月別アーカイブ: 2015年11月

大迫磨崖仏  豊後大野市千歳町長峰 ( 大分県 )

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大迫磨崖仏  豊後大野市千歳町長峰

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。国道57号沿い千歳町特産品直売所の駐車場から石段を上がるとすぐ。

県指定有形文化財《美術工芸品》
(歴史資料)  大迫磨崖大日如来坐像大迫磨崖仏

大迫区の国道57号線沿の壁面に彫り込まれた磨崖仏(まがいぶつ)。この磨崖仏の最大の特徴は、岩肌を彫り込んで大まかな像を造りだし、その上に麻などの繊維を混ぜた粘土を塗って表面を仕上げる石胎塑像(せきたいそぞう)とも称される技法で造り出されている。像高は3.3mで、鎌倉時代後期の作と推定される。
所在地:千歳町長峰1526
指定年月日: 昭和51年3月30日

一の谷の石畳  豊後大野市千歳町石田 ( 大分県 )

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一の谷の石畳  豊後大野市千歳町石田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。資料は「千歳村誌」昭和49年発行104頁から。場所は豊後大野市千歳支所に聞いて出かけた。
支所から新殿に出て中九州道のガード下をくぐり、田口、山内方面への県道668号に入る。約1.3kmほど行くと、このあたりが石田の「一の谷」という所。右手からの広い坂を上がると白い標柱がある。そこが「一の谷の石畳」だと聞いた。

坂道は入り口に「辻久保林道」と標識があり、白い標識は上がりかけるとすぐあった。古く腐りかけていたが、「寛永十二年」とか「往還」の字が読める。「一の谷の石畳」は、このあたりにあったのではないだろうか。「一部保存され見ることができる」とあるが、支所はそこがどこなのかや現況までは知らなかった。
市道舗装工事で完全に埋められたか。ガードレール標柱脇は竹が密生していた。伐り払ってまで旧道の石畳道を探す気は、私には起らなかった。

坂の上には現在、市水道施設があると聞いたから、この坂道には間違いない。坂上近く林道が分岐する入口にやや広い岩床面があったが、標柱の位置や村誌の写真から考えると、これではないだろう。

一の谷の石畳 いちのたに
豊後大野市 (石田) 石畳道 長15m程度 江戸期 市教委 その大部分が市道の下に埋もれているが、一部保存され見ることができる 岡藩の参勤交代路のため石畳を敷設(勾配がきつく難所であったため) 4 –

赤見ヶ鶴井手の切通し  豊後大野市犬飼町長畑 ( 大分県 )

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赤見ヶ鶴井手の切通し  豊後大野市犬飼町長畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道632号により犬飼町山内へ向かい、さらに進むと長小(尾)野入口バス停がある。左折して長畑橋を渡りすぐ右の豊受大神宮の方の里道へ入る。
川に水管が渡り、神社と小集落の間に井路がある。ここが長畑地区の新飼(開田の意味)という所で、この井路が「赤見ヶ鶴井手」(別名岡田井手)である。井路を上流へ遡る。切通しがある取水口までは、かなり時間を要したが、資料とした犬飼町誌104頁の写真の場所にたどり着いた。
築造年代の「元禄二己」と刻みがある岩は、はっきり刻字を確認できなかった。帰りは取水口上に県道が見えたので県道へ出て、長畑橋まで戻った。川を渡る水管は、長畑橋山手の湧水水道のものかも知れない。

赤見ヶ鶴井手の切通し
豊後大野市 (長畑)赤見ヶ鶴井手 切通し(水路) 長30m余 元禄2(1689) 市教委/WEB 保存状態良好/現役 取入口の上の岩に「元禄二己」の刻銘/岩山の下部をえぐり取るようにして造られている 1 C

長 畑 橋  豊後大野市犬飼町長畑 ( 大分県 )

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長 畑 橋  豊後大野市犬飼町長畑

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。県道632号により犬飼町山内先の長小野バス停まで行き、左折する。すぐ先の現橋の右手に平行に架かっている。

№776  長畑橋

犬飼町長畑
柴北川
橋長:22.4m  橋幅:3.6m  径間:17.4m  拱矢:4.8m
架設:1922(大正11)年
成瀬橋を渡り、800m先県道632号線へ左折。1.6Km先長小野入口バス停から左折 100m先、現橋の右手に平行に架かっています。(成瀬橋は・・・国道57号線旧千歳村役場入口から県道668号線へ3.5Km先、現成瀬橋の左下)

現橋の左手、草に埋もれています。
上流右岸側壁石が崩壊していました。

武藤家長屋門  豊後大野市犬飼町長畑 ( 大分県 )

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武藤家長屋門  豊後大野市犬飼町長畑

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。県道632号により犬飼町山内先の長小野入口バス停まで行き、左折して長畑橋を渡り上がって行くと、長畑集落内の武藤家長屋門前を通る。

武藤家門

長尾野の武藤家は元大庄屋で、邸宅北側に所在する。江戸末期の建築と推定され、南側9.25m、東側31.45m、奥行5.55mで金の手に造られ、規模の大きな建築物である。以前は草葺であったが大正時代に瓦に葺替えたという。
所在地:犬飼町長畑
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和58年1月20日犬飼町指定)

池井路のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑 ( 大分県 )

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池井路のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道632号の栗ケ畑入口バス停から谷間奥の栗ケ畑集落へ入る。池井路のトンネルは、場所的には集落の最も上の民家がある下側の栗ケ畑川源流部にある。
私は1枚目写真の民家前を通らせてもらい、井路に下り上流側へたどった。竹林内の崖面に吐き口があり、その高台を越すと、栗ケ畑川源流部といわれるやや広い川原に出る。ここに岩面を掘った呑口があった。取水口はまだ少し上流部にある。
取水口からの帰りは、植林地内の山道を上がった。シイタケ栽培地などあり、最奥と思われる民家がある市道カーブミラー地点に出た。

池井路のトンネル
豊後大野市 (上崩)池井路 素掘トンネル(水路) 長約30m 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

なお、遺産リストでは栗ケ畑地区に、次の井手、井路トンネルも登載している。「前田井手のトンネル」は、栗ケ畑川の対岸側にあるが、用水は廃路となって荒れているだろうと聞いているし、「釘野田井路のトンネル」は、地区民に聞いても場所不明なので、豊後大野市に調査をお願いしたい。

前田井手のトンネル
豊後大野市 (小野)前田井手 素掘トンネル(水路) 長32.5m(窓2ヶ所) 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

釘野田井路のトンネル
豊後大野市 (向次郎)釘野田井路 素掘トンネル(水路) 長27.5m 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

大井手のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑 ( 大分県 )

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大井手のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道632号の栗ケ畑入口バス停から谷間奥の栗ケ畑集落へ入る。大井手のトンネルは、場所的には集落の上手側、2枚目写真の農道を下った栗ケ畑川がやや弯曲した部分にあるが、崖で川に降りられないので、市道のだいぶん手前から田畑道や水路をたどって行く。
川岸の吐き口はすぐに確認できるが、上流のコンクリート壁のある取水呑口は、川中を遡って行く。農道から直接下るなら、石垣があるのではしごが必要。

大井手のトンネル
豊後大野市 (原)大井手 素掘トンネル(水路) 長約50m(窓1ヶ所) 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

天満社参道橋・寒 須 橋  豊後大野市犬飼町高津原ほか ( 大分県 )

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天満社参道橋・寒 須 橋  豊後大野市犬飼町高津原ほか

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。県道57号犬飼交差点を進み、下の原バス停先から右の県道632号に入る。、柴北の両村橋を過ぎ県道をなお高津原や栗ケ畑の方へ向かうとこの石橋がある。寒須橋は、栗ケ畑入口バス停より右折し1.7km先。

№2,588  天満社参道橋

豊後大野市犬飼町高津原
橋長:1.1m  橋幅:2.0m
単径間桁橋
県道632号線沿い。

№777   寒須(そうず)橋

犬飼町栗ケ畑
栗ケ畑川
橋長:9.7m  橋幅:4.8m  径間:7.2m  拱矢:2.5m
架設:1918(大正7)年
長畑橋から県道632号線へ戻り、県道668号線との合流点から東へ250m。
栗ケ畑入口バス停より左折、1.7Km先。
現・寒須橋の下流側に架かっています。

黒松阿蘇神社鳥居  豊後大野市犬飼町黒松 ( 大分県 )

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黒松阿蘇神社鳥居  豊後大野市犬飼町黒松

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。犬飼町黒松の県道632号沿いにある。後ろは写真は、その先の県道で見た「大野川支流 柴北川源流の碑」など。

黒松阿蘇社鳥居

黒松東区の阿蘇神社入口にある鳥居で、高さ3.15m、石材は太く、笠木の反り及び反増はほとんどない。銘文はないが、古風な特徴から南北朝時代に建立されたと考えられている。
所在地:犬飼町黒松
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成8年9月24日犬飼町指定)

蔵下井手のトンネル  豊後大野市犬飼町柴北 ( 大分県 )

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蔵下井手のトンネル  豊後大野市犬飼町柴北

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道57号犬飼交差点を過ぎ、下の原バス停先から県道632号に入る。中九州道下のトンネルを出て約1km進むと、両村橋がある。
蔵下井手トンネルの吐口は、この新橋を渡った根元にあり、南谷からの小川の上をコンクリート水路が跨ぎ、石橋の根元地下をも通っている。呑口は県道を少し進み、両村橋すぐ上流の寺田橋に曲る。橋を渡った脇から取水口へ下る道があり、鉄柵の中に素掘りトンネルを確認できる。

蔵下井手のトンネル
豊後大野市 (柴北)蔵下井手 素掘トンネル(水路) 長約300m(窓4ヶ所) 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 記録がないため詳細不明/灌漑以外に、酒・味噌・醤油の洗い水、防火用としても使われた/岡藩に灌漑用水が多いのは熊沢蕃山の影響とされる 1 C