月別アーカイブ: 2015年4月

秋月街道野町宿  筑前町弥永ほか ( 福岡県 )

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秋月街道野町宿  筑前町弥永ほか

県道386号筑前町弥永交差点から北東に集落内の県道594号に入る。弥永道標先の秋月街道野町宿の史跡など。
乃木松古墳群、石碑、浄光寺、大己貴神社、歴史の里公園、弥永一里松、老松神社、庚申塚

HP「旧街道を歩く 秋月街道」による説明は、次のとおり。

野町〜筑前・筑後国境の宿場
野町宿は、1637年に秋月藩によって設立された。当時は人が住んでいない野中であったが、周辺の村から農家を移住させて造った町である。ここに宿駅を置いたいきさつは、かなり複雑でよく理解できなかった。野町は秋月から6kmほどで近い。

弥永の道標  筑前町弥永 ( 福岡県 )

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弥永の道標  筑前町弥永

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道386号筑前町弥永交差点から北東に集落内の県道594号に入る。道標はすぐ白塀の角にある。

弥永の道標 いやなが
(朝倉)筑前町 <秋月街道> 道標(自然石) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 撤去後、再設置 「右 はかた さいふ道/左 くるめ まつさき道」 2 C

甘木歴史資料館の郡境石  朝倉市甘木 ( 福岡県 )

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甘木歴史資料館の郡境石  朝倉市甘木

甘木歴史資料館の前庭に屋外展示されている郡境石1基。資料館は甘木鉄道甘木駅の東、県道33号から少し中に入る。
説明板のとおりの郡境石だが、刻面は判読できない。詳細は不明。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

元・甘木水町の郡境石 あまぎ、みず
朝倉市 甘木歴史資料館 境界石 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設→展示/磨耗して判読不能(刻字は資料による) (正面)「従是北 夜須郡/従是南 下座郡」/夜須郡〜下座郡 2 C

甘木歴史資料館の国境石  朝倉市甘木 ( 福岡県 )

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甘木歴史資料館の国境石  朝倉市甘木

甘木歴史資料館の前庭に屋外展示されている国境石2基。資料館は甘木鉄道甘木駅の東、県道33号から少し中に入る。
説明板ではわかりにくいので、HP「筑前国境石散歩」による説明を載せる。

朝倉市白鳥

文 字 筑前)從 是 北 筑 前  以下不明   筑後)從 是 南 筑 後 國
場 所 現在の朝倉市白鳥にあった石です。甘木市(現朝倉市)の学芸員さんにお聞きしたところ、「白鳥村は少し筑後が筑前側に張り出しているめ国境石が置かれたのでは」とのことです。
現在は、甘木歴史資料館の前庭に「郡境石」と共にあります。
備 考 この石の設置に関しての資料は残ってないそうです。石自体は切りだされたままの虎目が残る石です。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

元・白鳥の国境石1 しらとり
朝倉市 甘木歴史資料館 境界石 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設→展示 (正面)「從是北 筑前…」/筑前国〜筑後国/下記の「元・白鳥の国境石2」と一対 2 C

元・白鳥の国境石2 しらとり
朝倉市 甘木歴史資料館 境界石(蒲鉾型) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 移設→展示 (正面)「從是南 筑後國」/筑前国〜筑後国/上記の「元・白鳥の国境石1」と一対 2 C

馬田の国境石  朝倉市馬田 ( 福岡県 )

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馬田の国境石  朝倉市馬田

HP「筑前国境石散歩」による説明は、次のとおり。国道500号馬田交差点から馬田小学校の裏手に行くと、馬田コミュニティセンターがある。国境石は正門右の敷地内に移設されてある。

朝倉市馬田
文 字
上) 七 十 (四?) 
筑前)従是北東筑前 以下不明
筑後)従是南西筑後國
場 所 朝倉市の馬田公民館にあります。元々の設置の場所はわかりません。
備 考 下の部分で一度折れており、修復され鉄枠で補強されています。
サイズ 高さ 92×横 24×奥行 20.5(cm)

松尾神社の大楠  朝倉市古賀 ( 福岡県 )

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松尾神社の大楠  朝倉市古賀

朝倉市HPの「市指定天然記念物」による説明は、次のとおり。県道8号が県道112号と出合う古賀茶屋交差点の少し手前右側に松尾神社はある。

松尾神社の大楠

朝倉市 天然記念物 昭和50年1月11日指定
朝倉市古賀  
樹高35.0m、胸高周囲8.1m。松尾神社の神木で、同神社の建立にかかわりを持つ。神社由来によると、醸造の神である京都松尾大社の分霊が大同2年(807)に肥後国に遷座された。それを元和2年(1616)9月29日に筑前・豊前両国の崇敬者の懇請により、肥後松尾神社から当地に奉祀した。当地を選んだ理由として大楠樹があったためとある。

山隈の国境石  筑前町山隈 ( 福岡県 )

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山隈の国境石  筑前町山隈

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。国道500号が大刀洗町から筑前町に入る山隈交差点少し手前の町境にある。説明板はなく電柱根元にあるから、見落とさないように。

山隈の国境石 やまぐま
(朝倉)筑前町 境界石(自然石) 元禄10(1697)? WEB(筑前国境石散歩) 撤去後、再設置 (正面)「從是 北・東 筑前國」/筑前国〜筑後国/解説板通りだと、かなり古い(17世紀の国境石) 2 B

とうれぎ土塁  基山町宮浦 ( 佐賀県 )

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とうれぎ土塁  基山町宮浦

現地説明板は、次のとおり。JR基山駅から基山町役場へ向かうと、県道300号に入る玉虫交差点を曲がったすぐ先の左側にある。
関屋土塁跡は、JRと国道3号線に寸断され、今は若宮神社下に標識しかないそうだ。

とうれぎ土塁
本土塁は、基肄城及び基肄郡に関連した防衛施設として築堤されたものと考えられている。
昭和50年度の調査で、この土塁より版築状にかためられた土層が確認されたことから、宮浦字宿に所存する関屋土塁との類似性が認められ、ほぼ同時期の築堤と考えらる。
なお、本土塁は、向平原丘陵と千塔山丘陵の間約350メートルを結んでいたと思われる。
昭和60年3月    基山町教育委員会

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストのデータに、次のとおり登載された。

とうれぎ土塁・跡
(三養基)基山町 土塁 天智3(664)? WEB/WEB(みさき道人) 保存状態は良好 大宰府防衛のために築かれた基肄城の関連施設/水城と似ている 2 B

二・天山の郡界石(二境界石)  筑前町二 ( 福岡県 )

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二・天山の郡界石(二境界石)  筑前町二

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおりで同一。県道77号や県道112号など交差する筑前町山家道交差点から、北の筑紫野病院の方へ向かう。旧日田街道に出て丘上の墓所入口のところに郡境石がある。現在もここが町市境。

二・天山の郡界石(二境界石) ふた、あまやま
(朝倉)筑前町・筑紫野市 境界石 江戸期? WEB(筑前国境石散歩) 原位置(筑前町と筑紫野市の境界線上) (正面)「従是、西 御笠郡/東 夜須郡」/夜須郡〜御笠郡/筑紫野市サイドの地名は「天山」 1 C

天山・二の郡界石(ニ境界石) あまやま、ふた
筑紫野市・(朝倉)筑前町 <日田街道> 境界石(尖頭角柱) 江戸期 WEB(筑前国境石散歩) 原位置(筑紫野市と筑前町の境界線上) 「従是、西 御笠郡/東 夜須郡」/御笠郡〜夜須郡/筑前町サイドの地名は「二(ふた)」 1 C