熊本県」タグアーカイブ

城横穴群  山鹿市城 ( 熊本県 )

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城横穴群  山鹿市城

「山鹿市の指定文化財一覧」(157KB)(エクセル文書)による説明は、次のとおり。山鹿市の国道3号日輪寺入口交差点から左折、岩野川の橋を渡って北の鶴城中学校の方へ向かう途中に、熊本県史跡の標柱があった。人・盾などの浮き彫りは見てない。

12 県 史跡 城横穴群 城 個人 昭和34年12月8日 古墳時代後期の横穴墓群。台地東側の崖面に築造され、500mの間に46基がある。人・盾などの浮き彫りを施す。下流に付城横穴群、鍋田横穴がある。 48→46・県総合報告、326頁 山鹿 平小城

稲荷神社メガネ橋  山鹿市杉 ( 熊本県 )

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稲荷神社メガネ橋  山鹿市杉

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。山鹿市街から国道3号を北上。日輪寺入口交差点から左折。すぐの左角の道を水路沿いに行くと、杉稲荷神社がある。

稲荷神社メガネ橋 いなり
山鹿市 参道(人道) 石アーチ橋 (凝灰岩) 長3.3m,S1.8m(A),幅2.4m 安政4(1857) WEB(石橋) 保存状態良好 小規模アーチの割に、大きな装飾高欄 1 C

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,359  杉稲荷神社橋
山鹿市杉
寺島用水路
橋長:3.3m  橋幅:2.4m  径間:1.8m  拱矢:0.5m
架設:安政4年(1857)
山鹿市西上町、国道443号線と国道3号線の合流点から国道3号線を2.2Km北上。
日輪寺入口の交差点を左折、すぐを左折、200m左手杉稲荷神社前に架かっています。

田中橋(化巖矼車橋)  鹿北町多久 田中 ( 熊本県 )

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田中橋(化巖矼車橋)  鹿北町多久 田中

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。山鹿市から国道3号により鹿北町岩野に向かい、北への県道18号に入る。岩野川沿いの県道を約4km進むと、多久の現田中橋上流にこの石橋を見た。

№1,370  田中橋(化巖矼車橋)

鹿北町多久 田中(たんなか)
岩野川
橋長:16.7m  橋幅:4.13m  径間:12.7m  拱矢:5.05m  環厚:55cm  輪石:37列
架設:安政5年(1858)
石工:藤左衛門 ほか

上麻生橋から400m引き返し、分岐を市木方面へ北上。道なりに進むと県道18号線へ出ます。そこから県道18号線を2.1Km南下したところに架かっています。
田 中 橋
「この橋は、多久・椎持村の年貢を収めるのに大切な土橋でしたが、洪水によりたびたび流され往来に困っておりました。そこで、安政5年(1858)細川藩の許しをえてお金を出し合い農民の奉仕活動でやっと出来上がった鹿北町で一番古い眼鏡橋であります。
記念碑に「藤からむ巖と化せよ車橋」とあります。」  案内板より

高井川橋  山鹿市鹿北町岩野 ( 熊本県 )

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高井川橋  山鹿市鹿北町岩野

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。旧鹿北町役場から国道3号を800m北上、左手に現橋の下流側に架かっている。

№1,015  高井川橋

山鹿市鹿北町岩野 高井川
市指定文化財
男岳川
橋長:19.6m  橋幅:5.6m  径間:14.83m  拱矢:5.6m  環厚:70cm  輪石:35列
架設:明治14年(1881)
石工:橋本勘五郎

旧鹿北町役場から国道3号線を800m北上、左手に現橋の下流側に架かっています。
高井川橋
「国道3号線の開通に伴い、高井川区と弁天区の間に流れる男岳川に架設された眼鏡橋である。
石工棟梁は皇居の二重橋を築造した日本一の名工「橋本丈八」。現在は国道の改修により鹿北町道に編入されている」  案内板より

板 曲 橋  山鹿市鹿北町四丁 ( 熊本県 )

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板 曲 橋  山鹿市鹿北町四丁

現地説明板は、次のとおり。山鹿市から福岡県八女市黒木との県境鹿牟田峠へ向かう途中、国道3号の鹿北町岩野手前でこの石橋を見た。

市指定文化財  板曲(いたまがり)橋

明治42(1909)年、岩野川に架けられた、長さ7.6メートルの石橋です。もとは板曲にありましたが、平成9(1995)年県道改良のため、現在の場所に移築されました。  

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,688  板曲(いたまがり)橋

山鹿市鹿北町四丁
橋長:7.7m  橋幅:4.2m  径間:4.55m  拱矢:2.27m  環厚:40cm  輪石:23列
オリジナル架設:明治42(1909)年
左、国道3号線。右、岩野川。
移築復元されています。

米 噛 石  玉名市築地 ( 熊本県 )

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米 噛 石  玉名市築地

まんが日本昔ばなし〜データベース〜による説明は、次のとおり。国道208号玉名バイパスから北の築地四十九台公園の方へ入り、広域農道まで抜ける途中の市道沿いに案内説明板がある。

No.0214
こめかみいしゆらい
米かみ石由来

あらすじ

熊本県の小岱山(しょうだいさん)の山の中に、大きな山男が住んでいました。ある時、山男は、もう山には食べ物がなくなったので里におりる事にしました。

その途中にあった大きな岩をふと覗き込むと、村人たちが山の神様のためにお供えしたおにぎりが置いてありました。山男は大喜びで、毎晩毎晩お供えのおにぎりを食べるようになり、村人たちは「きっと神様が食べているのだろう」と思いました。

翌年、村は日照りにみまわれ、稲が作れなくなってしまいました。困った村人たちが、必死に雨乞いをしましたが一向に雨が降らず、次第に食べ物にも困るようになりました。村に住む正直者の十兵衛さんは、自分の食べる分を減らしてでもお供えをしていましたが、次第におにぎりは小さくなっていきました。

山男は、毎日のおにぎりも無くなり腹をすかせて里におりて来ました。十兵衛さんの家をこっそりのぞき見ると、十兵衛さんは米の飯を食い母親は卵かけご飯を食べていました。これを見た山男は腹を立て、村人たちに「十兵衛さんはとんでもない奴だ、この食料難の時に自分たちだけ白い米の飯を食う奴だ」と、告げ口をしました。

半信半疑な村人たちが確認すると、十兵衛のは白いオカラで母親のは粟100%のご飯でした。あらぬ疑いをかけてしまった、と泣きながら反省した山男は「必ず神様に雨を降らせてもらうから」と言って去っていきました。翌日、山男が約束した通りに雨が降り、村は蘇りました。

その後、山男を見る事はありませんでしたが、岩のお供え物は翌日には無くなっていました。それでこの岩を、米を噛む(食べる)石という事で「米噛石」と呼ばれるようになりました。

(紅子 2012-1-24 21:55)

ナレーション 市原悦子
出典 熊本のむかし話(日本標準刊)より
出典詳細 熊本のむかし話(各県のむかし話),熊本県小学校教育研究会国語部会,日本標準,1973年12月20日,原題「米噛石」
現地・関連 お話に関する現地関連情報はこちら
場所について 築地の米噛石

浮田下ノ池・吐井手  玉名市築地 ( 熊本県 )

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浮田下ノ池・吐井手  玉名市築地

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによる説明は、次のとおり。この項は、本ブログ次を参照。遺産リストのデータタイトル・説明の更新があったため、5月19日再訪し現地写真を私も撮影してきた。
https://misakimichi.com/archives/4600
現地は玉名市の北西部。所在図のとおり旧岱明町との境界あたり。浮田溜池は三段あり、上・中・下の池がある。国道208号玉名バイパスから入り、すぐ左折すると浮田下の池があり、この池の土手に説明板と由来書きの顕彰碑があった。中の池、上の池へは、ゴルフ練習場を回り込んで行く。

浮田下ノ池・吐井手 うきた
玉名市 浮田下ノ池〜元口掛 護床敷石 長26m,幅5-7m 嘉永5(1852)以降 市教委(浮田溜池関連施設p11-17) 上流側2段は洋風に並べられた布石状の敷石、最下部は打込みはぎ状の敷石 惣庄屋・清田新之允によって文化13(1816)に浮田溜池(中ノ池)が造られたが、嘉永5の干魃を受けて中ノ池の上下に造られた溜池/下ノ池から流出する3本の水路のうちの「元口掛」に設けられた導水路 1 A

遺産リストでは「下ノ池から流出する3本の水路のうちの「元口掛」に設けられた導水路」とあるが、玉名バイパスの土手道路敷となったのか確認できなかった。私が見たのは、下の池土手東側手前にあった導水路(写真8)だけだった。後ろ3枚の写真は、浮田中の池、上の池から流失する導水路。

百間井樋(呑口)  玉名市築地字沓掛・西ノ山 ( 熊本県 )

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百間井樋(呑口)  玉名市築地字沓掛・西ノ山

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによる説明は、次のとおり。この項は、本ブログ次を参照。遺産リストのデータタイトル・説明の更新があったため、5月19日再訪し現地写真を私も撮影してきた。
https://misakimichi.com/archives/4600
現地は玉名市の北西部。百間井樋(呑口)は、所在図のとおり玉名病院北側の谷間奥にある西の川。案内板や説明板はなく、場所がわかりにくいが、ここの石水門を閉じて、西の川の水を右側の水路へ流し、竹林内の導水トンネル(一部に広い桝型開口部あり)・水路などにより丘を越した浮田溜池上の池上部へ水を引いていた。

百間井樋(呑口) ひゃっけん
玉名市 西の川〜浮田溜池 石トンネル(用水) 長95m 嘉永5(1852) 市教委 保存状態良好/現役 惣庄屋・関忠之亟/切石を積み上げた側壁上に石板を載せた堅固な構造 1 A

立願寺の郡衙道・西海道交差  玉名市立願寺 ( 熊本県 )

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立願寺の郡衙道・西海道交差  玉名市立願寺

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによる説明は、次のとおり。この項は、本ブログ次の記事を参照。遺産リストのデータタイトル・説明の更新があったため、5月19日再訪し現地写真を私も撮影してきた。
https://misakimichi.com/archives/4595
現地は玉名高校と中央病院の間の直線道路を、北陵高校の西側まで進む。やがて小道となるが、東から西への市道と交差する。立願寺の郡衙道・西海道交差とは、このあたりのことである。「郡衙道」(ぐんがどう)通りの跡は、さらにまっすぐに現立願寺公園あたりまで続いていることを再確認してきた。

立願寺の郡衙道・西海道交差 りゅうがんじ
玉名市 <郡家〜水駅/西海道> 道路 郡衙道:長1.6㎞ 古代(8世紀初) 市教委(玉名郡衙p474,555) /木下 良 C舗装されて生活道路化/写真は郡衙道(縦)と西海道(手前横)の交差部/立願寺は地名 玉名郡庁と郡津を結ぶ南北道路(郡衙道)、それと交差する東西の伝路(西海道)/微高地の畑の間に帯状窪地となった道路遺構があって、古代道路としては典型的な状態を示している/郡衙道は全線切通し 3 B

通潤橋・五老ヶ滝  熊本県上益城郡山都町 ( 熊本県 )

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通潤橋・五老ヶ滝  熊本県上益城郡山都町

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。ゴールデンウイークに帰省した長男が、帰りに熊本県の通潤橋・五老ヶ滝を訪ねて撮影した。

通潤橋

通潤橋(つうじゅんきょう)は、熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)にある石造単アーチ橋。江戸時代の嘉永7年(1854年)に阿蘇の外輪山の南側の五老ヶ滝川(緑川水系)の谷に架けられた水路橋で、水利に恵まれなかった白糸台地へ通水するための通潤用水上井手(うわいで)水路の通水管が通っている。

概要
石造単アーチ橋で、橋長は78メートル、幅員は6.3メートル、高さは20メートル余、アーチ支間は28メートルである[1]。橋の上部には3本の石管が通っている。肥後の石工の技術レベルの高さを証明する歴史的建造物であり、国の重要文化財に指定されている。なお通潤橋を含む通潤用水は日本を代表する用水のひとつとして農林水産省の疏水百選に選定され、橋と白糸台地一帯の棚田景観は、通潤用水と白糸台地の棚田景観の名称で国の重要文化的景観として選定されている。

橋の中央上部両側に放水口が設置されており(川の上流側に2つ、下流側に1つ)、灌漑利用が少ない農閑期には観光客用に時間を区切って20分程度の大規模な放水を行っている[2]。この放水の本来の目的は、石管水路の内部にたまった泥や砂を除くためのものである。最近では全国から通潤橋の放水風景を見に来る観光客も多い。

この場所に石橋が建造されたのは最も谷が狭かったからであるが、200メートル程下流には五老ヶ滝(落差50m)があり原料となる石材が上下流の川底に大量に存在していたことも理由の1つである。江戸時代に造られた石橋としてはアーチの直径ならびに全体の高さは日本国内最大である。常時人が渡れるもののあくまで水路のための橋であるため手摺等は一切ないが、これまで転落した人は1人もいないという。

重要文化財指定後、水需要の増大に対応できるよう、上流の川底に送水管(内径0.8メートルのヒューム管)が埋設され、通潤用水ではこれがメインで使われるようになった。そのほか通潤橋近くの河川から取水する下井手や電気揚水施設もある。重文指定による文化財の保護目的と観光放水による漏水の発生が頻発することで、現役から引退し、その後は主に放水用に通水されている。(ただし、定期的にメンテナンスは行われており、大量の水が必要な時期には通潤地区土地改良区が、一時使用している)

歴史
通潤橋は嘉永7年(1854年)、水源に乏しい白糸台地へ水を送るために架けられた通水橋で、石造の通水橋としては日本一である[要追加記述]。建造にあたっては地元の総庄屋であった布田保之助が中心となって計画を立て、地元の役所・矢部手永の資金や、細川藩の資金を借り、熊本八代の種山村にあった著名な石工技術者集団種山石工の協力を得、近隣農民がこぞって建設作業に参加した。

この水路付き石橋は、アーチ型の木枠(支保工)を大工が作った上に、石工が石を置き、石管と木樋(緩衝材の役目)による水路を設置して橋が完成したところで木枠を外す工法により建造された。石橋の木枠を外す最終段階には橋の中央に白装束を纏った布田翁が鎮座し、石工頭も切腹用の短刀を懐にして臨んだという逸話が残っている。

単一アーチ式水路石橋という特異な構造と物理的原理が見事に成り立っていることから、その貴重さが認められ、霊台橋より7年はやい昭和35年(1960年)に、国の重要文化財の指定を受けた。

また、くまもとアートポリス選定既存建造物にも選定され、地域の名物・象徴となっている。この地域には通潤橋の他にも規模の大きなアーチ石橋が架けられており、遠く鹿児島や東京などにも石工技術者が招かれて石橋を作った。これらは、加藤清正以来の肥後石工集団の技術の高さを示すものである。

技術
この橋は2つの地区を水路で結んでいるが橋の位置は2つの地区よりも低い位置にあるため、水を通す時には噴水管(逆サイフォン)の原理を利用している状態になる。ゴムなどのシーリング材料の無い時代であり、石で作られた導水管の継ぎ目を特殊な漆喰で繋いで漏水しないように密封して橋より高台の白糸台地まで用水を押し上げている。

通潤橋は日本の独自技術で実現した最初の噴水管(逆サイフォン)の橋と考えられており、NHKの番組「新日本紀行」などで紹介された。またこの橋の建設を物語にした『肥後の石工』という児童文学作品がある(国語の教科書への採用例もある)。

交通
・熊本交通センターから熊本バス南14系統・通潤山荘行で約1時間半、通潤橋前停留所下車。 通潤橋前停留所のひとつ手前にある中央公民館前停留所までは別の路線も走っており、有効本数が増加する。当停留所からは徒歩10分の所要となっている。

・九州自動車道御船ICから国道445号を東へ約35km

関連項目
・円筒分水(円形分水 えんけいぶんすい)
昭和31年(1956年)に笹原川(緑川上流に位置する一支流)の脇に設置され、ここで採分水された水が通潤橋を通って白糸台地へと送られている。
・眼鏡橋
・道の駅通潤橋 – 通潤橋隣の物産館がそのまま道の駅に昇格している。
・くまもとアートポリス – くまもとアートポリス’92既存選定建築物に選定。
・美しい日本の歩きたくなるみち500選
・五老ヶ滝

参考文献・出典『矢部町史』 矢部町著
『通潤橋架橋150周年記念誌』 矢部町・通潤土地改良区著
『解説版 新指定重要文化財 13 建造物III』、毎日新聞社、1982

五老ヶ滝

五老ヶ滝(ごろうがたき)は、熊本県上益城郡山都町にある滝。矢部四十八滝の一つ。昔は轟川(とどろきがわ)と呼んでいた、五老ヶ滝川の水が流れ落ちている。上流近くには通潤橋があり、周遊出来る散策路が整備されている。 下流にはダムが築かれ、やがて笹原川と合流する。古くはこのあたりに田吉橋という石橋があった。

概要
落差50mで断崖や滝壺も広く、矢部四十八滝中、千滝、聖滝、越早滝や福良滝と同規模の大きさを誇る最大級の滝である。 水量が豊富で、阿蘇カルデラ起源の溶結凝灰岩を穿って豪快に落ちる。 付近は国の重要文化財である通潤橋とあわせ公園化されており、滝前へは各方面より遊歩道で容易にアクセスが可能。 近年、滝壺側の川の上に吊り橋が架けられ、滝壺まで降りなくても、豪快な滝の姿を見ることが出来るようになった。
時間帯によって、虹が出る。歩道は濡れて滑りやすいので、靴には注意した方が良い。