい。
神社境内には、イチイガシの推定樹齢300年の大木もあった。
佐賀県HP「佐賀県天然記念物の部」による説明は次のとおり。

相浦の球状閃緑岩(あいのうらのきゅうじょうせんりょくがん)

県指定天然記念物/昭和46年6月23日指定
多久市北多久町大字多久原 飯盛山   鉱物
球状閃緑岩は、火成岩中の深成岩の1変種で、基質中に白黒の同心球状の縞を持つ球顆(たまつぶ)が入っている岩石をいう。
天山南斜面標高100m〜400m地帯は、角閃石片岩・黒雲母片岩・石英片岩からなり、多久市北多久町大工田・相浦地区では、球状閃緑岩の転石が散在する。相浦地区では、カイガラ石と呼ばれ、球顆は5〜18cmの楕円形。水田の石垣、川の護岸石、神社の土台石などに利用されてきた。
現在、我国では宮城県白石市・愛知県猿投山など7ヶ所程で確認されているに過ぎない。また一般に球顆岩石と称されるこの種の岩石は、世界的にも珍しく、イタリア他2〜3の火山国で知られるだけで、ヨーロッパではナポレオン石と呼ばれている。

小川内のスギ  神埼郡吉野ヶ里町小川内  

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小川内のスギ  神埼郡吉野ヶ里町小川内

「さが名木100選」の木をやっと訪ね終えた。ホッとして佐賀県HP「佐賀県天然記念物の部」を見ていたら、「小川内のスギ」「早里のイスノキ」が県指定天然記念物なのに、100選の木に選ばれていない。
他の木は、すべて100選の木となっているのに、なぜこの2本は選ばれなかったのか。「小川内のスギ」は福岡県側での五ヶ山ダム建設により、伐り倒されるような運命にあり、少しは事情はわかるが、今のうち訪ねないわけにはいかない。

吉野ヶ里町小川内は、福岡県境をなす東脊振の山奥である。長崎自動車道「東脊振IC」で降り、福岡那珂川へ行く国道385号線へ入る。前は坂本峠越えしていたが、今は東脊振トンネル(トンネル部分が有料道路)ができ便利になった。
ぐいぐい山手へ登る。途中に吉野ヶ里恵みの直売所「さざんか千坊館」展望台がある。トンネルを越して少し下り、県境「佐賀橋」から左折する。小川内の方へ県道136号線を進み700mほどで、山祇神社前に着く。

佐賀橋に案内はなかった。一帯で大々的にダム建設工事が行われていた。スギがどうなるかは確認していない。早く訪ね写真に残していて良かった。
佐賀県HP「佐賀県天然記念物の部」による説明は次のとおり。

小川内の杉(おがわちのすぎ)

県指定天然記念物/昭和31年3月1日指定
神埼郡吉野ヶ里町小川内   植物
神埼郡吉野ヶ里町小川内は、脊振山の東面、標高約400mにある山村で、福岡県との県境に位置している。この山村にある山祇神社(やまずみじんじゃ)の境内に、スギの巨木がそびえて立っている。
この小川内のスギは、大小3株からなっており、根元でお互いにくっつき合い、癒着しており、その根回りは13.5mにも及ぶ。また、樹高は27mと高く、3本の巨大な主幹が、そろって垂直に天をつくように伸びており、その姿は壮観であると同時に、極めて美しいものがある。
小川内のスギは、山祇神社の神木として、長い間、村民に大切にされ、今日まで保護されてきたものであり、県内において、まれに見るスギの巨木として優美な姿を持つのみでなく、3株が癒着し同一根となっている珍しい存在でもある。

(2016年3月7日 追 記)
ブログ「たけさん日記 パート2 自然派集合」の次を参照。天然記念物の大杉は、7億8千万円をかけて杉を倒さず根掘りしたまま持ち上げ、目的場所の高台に移設された神社の近くに移植する工事が始まっている。
五ヶ山ダム建設のため御神木の大杉移植  http://blogs.yahoo.co.jp/denkan_takeo/46837170.html?vitality

佐賀新聞LiVE 2015年6月19日の記事は、次のとおり。

県天然記念物「小川内の杉」 移植に7億8600万円 220メートル先 佐賀側の負担金なし

ダム建設に伴う水没を避けるため、移植されることが決まっている佐賀県指定天然記念物「小川内(おがわち)の杉」(神埼郡吉野ヶ里町)について、佐賀県教育委員会は、事業主体の福岡県が申請している移植場所や工法を許可した。事業費は7億8600万円で、来年5月末ごろに完了する見込み。

小川内の杉は、福岡県との県境の小川内地区の山祇(やまづみ)神社境内にあった神木で、樹齢700〜800年とされる。3株の杉が根元で癒着しており、樹高39メートル、根回りは13・4メートル。地元が移植保存を望んできた。

五ケ山ダム建設を進める福岡県は地元との協議の結果、先に移転している山祇神社の横を移植場所とした。高さ43メートル、南に220メートル移すため、山の斜面に盛り土をしてレールを敷き、10メートル四方の鋼製の箱に杉を入れて動かす工法を提案した。

主な事業費の内訳は、杉の引き上げ作業に4億6700万円、盛り土やレール敷設の搬送路設置に3億1800万円となっており、佐賀県側の持ち出しはない。

県教委は、土木や造園、樹木学の専門家を交えて検討し、今月15日に県天然記念物の移植に必要な現状変更許可を出した。文化財課は「移植後1年間は樹勢をモニタリングする計画も含まれており、文化財としての価値を維持できると判断した」と説明している。これほど巨木の針葉樹の移植作業は「全国的にも聞いたことがない」という。

早里のイスノキ  伊万里市瀬戸町早里  

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早里のイスノキ  伊万里市瀬戸町早里

「さが名木100選」の木をやっと訪ね終えた。ホッとして佐賀県HP「佐賀県天然記念物の部」を見ていたら、「小川内のスギ」「早里のイスノキ」が県指定天然記念物なのに、100選の木に選ばれていない。
他の木は、すべて100選の木となっているのに、なぜこの2本は選ばれなかったのか。「小川内のスギ」は福岡県側でのダム建設により、伐り倒されるような運命にあり、少しは事情はわかるが、「早里のイスノキ」のは何もないようだ。訪ねないわけにはいかない。
県指定天然記念物になったのが、平成18年3月であるためだろうか。

伊万里市瀬戸町早里とは、「伊万里湾大橋」の近くである。長崎からなら伊万里二里大橋から松浦の方へ国道204号線を行って、大橋を渡り戻ってすぐである。伊万里市街からなら同じ国道204号線が伊万里湾沿いを行くので、玄海町方面へ向かう。
イスノキは、「早里」バス停のすぐ近く北西側小高い丘に立つ。一面の干拓地を望む。
佐賀県HP「佐賀県天然記念物の部」による説明は次のとおり。

早里のイスノキ (はやりのいすのき)

県指定天然記念物/平成18年3月31日指定
伊万里市瀬戸町字早里   植物
早里のイスノキは、江戸時代の干拓地を望む小高い丘の上に立っている。樹高15m、胸高幹周り3.1mの巨木で、枝張りは南北15.5m、東西13.9mにも及ぶ。樹齢は200年以上と推定される。周辺にはスダジイ、マテバシイ、クロキ、アラカシなどが生育している。
イスノキはマンサク科イスノキ属の常緑高木で、日本においては、本州(伊豆以西)、四国、九州という広い範囲に分布する。西日本ではユスノキというのが一般的である。材質は緻密で高い強度をほこる。用途は、建築材(床柱、床材)、家具、鉢、算盤など多様である。また、樹皮の灰は釉薬の原料としても使用され、鉄分が少ないため最良とされる。
磁器生産が盛んな伊万里・有田地区においてイスノキが釉薬の原料として使用されるようになったのは、17世紀の中頃からと考えられる。当初は地元のイスノキを使ったと推察されるが、次第に地元のイスノキだけでは需要に追い付かなくなり、日向や薩摩などで生産されたイス灰を購入するようになる。
近年、イスノキは開発による伐採のため減少し、自生するものは稀である。県内では早里のものが最大である。

JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)沿いの風景 (2)

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JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)沿いの風景 (2)

平成20年5月30日、JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋を見に行った。そのついでの風景。写真の説明はわざと省略した。自分の目で探していただきたい。

琴ノ尾岳を越す松頭トンネル入口までを(1)、松頭トンネルを出てからを(2)としている。
鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋は、次を見てほしい。
(1) https://misakimichi.com/archives/942
(2) https://misakimichi.com/archives/943

JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)沿いの風景  (1)

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JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)沿いの風景 (1)

平成20年5月30日、JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋を見に行った。そのついでの風景。写真の説明はわざと省略した。自分の目で探していただきたい。

琴ノ尾岳を越す松頭トンネル入口までを(1)、松頭トンネルを出てからを(2)としている。
鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋は、次を見てほしい。
(1) https://misakimichi.com/archives/942
(2) https://misakimichi.com/archives/943

JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋 (2)

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JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋 (2)

平成20年5月30日、JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋を見に行った。場所の説明はわざと省略した。自分で探していただきたい。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の長崎県の石橋及び煉瓦アーチの長崎本線を参照。

多良見町伊木力あたりで、特に見事な鉄道橋が見られる。千々石ミゲルと見られる墓石の場所の入口のところには「山川内跨道橋」(煉瓦アーチ)がある。続けて山川内川に架かる大きな「山川内橋梁」、そばに「山川内東跨道」がある。
後の2橋は全体が完全に切石で造られていて、N氏は立派な「石造アーチ橋」としてカウントされている。
この鉄路の長い土手は、谷間反対側の県道33号線野川内入口のカーブ地点からよく見える。列車が通る時間に合わせて見る景色は秀逸だ。

また、鉄道沿線すぐ近くには、長与町高田郷の川平有料道路の入口あたりの県道沿い「洗濯工房」店裏の川に壊れかけたアーチ部分だけ残る石橋「高田の橋」がある。
多良見町野川内の谷にも、同じように壊れかけたアーチ部分だけ残る石橋「幸仏橋」があるので、今のうちに見ておいてほしい。
いずれも前に紹介済みである。この日の風景は別項とした。

JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋 (1)

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JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋 (1)

平成20年5月30日、JR長崎本線(大草経由 長崎駅ー喜々津駅間)の鉄道橋と沿線に残るアーチ石橋を見に行った。場所の説明はわざと省略した。自分で探していただきたい。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」の長崎県の石橋及び煉瓦アーチの長崎本線を参照。

多良見町伊木力あたりで、特に見事な鉄道橋が見られる。千々石ミゲルと見られる墓石の場所の入口のところには「山川内跨道橋」(煉瓦アーチ)がある。続けて山川内川に架かる大きな「山川内橋梁」、そばに「山川内東跨道」がある。
後の2橋は全体が完全に切石で造られていて、N氏は立派な「石造アーチ橋」としてカウントされている。
この鉄路の長い土手は、谷間反対側の県道33号線野川内入口のカーブ地点からよく見える。列車が通る時間に合わせて見る景色は秀逸だ。

また、鉄道沿線すぐ近くには、長与町高田郷の川平有料道路の入口あたりの県道沿い「洗濯工房」店裏の川に壊れかけたアーチ部分だけ残る石橋「高田の橋」がある。
多良見町野川内の谷にも、同じように壊れかけたアーチ部分だけ残る石橋「幸仏橋」があるので、今のうちに見ておいてほしい。
いずれも前に紹介済みである。この日の風景は別項とした。