月別アーカイブ: 2016年10月

伊能忠敬長崎測量止宿「大同庵」跡に記念碑建立  立正佼成会サイトの記事 ( 長崎県 )

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伊能忠敬長崎測量止宿「大同庵」跡に記念碑建立  立正佼成会サイトの記事

伊能忠敬長崎測量止宿「大同庵」跡に記念碑建立が、立正佼成会サイト2016年10月13日記事に次のとおり活動紹介としてあったので、参考に載せる。  http://www.kosei-kai.or.jp/katsudo/2016-post_227.html

伊能忠敬ゆかりの「大同庵」跡地 長崎教会の敷地内に記念碑建立

江戸時代の測量家・伊能忠敬(1745〜1818年)が、現在の長崎市内を測量した際に宿とした晧台寺(こうたいじ)末庵「大同庵」があった場所として、このほど、長崎教会の敷地内に記念碑が建立された。9月18日には、同教会で除幕式が行われ、記念碑の建設を企画した「伊能忠敬 長崎測量の顕彰碑をつくる会」の入江正利会長はじめ伊能忠敬の研究者、同市職員、同教会会員ら約50人が出席した。

日本全国を歩き回り、初の実測地図を作ったことで知られる伊能忠敬。氏が率いる江戸幕府の測量隊が「九州第二次測量」において同市内の測量を行ったのは1813年のことだった。その際、同教会敷地内にあったとされる宿「大同庵」に16日間滞在したことが記録に残っている。
同教会正門横の花壇に建てられた記念碑は高さ約1.2メートル。伊能直筆の署名や「大同庵」などの文字が刻まれ、その隣には同市による説明板が設置された。除幕式では、入江会長があいさつを述べた後、福田昌弘同教会長(西九州支教区長)ら代表者によって記念碑の除幕が行われた。

「教会の敷地が伊能忠敬のゆかりの地であることを初めて知り、とても驚いています。皆さんに楽しみながら訪れて頂けたらうれしい」と同教会総務部長。長崎街道ネットワークの会の江越弘人会長は、「ここは伊能忠敬の足跡を語る上でも重要な場所。今回、立正佼成会さまにもご理解、ご協力を頂き、感謝申し上げます。今後、全国の伊能ファンがここを訪れると思います」と期待を寄せた。

(2016年10月13日記載)

こしき岩公園の薬草講座 ( 長崎県 )

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こしき岩公園の薬草講座

2016年10月11日(火)快晴。三和公民館の薬草講座で、妻らが長崎市田手原町のこしき岩(甑岩)公園へ。さわやかな秋晴れだった。
こしき岩公園入口、グべ、シュウメイギク、コスモス、ヨメナ、パンパス、アメリカセンダンソウ、冬ワラビ、タカトウグサ(秋カラマツ)、シラヤマギク、ヒヨドリバナ、ダイコンソウ、ハクサンボク、キンミズヒキ、ママコノシリヌグイ、ウド、アカネ、ゴンヅイ、コメグミ(秋グミ)、カワラケツメイ、オナモミ、ヒキオコシ(延命草)、公園広場

江越弘人氏稿「伊能隊の宿舎となった大同庵」と「長崎の警備について」 ( 長崎県 )

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江越弘人氏稿「伊能隊の宿舎となった大同庵」と「長崎の警備について」

2016年10月8日(土)曇り一時雨。伊能忠敬測量日記に基づき、第2回は主に市対岸部の長崎測量足跡探訪ウォーキングを行なった。参加24人。この際の配布資料。
講師の長崎街道ネットワークの会会長・顕彰碑をつくる会 江越弘人先生の稿「伊能隊の宿舎となった大同庵」と「長崎の警備について」である。

◎福岡藩水ノ浦御用屋敷については、本ブログ次を参照。
大谷町にある「筑州建山」の標石は筑前屋敷の境界柱
https://misakimichi.com/archives/5436
大谷町の高台にある「筑州建山」標石の現況  長崎市大谷町
https://misakimichi.com/archives/4784
◎鵬ケ崎窯跡・佐賀藩長崎別邸跡は、現稲佐町。写真7,8枚目のとおり。何かの門柱が残る。

伊能忠敬顕彰碑建立記念足跡探訪ウォーキング  第2回(2) ( 長崎県 )

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伊能忠敬顕彰碑建立記念足跡探訪ウォーキング  第2回(2)

2016年10月8日(土)曇り一時雨。伊能忠敬測量日記に基づき、第2回は主に市対岸部の長崎測量足跡探訪ウォーキングを行なった。午前9時に飽の浦公園(荒木宗太郎宅跡)に集合。恵美須神社、水の浦公園、大鳥崎、稲佐崎、坊ケ崎(鵬ケ崎)、淵神社を歩き、梁川橋を渡って正午過ぎ、茂里町長崎新聞社前で解散した。

講師は、長崎街道ネットワークの会会長・顕彰碑をつくる会の江越弘人先生。参加者24人。伊能忠敬測量隊は、海岸線を測量しているが、幕末以降は埋め立てが進み、三菱造船所や三菱電機の工場などが建ち、当時の海岸線はたどれないので、なるべく近くの公道を歩いた。明治34年国土地理院旧版地図も参照。

伊能忠敬顕彰碑建立記念足跡探訪ウォーキング  第2回(1) ( 長崎県 )

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伊能忠敬顕彰碑建立記念足跡探訪ウォーキング  第2回(1)

2016年10月8日(土)曇り一時雨。伊能忠敬測量日記に基づき、第2回は主に市対岸部の長崎測量足跡探訪ウォーキングを行なった。午前9時に飽の浦公園(荒木宗太郎宅跡)に集合。恵美須神社、水の浦公園、大鳥崎、稲佐崎、坊ケ崎(鵬ケ崎)、淵神社を歩き、梁川橋を渡って正午過ぎ、茂里町長崎新聞社前で解散した。

講師は、長崎街道ネットワークの会会長・顕彰碑をつくる会の江越弘人先生。参加者24人。伊能忠敬測量隊は、海岸線を測量しているが、幕末以降は埋め立てが進み、三菱造船所や三菱電機の工場などが建ち、当時の海岸線はたどれないので、なるべく近くの公道を歩いた。明治34年国土地理院旧版地図も参照。

2016「長崎くんち」奉納踊の庭先回り ( 長崎県 )

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2016「長崎くんち」奉納踊の庭先回り

長崎市諏訪神社の秋の大祭「長崎くんち」が、10月7日から9日まで始まった。妻らが7日夕方から奉納踊の庭先回りを見物に行った。
元船町の傘鉾、油屋町の傘鉾、くんち見学ケネディ駐日大使の車、元船町の唐船祭、筑後町の龍踊、上町のコッコデショを写してきたよう。

ジッキョヌホー  知名町瀬利覚 ( 鹿児島県 )

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ジッキョヌホー  知名町瀬利覚

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。知名町役場から県道84号により北東へ向かうと、「瀬利覚」バス停の下にある。
画像提供は、(社)おきのえらぶ島観光協会。

ジッキョヌホー
(大島)知名町(沖永良部島) 石積井(湧水) 湧水量1907t/日 江戸期? 町有形民俗 WEB 一部C改修/昭和30年代まで現役/公園整備 集落の中央・地表近くに湧き出る島内最大の井戸/現在も集落のシンボルとして崇拝を受け、「ホーまつり」も行われている 2 B

知名町HPの観光ガイドによる説明は、次のとおり。

◆ジッキョヌホー (Jkkyo-nu-ho *spring Serikaku)
「ジッキョヌホー」とは「瀬利覚の川」という意味です。知名町の有形文化財・瀬利覚字指定民俗文化財に指定されており、 平成の名水百選にも選ばれました。
水道が普及する以前は貴重な水源として住民の生活を支えていました。現在、飲料用としての利用はなくなりましたが、農業用水や子どもたちのあそび場などとして、瀬利覚字のシンボルとなっています。毎年7月には川への感謝をこめた「ジッキョヌホー祭り」が開催されています。

東長崎地区現川の薬草講座 ( 長崎県 )

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東長崎地区現川の薬草講座

2016年10月4日(火)曇り。三和公民館の薬草講座で、妻らが長崎市東長崎地区の現川へ。駅周辺を歩いた。
JR長崎本線現川駅、オニタビフコ、アキノノゲシ、カニクサ、カナムグラ、ノアズキ?、ヒヨドリグサ、ツユクサ、ジシバリ、ベニバナボロギク、ミズヒキ、カラスウリ、ノブドウ、ゲンノショウコ、ルコウソウ、ヒガンバナ、ホシアサガオ、現川バス停、長崎市立高城小学校現川分校跡、稲穂干し

番屋跡(遠見台)  粟国村西 ( 沖縄県 )

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番屋跡(遠見台)  粟国村西

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。粟国村役場から県道185号に続く道を、粟国島西端の「筆ん崎」(マハナ展望台)に進む途中の高台にある。
画像提供は、粟国村観光協会。

番屋跡(遠見台)
(島尻)粟国村(粟国島) 遠見台、火番盛 高さ1.5mほどの石垣上に低い盛土がのる構造 1644年以降 村史跡 WEB/現地解説板 保存状態良好 先島諸島の火番盛群とは別系列の逢火台(異国船等を見た場合は、ヒータティヤーから松明で慶良間諸島に知らせた)/島で一番高い海抜96mの丘上 1 B

現地説明板は、次のとおり。

史跡 番屋跡(遠見台)
この場所は島で一番高い海抜96メートルの高台にあり、昔は番屋遠見台として異国船等が近海を通るときに、近くのヒータティヤーからタイマツで狼煙をあげ、慶良間諸島に告げ首里王府に知らせた。
指 定 昭和59年9月14日
指定者 粟国村教育委員会