福岡県」タグアーカイブ

杷木地域生涯学習センターの国境石  朝倉市杷木池田 ( 福岡県 )

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杷木地域生涯学習センターの国境石  朝倉市杷木池田

サイト「筑前国境石散歩」朝倉市杷木による説明は、次のとおり。国道386号杷木交差点の次の角から朝倉市杷木支所の方へ上がる。その先が朝倉市杷木地域生涯学習センター(らくゆう館)で、前庭に国境石を展示している。以前、こども未来館はき(旧杷木町中央公民館)前に展示していたのを移設したもの。

現こども未来館はき (現在は、杷木地域生涯学習センター前庭に展示)
文 字
表)從 是 西 北 筑 前 領 
裏)谷 川 半 境
場 所 現 阿蘇神社の石と同じ川(境谷川)にあったものです。
備 考 杷木町は筑後境でもあったわけですが、杷木町 教育委員会にお聞きしたとこ
ろ「志波村の控石」以外に筑後との境石は現存していないそうです。

阿蘇神社の国境石  朝倉市杷木穂坂 ( 福岡県 )

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阿蘇神社の国境石  朝倉市杷木穂坂

サイト「筑前国境石散歩」朝倉市杷木による説明は、次のとおり。国道386号の夜明発電所近く、県境の手前に阿蘇神社はある。国境石は、神社参道口の保坂地区農林業経営研修館の前庭にある。
6〜8枚目の写真は、昭和3年福岡県設置の縣界標。境谷橋脇にある。
現阿蘇神社
文 字
表)從 是 西 北 筑 前 領 
裏)谷 川 半 境
場 所 杷木町(2006/03/20より朝倉市)は、東部が豊後境・南部が筑後境でした。この石は「西北」となっていること、大きな筑後川でなく「谷川」が境いであることから、豊後境であることがわかります。
現在は、杷木町の外れ阿蘇神社の入口にありますが、阿蘇神社の東、阿蘇山から筑後川に流れる川が国境でした。この川に置かれていたものです。
備 考 川の名前は境谷川です。

杷木池田の水刎群  朝倉市杷木池田 ( 福岡県 )

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杷木池田の水刎群  朝倉市杷木池田

サイト「古賀河川図書館」碑文が語る筑後川(131)〜(140)による説明は、次のとおり。国道386号杷木交差点から南の県道52号に入る。筑後川に昭和橋が架かる。この右岸すぐ上流や下流側に水刎群がある。

(133)杷木町の水刎

碑銘  杷木町の水刎(碑文はない)
建立地 福岡県杷木町昭和橋直上流
建立日 江戸期
建立者 —————————
福岡県杷木町の昭和橋右岸の直上流から、大石堰の下流の間に、水刎(みずはね)がいくつも群れをなして設置されている。碑文はない。江戸期の「筑後川絵図」には、この水刎が描かれており、地元ではただ単なる「刎」と呼ぶ。このように破壊されずに現存する水刎は、全国的に珍しく、土木遺産としては非常に価値が高く、今後の調査が望まれる。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

杷木池田の水刎群 はき、いけだ
朝倉市 筑後川(右岸) /昭和橋直上流 水制(17基) 江戸期 WEB(みさき道人) いろいろな保存状態が混在 江戸期の「筑後川絵図」に描かれている 1-3 A

吉井町生葉の郡境石  うきは市吉井町生葉 ( 福岡県 )

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吉井町生葉の郡境石  うきは市吉井町生葉

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道210号浮羽究真高前交差点から北の浮羽バイパス生葉交差点へ向かう。巨勢川の橋を渡り、すぐクロネコ大和の手前の南新川水路を横切る。水路沿いの市道を下流にたどると、田の傍らに郡境石が立っている。

吉井町生葉の郡境石 よしい、いくは
うきは市 境界石 高150㎝,幅22.5㎝,厚21㎝ 元禄8(1695) 市有形民俗 WEB(筑前国境石散歩) 移設 (正面)「東 生葉郡/西 竹野郡、分界」/生葉郡〜竹野郡/17世紀の郡境石 2 B

倉吉(天満神社)の国境石控石  朝倉市倉吉 ( 福岡県 )

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倉吉(天満神社)の国境石控石  朝倉市倉吉

HP「筑前国境石散歩」筑前・筑後 兼用(朝倉市・大刀洗町)によるデータは、次のとおり。県道584号により朝倉市倉吉地区へ行く。天満神社は場所がわかりにくいので、所在図を載せる。「控石」の意味は、HP参照。

朝倉市倉吉(天満神社)
文 字
表)百十番境杭 
右)百九番境杭
左)百十一番境杭
天保十五年甲辰
裏)(控)石
三月建立
場 所 朝倉市倉吉「天満神社」の中にあります。
備 考
サイズ 高さ 98×横 29×奥行 29(cm)

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

倉吉の国境石控石 くらよし
朝倉市 天満神社 境界石〔控石〕 高98㎝,幅29㎝角 天保15(1844) WEB(筑前国境石散歩) 移設 (正面)「百十番境杭」、(右面)「百九番境杭」、(左面)「百十一番境杭」、(裏面上部)「控石」/筑前・筑後兼用の国境石群の控石の1つ 2 C

元・長渕の国境石  朝倉市宮野 ( 福岡県 )

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元・長渕の国境石  朝倉市宮野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道386号朝倉町役場・町民センター入口交差点から南に入ると、朝倉市朝倉地域生涯学習センターがある。国境石は前庭に展示されている。

元・長渕の国境石 ながふち
朝倉市 朝倉市朝倉地域生涯学習センター・前 境界石(中央部で厚くなった板碑型) 高199㎝,幅68㎝,厚40㎝ 文化12(1815) WEB(筑前国境石散歩) 昭和40頃、筑後川下流の河原(土中)から発見→移設 (正面)「従是西北 筑前國」/筑前国〜筑後国/文化12の前年に洪水があり、筑後川沿いの国境が分からなくなったため建立されたとされる 3 B

新八丁、白坂越分岐点付近の石橋  朝倉市秋月 ( 福岡県 )

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新八丁、白坂越分岐点付近の石橋  朝倉市秋月

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。秋月から国道322号と県道66号により白坂峠方面へ向かう。新八丁、白坂越分岐点付近の石橋は、場所がわかりにくいから所在図を載せる。
1枚目写真のとおり、県道66号の九州自然歩道の標識がある所から、不動滝に下る道の反対上の谷に上がる。荒れているが、これが旧街道。県道がカーブする民家裏近くの下の沢にすぐ一枚岩?の石橋がある。多分、これだろう。出典102頁の掲載写真は何を写しているか疑問がある。最後の写真は、民家用の裏一本橋。

新八丁、白坂越分岐点付近の石橋
朝倉市 <秋月街道> 石桁橋 長2.3m(G),幅2.5m 江戸期? 歴史の道 一枚岩の橋 2 C

不動滝から高内付近の石橋・不動滝前の石橋  朝倉市秋月 ( 福岡県 )

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不動滝から高内付近の石橋・不動滝前の石橋  朝倉市秋月

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。秋月から国道322号と県道66号により白坂峠方面へ向かう。秋月大橋のところは標識に従い少し先から県道66号に入る。不動滝は、この県道沿い下の沢にあり、街道筋である。私は県道から街道を下って不動滝まで往復した。
その途中で、民家の下にある石橋がこれだろう。同じ街道筋で、その下の不動滝の前にある石橋は、最後の写真で前記事参照。これも古い石橋である。 

不動滝から高内付近の石橋
朝倉市 <秋月街道> 石桁橋 長3.1m(G),幅2.3m 江戸期? 歴史の道 4本の石梁 2 –

不動滝前の石橋も、サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストに、次のとおり登載された。

不動滝前の石橋 ふどう
朝倉市 <秋月街道> 石桁橋 (G) 江戸期? WEB(みさき道人) 保存状態良好 4本の石梁 1 –

不 動 滝  朝倉市秋月 ( 福岡県 )

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不 動 滝  朝倉市秋月

歴史の道・2秋月街道: 『歴史の道調査報告書 第2集 秋月街道/福岡県文化財調査報告書 第195集』,福岡県教育委員会,2000 の102頁による説明は、次のとおり。
秋月から国道322号と県道66号により白坂峠方面へ向かう。秋月大橋のところは標識に従い少し先から県道66号に入る。不動滝は、この県道沿い下の沢にあり、街道筋である。私は県道から街道を下って往復した。
記事が前後したが、前記事の「秋月街道涙坂」は、まだこの先の県道の話。県道の様子を先に調べた。

四 夜須郡
26 不動滝
寛政年間(1789〜1801)自仙という人物が目黒不動尊を信仰し、この滝に不動像を彫ったことから不動滝と呼ぶようになった。不動滝付近には石畳(幅290センチ)が残る。

秋月街道涙坂  朝倉市秋月 ( 福岡県 )

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秋月街道涙坂  朝倉市秋月

現地説明板は、次のとおり、秋月から国道322号と県道66号により白坂峠方面へ向かう。秋月大橋のところは、標識に従い少し先から県道66号に入る。峠手前に秋月隧道がある。トンネル入口が見えるすぐ前右側に、この説明板があった。
白坂越の街道は、これから植林地内の石畳道を登るようだが、先は踏跡不明で引き返した。皇太子殿下成婚記念植樹の碑があった。

秋月街道 涙坂
江戸時代秋月藩は参勤交代にこの秋月街道白坂越を最も利用していた。
この位置は涙坂といい秋月城下を見る最後の場所で江戸参勤に向かう主人をここまで家族が見送り三年
間の別れを惜しんで涙を流したことから「涙坂」と呼ばれるようになったという。
この一帯に石畳・石垣・水路等がよく旧状をとどめ当時の秋月街道の様子を偲ぶ事ができます。
平成九年六月建立