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稲佐国際墓地の大クス  長崎市曙町

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稲佐国際墓地の大クス  長崎市曙町

長崎港の対岸稲佐の曙町にある。悟真寺に隣接した稲佐国際墓地。テレビ塔のある稲佐山(標高333m)登山道路入り口の近く。歴史ある外国人墓地でよく整備され散策向き。港に大型客船”飛鳥”が見えた。坂段を上がった一番上に「福建境地界」の標石を見つけた。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リスト(街路樹)の中の説明は次のとおり。

稲佐国際墓地の大クス

長崎市稲佐町にある。墓地の周囲はクスノキの大木で守られている。巨木が2本ある。幹周り5〜6mほどで、長崎の大クスとしては上位に入るクスノキではないが、樹形は素晴らしい。墓地内には、サクラ、メタセコイアなどが植えられている。
この墓地は悟真寺に隣接した中国人の墓地であったが、後にオランダ人墓地ともなった。1858年、ロシア人水夫を埋葬するためロシア人墓地が作られ、翌年に国際墓地も設けられた。現在では、ロシア、オランダ、ポルトガル、フランス、アメリカ、インド、ユダヤなど多くの外国人が眠っている。

高浜の「石鍋」と岬木場の「鍋岩」  字名の謎

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高浜の「石鍋」と岬木場の「鍋岩」  字名の謎

為石石鍋製作所跡は、三和中学校上の墓地から左の寺岳登山道に入る。すぐ白川稲荷神社で赤鳥居道を登り、上祠から下に下ると右手の山際に跡の岩面2つがある。掘りかけの途中の石鍋も残る見事な岩面である。すでにこれは前に紹介している。

高浜にも「石鍋」という字名がある。長崎市高浜公民館の以前の講座資料、松尾秀喜氏作成「たかはま字名の由来考」44〜45頁は次のとおり。
本村名 石 鍋 いしなべ
いしなべ…は、石で作られた鍋や釜の作り出された所の字名でしょう。長崎新聞社の長崎大百科事典によると、平安期末から鎌倉期に西日本一帯に使用された石鍋(石材・石製)には硬質の滑石が用いられ、その製作所跡が西彼半島、野母半島の山中に見られる…と記されてあるところから、此処の石鍋の字名も石鍋作製による字名でしょう。
長野観音さんの手洗器と八幡神社の手洗器は石鍋の原型ともいわれる。当地の石鍋の由来。

長野観音堂跡の公民館庭先にある手洗石も前に写真で紹介した。さて、この高浜の「石鍋」の字名。地元の人に場所を聞いて探しに行った。野母崎高校のずっと上の方の谷間で大野集落となる。中を川が流れ、橋の左上斜面をいう。川を上流へつき上げてずっと付近を調べたが、人工的な岩面は見あたらなかった。このあたりの畑所有者本村さんや字名資料松尾氏の話でも何も残っていないそうだ。 驚いたのは、この川に小さいながら落差10mほどの見事な滑滝があった。滝の名前はないらしい。

返って橋の下流側に、写真のとおり人工の跡がある大岩と小岩があった。大岩は上に祠が祀られ、下部はえぐられ自然のものかどうかわからない。
近くにある小岩は石材として切り出されたような跡がある。畑の人に聞くと明治時代造られた長野観音堂の石垣は、ここから石を出したという話であった。しかし、ここは字名の「田郷」となる場所である。この岩も名前はないらしい。

あと1つ岬木場の「鍋岩」は、昭和62年「木場子供会発表会資料」3班の項に次のとおり記されている(資料は高浜公民館保存文書)。
”なべ岩”について
1 目  的
・身をかくすため
2 長  さ
・横に約150mあり、老人の話を聞くと10mぐらいは中に入っていかれたそうです。
3 由  来
・なべの形をした岩が見つかったから「なべ岩」と呼ばれています。
・平家の「おちびと」ががたどりつき、ほったものと言い伝えられています。
4 生活した様子
・岩に「のみ」でけづったあとがある。
・焼山に段々畑があり、そこで作物を作っていたとみられる。
・中に入った人の話によると、入り口のところに物をついたうすがあったそうです。
現在は土が積もって形しかわかりませんでした。

「なべ岩」のこの資料による場所絵図は上に掲げた。描かれている運動場の位置から、今の岬木場バス終点の上方でゴルフ場の進入道路となっているあたりの山でないだろうか。運動場は、サイクリング道路の一段下に見るグランドのようだ。この上はゴルフ場敷地となって、今は調べようがないと思われる。

古里海岸の埋立地に残る「建岩」(たていわ)  長崎市高浜町  

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古里海岸の埋立地に残る「建岩」(たていわ)  長崎市高浜町

長崎市高浜町となる古里海岸の港となった広い埋立地の中に、大きな岩が立っている。古里バス停のすぐ後ろ。昔の海岸を埋め立て、この岩は海の中にあった岩礁だとすぐわかる。古里は「みさき道」が堂山峠越しにかかる入口だから、よく見る岩だ。

この岩は、地元の人が言う「建岩」(たていわ)または「トンビーセ」の呼び名でなかったか。長崎市高浜公民館の以前の講座資料、松尾秀喜氏作成「たかはまの字名の由来考」27頁に次のとおりあった。

字 名 無し   通称語 建 岩 たていわ
たていわ…は、大古里、小古里の中間の海中に踏ん張って立ち巨岩を中心とした磯場の呼称で地方者はトンビーセと呼び里の象徴化した岩と見る。

昭和50年建の「示道標」標石  長崎市松崎町

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昭和50年建の「示道標」標石  長崎市松崎町

平成19年12月18日、神浦ダムから奥の新牧野町で前外海町の木「ヤマモモ」を見て、山越えして畦刈へ出た。この標石はその途中、松崎町・西海町の町境となる山手の道脇で見つけた。
場所を逆に説明すると、樫の久保バス停から森林基幹道「西彼杵半島線」が上がっている。約3分ほど走るとここは四叉路となり、九州自然歩道の「神ノ浦ダム 畦刈・三京」標識があった。対面の案内図の根元に標石があった。

刻みは、「示道標」「昭和五十年三月 才木栄建」「右 才木、岩立、桂山ニ至ル」「左 長田、黒崎、外海方面ニ至ル」。寸法は、28×20×90cm。新しい年代造りの道標石のため、取り立てる標石ではないが、殊勝な方が地元にいたものだ。基幹道が整備され、道も変わってきている。しかし、昔からここは重要な分岐点だったと思われる。

神浦ダム周遊コースの風景

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神浦ダム周遊コースの風景

平成19年12月20日、長崎県西彼杵半島にある神浦ダムに森林浴ウォーク。ダム堰堤から右回りを周遊。8.4kmのコース。約2時間半かかる。平坦な道だが、舗装は3分の2。歩いた方がよい。
左回りコースの一部が九州自然歩道となっている。両方の谷間奥には、深山橋と次兵衛橋が架かる。外海地震観測施設があった。コースに植えられた桜の木が大きくなっており、春もよいだろう。

熊野神社のイスノキ・オガタマノキ  西海市大瀬戸町雪浦下郷

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熊野神社のイスノキ・オガタノマキ  西海市大瀬戸町雪浦下郷

西海市大瀬戸町雪浦下郷にある熊野神社の巨木。雪浦橋の手前から雪浦ダムなどの案内標識により右へ入る。町中を横にまっすぐしばらく行くと、真光寺(学寮跡史跡)下の広い駐車スペースに出る。この寺の右が熊野神社。石段と鳥居が見え、境内にはイスノキ・オガダマノキをはじめ巨木が林立している。神社裏手の山林にもいろいろな木が多いようである。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大瀬戸町・熊野神社の巨木

大瀬戸町雪浦の熊野神社は、オガタマノキとイスノキの木が目立つ。山門右にくねったイスノキの大木がある。階段を登ると右手にオガタマノキの巨木がある。さらに登ると右手にまたまたオガタマノキの巨木がある。オガタマノキはいずれも幹周り3mほどはある。
境内に着くと、幹が二つ分れたイスノキの巨木がある。これも幹周り3mはある。巨木の多い神社は、クスの巨木が多い長崎市の諏訪神社と諫早市の諫早神社以来だ。
大瀬戸町・熊野神社の10月の秋季大祭は、「雪浦くんち」と言われ、お下り、お上り、シャギリなど伝統ある祭りが行われる。

外海のヤマモモの巨木  長崎市新牧野町

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外海のヤマモモの巨木  長崎市新牧野町

長崎市新牧野町にある。神浦ダム右の上流部の牧野岳山腹斜面にある。長崎方面からは三重才木から九州自然歩道を行って入る方法があるが、わかりにくい。車で行くなら神浦から神浦ダムに入る。堰堤を渡り管理事務所から右上流へ外周する。
ダムから2.4km回ったところに「大牧林道」の碑と「大野バス停へ」の標識があり、右に分岐する。途中に分岐はない。この車道を上がると山腹に牧場があり、牛舎の横にヤマモモの巨木がある。外海町の「町の木」だった看板が立っている。

山奥の一軒家は中山熊夫宅。奥さんの話では、外海町第一のヤマモモ巨木でこの木によって昭和63年「町の木 山桃」が公募指定され、町に買い上げられた。枝を剪定されたため背は低くなったが、以前はまだ大木だった。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

外海町のヤマモモの巨木

牧野岳裾野の神浦ダムに至る山道沿にある。幹は地上40cmほどから二つに分れ、太い幹はさらに地上1mほどで二つに分かれている。それぞれの幹周りは、およそ、2m、1m、50cm、50cmほどで、幹周り4mはある巨木。
「町の木」がヤマモモであるという町の看板が立っているが、このヤマモモが町指定と記されてはいない。

三社大神宮のホルトノキ・ヤマモモ  長崎市長浦町手崎

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三社大神宮のホルトノキ・ヤマモモ  長崎市長浦町手崎

長崎市長浦町手崎の三社大神宮にある。国道206号線を長崎市琴海行政センター前を過ぎて行くと、すぐカーブする所の上に陸橋がある。この手前から右方の狭い車道に入り、すぐまた左の道に入ると、三社大神宮の鳥居前に出る。奥の鳥居から社殿の周りの森には巨木が林立している。こんなところによく残っていると圧倒される。下はもう海である。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

三社大神宮のホルトノキ

琴海町長浦郷手崎にある。山門を過ぎると本堂がある。その左側にカシやシイの高木がそびえている。その藪の中にホルトノキがあった。手前の白っぽい木はシイ。ホルトノキの幹は板根になっている。神社は300年以上前からあったらしいので、このホルトノキの樹齢も300年以上はあるだろう。
「長崎県植物誌」の著者・外山三郎氏は、このホルトノキは町指定に値すると述べている。町の支援が待たれる。

神社はクスノキ、シイ、モウソウチクなどの高木に囲まれている。境内には相撲の土俵があった。山門の脇には ヤマモモの巨木がある。りっぱな巨木だ。ヤマモモの幹は洞になっていて、昔はその中に神を祭っていたが、後に神社を建立したとのこと。近所の人の話によると、戦時中、出兵する兵隊さんはこの神社で祈願し、戦地に向かったとのこと。この神社は現在、この地区の住民によって維持されていて、神主も持ちまわりであるらしい。鎮守の森とはこのような神社のことを言うのだろう。

琴海神上墓地のクロガネモチ  長崎市琴海戸根原町

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琴海神上墓地のクロガネモチ  長崎市琴海戸根原町

長崎市琴海戸根原町神上墓地にある。国道206号線のイチョウが目立つ自証寺前バス停から左方2つ目の角から坂道を上がる。ほどなく住宅のはずれに小さな墓地がある。ここが神上墓地。墓の中央にクロガネモチの巨木が立つ。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リスト中の説明は次のとおり。

クロガネモチの巨木

琴海町戸根郷の神上墓地にある。幹周り4.23m。幹には洞ができている。
幹の途中に、ネズミモチが着生して花をつけていた。鳥の糞で運ばれてきて芽を出したのだろう。
クロガネモチは赤い実をつけていて雌株。先祖のお墓がある近所のおばあさんが墓地の
掃除をしていたが、実を食べに来る鳥の糞でお墓が汚れて困る、この木はどうにかならんもんか…、とこぼしていた。
「りっぱな木なので、切り倒さないで下さい」とお願いしたが、墓地に植えるクロガネモチは実をつけない雄株がいいのかも…。