月別アーカイブ: 2015年4月

前川内橋  八女市立花町前川内 ( 福岡県 )

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前川内橋  八女市立花町前川内

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。八女市街から国道3号により小栗峠の方へ向かう。廃校の中辺春中学校先から右手の市道(松尾地蔵の案内標識があった)へ入り、辺春郵便局前の道をまっすぐ進むと、立石橋がある。
立石橋の市道をさらに直進する。長瀬公民館前は右折し前川内へ向かうと、約700m先に前川内橋がある。

前川内橋 まえがわち
八女市 人道 石アーチ橋 長5.9m,S5.0m(A),幅2.6m 慶応〜明治頃(1866-70) 石橋は生きているp237 石工:中村時次郎/中央では、アーチ迫石が直接路面になっている 2 C

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,017  前川内橋

立花町前川内(まえがわち)
橋長:5.9m  橋幅:2.6m  径間:5.0m  拱矢:2.1
架設:慶応2年(1866)
黒岩橋から国道3号線を800m西進、左折。340m先長瀬公民館から前川内方面へ左折、700m先右手に架かっています

前川内の石橋群
「辺春前川内の谷には以前は四橋の眼鏡橋がありましたが天満宮前の橋が壊され現在は三橋が残っています。
いつ頃架けられたかさだかではありませんが、古老の話から推定すると慶応年間から明治初期の建造ではないかと考えられています。そしてこれらの橋は、郷土辺春が生んだ石工の棟梁、中村時次郎の業績と思われます。」
八女市教育委員会

古立石橋  八女市立花町立石 ( 福岡県 )

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古立石橋  八女市立花町立石

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。八女市街から国道3号により小栗峠の方へ向かう。廃校の中辺春中学校先から右手の市道(松尾地蔵の案内標識があった)へ入り、辺春郵便局前の道をまっすぐ進むと、立石橋がある。この細谷川すぐ上流に古立石橋が見える。

古立石橋 ふるたて
八女市 廃道 石アーチ橋 長3.0m,S2.5m(A),幅2.5m 慶応〜明治頃(1866-70) WEB 巨木と一体化し、保存状態は悪い 自然の巨岩を基礎としている/壁石は乱積み 3 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,021  古立石(ふるたていし)橋

立花町立石
細谷川
橋長:3.0m  橋幅:2.5m  径間:2.5m  拱矢:1.2m  環厚:36cm
架設:慶応2年(1866)
立石橋のすぐ上流

立 石 橋  八女市立花町立石 ( 福岡県 )

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立 石 橋  八女市立花町立石

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。八女市街から国道3号により小栗峠の方へ向かう。廃校の中辺春中学校先から右手の市道(松尾地蔵の案内標識があった)へ入り、辺春郵便局前の道をまっすぐ進むと、立石橋がある。この細谷川すぐ上流に古立石橋が見える。
「立石橋の古い疑宝珠柱は辺春中学校の校門側にあり」とあるが、廃校となった中学校は竹の集荷場となって立入禁止。どこにあるのかわからなかった。

№1,020  立 石 橋
立花町立石
市指定文化財
細谷川
橋長:5.4m  橋幅:5.5m  径間:5.1m  拱矢:2.5m  環厚:39cm
架設:明治23年(1890)
江後橋から長瀬公民館のところまで戻り、辺春川沿いに500m北上した地点に架かっています

「辺春の立石浦を流れる細谷川が辺春川に注ぐ少し手前にかかる小さな可愛い橋で橋の長さ3.0m、径間2.5m、幅2.5mでこじんまりと整っているが、自然石の巨岩をふまえて厚手のアーチ石を豪快に積み上げた様は快力男が太い両足をどっかと踏ん張った様子を思わせる。旧国道が開通するまでは肥後道の眼鏡橋で大ぜいの人々がこの橋を渡って往来した。
手前の旧国道の足下に立石橋があり、旧国道であったため上部はコンクリート舗装をされているが、清流の上に美しいアーチが残っている。
この立石橋の古い疑宝珠柱は辺春中学校の校門側にあり、特異な八角柱に「たていしはし」と彫ってあり、しとはは変体仮名で書かれ、一方の柱には「明治二十三年三月架」と刻してある。」
八女市教育委員会

津江神社の大クス  八女市黒木町今 ( 福岡県 )

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津江神社の大クス  八女市黒木町今

八女市HPの「文化財(天然記念物)」による説明は、次のとおり。八女市黒木町の市街地、国道442号津江神社前交差点のところにある。

津江神社の大クス (つえじんじゃのおおくす)

平安最末期の嘉応元年(1169)、初代・猫尾城主源助能が津江神社の創建時に植栽されたと伝えられています。
樹齢約830年、幹周り約15m、樹高約40mを測ります。主幹通りは円錐形の根上がり樹形で、枝張りは全方向に伸長し極めて美しい樹冠を保っています。

八女市黒木の重要伝統的建造物群保存地区  八女市黒木町黒木 ( 福岡県 )

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八女市黒木の重要伝統的建造物群保存地区  八女市黒木町黒木

国指定文化財等データベースによる説明は、次のとおり。国道442号から入った黒木町今交差点近く、八女市黒木体育センター横の駐車場から、南へ行くとこの町並みがある。

重要伝統的建造物群保存地区

名称: 八女市黒木
ふりがな: やめしくろぎ
種別1: 在郷町
面積: 18.4
選定年月日: 2009.06.30(平成21.06.30)
選定基準1: (三)伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの
所在地: 福岡県八女市

解説文: 黒木町は、福岡県筑後地方の南部、矢部川と笠原川の合流点の北西に形成された。天正15年(1587)に現在の下町が、慶長年間に中町、上町が町立てされたと推定され、中井手用水も整備された。正徳4年(1714)には黒木廻水路が整備され、現在の町並みや水路の基礎ができた。<br>保存地区は、高度な水利技術で知られる矢部川の中流域に近世前期に成立した在郷町を中心とし、矢部川右岸の黒木町、矢部川の水面及び左岸に広がる農地を含む。近世後期以降の居蔵造の重厚な町家が残るとともに、矢部川の堰や木橋、町中を流れる水路、矢部川対岸の棚田など水利にまつわる歴史的風致を良く残す。

黒木の大藤  八女市黒木町黒木 ( 福岡県 )

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黒木の大藤  八女市黒木町黒木

八女市HPによる説明は、次のとおり。国道442号から入った黒木町今交差点近くの体育センター横駐車場から、南の市街地へ行くと素盞嗚神社がある。

黒木大藤

黒木大藤は、1395年、後征西将軍良成親王のお手植えと伝えられ、幾多の戦と大火に見舞われながらも、樹齢600年以上を数える今でも力強く、また、たくましく生き続ける長寿の藤として全国に知られるようになり、国の天然記念物に指定されています。
黒木の大藤がある素盞嗚神社には、約3,000㎡もの広大な藤棚が広がっており、毎年4月中旬ごろに開花し、1mを超える紫色の花房を垂下させます。
開花期間中に開催される黒木大藤まつりには、全国から約20万人もの人が訪れ、藤の美しさに感動されます。

国鉄黒木駅跡とC11形蒸気機関車  八女市黒木町今 ( 福岡県 )

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国鉄黒木駅跡とC11形蒸気機関車  八女市黒木町今

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。国道442号から入った黒木町今交差点近く、八女市黒木体育センター横の駐車場のところに展示されている。

黒 木 駅
黒木駅(くろきえき)は、かつて福岡県八女郡黒木町(現・八女市)大字今にあった、日本国有鉄道(国鉄)矢部線の駅(廃駅)である。開業時の告示による駅名の読みは、町名と同じ「くろぎ」であったが、それ以後の『停車場一覧』では一貫して「くろき」であった。
矢部線の終着駅で、駅所在地は黒木町の中心地区の北端部にあたり、廃止まで駅舎が残り委託駅員も配置されていた。この駅から先、線名の由来となった矢部村方面への延伸は成らなかった。

歴史
1945年(昭和20年)12月26日 – 矢部線全線開通と同時に開業。
1985年(昭和60年)4月1日 – 矢部線全線廃止に伴い廃駅。

現状
駅舎・ホーム等は撤去され、交差点となっている。当駅の北側近くにC11形蒸気機関車(61号機)が駅名標とともに静態保存されている。 近くの堀川バス「中町」バス停には、2011年(平成23年)5月現在も「黒木駅前←→黒木」の隣接停留所表記が残る。

中原トンネルから黒木駅跡までは道路化されており、黒木駅跡は八女市黒木体育センターとなっている。黒木駅跡を示す駅名標と国鉄C11形蒸気機関車が体育センターのすぐ横に設置されていたが、近年センター横の駐車場の整備に伴い移設され駅名標は新しいものになっている。

込野廻水路  八女市黒木町込野 ( 福岡県 )

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込野廻水路  八女市黒木町込野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道442号黒木町田本交差点西から矢部川の橋を渡り、川沿いの市道を下流へ下る。込野堰と取水口があるが、水門は改修工事中(ブルーシートを被せている)。先の市道も通れず、水路に水は流れていなかった。
国道442号を西へ戻り、湯辺田のかまや橋を渡り、県道715号に入る。ここに水路は流れ、「込野用水路記念碑」があった。

込野廻水路 こみの
八女市 矢部川(左岸) 迂回用の水路 長1382m 宝暦12(1762)以降 WEB/町教委 取水部はコンクリート堰に改修/水路は保存良好 柳川領/惣河内廻水路に対抗/込野堰→(惣河内堰を迂回) 2 C

大梅のヤブツバキ  黒木町木屋立石 ( 福岡県 )

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大梅のヤブツバキ  黒木町木屋立石

現地説明板は、次のとおり。国道442号黒木町木屋の光源寺バス停南に案内標識がある。大梅公民館近くに大梅天満神社がある。

天然記念物(植物)
大梅のヤブツバキ (町指定文化財)
指 定 昭和57年3月31日
所 定 黒木町大字木屋字立石
概 要
この椿は樹齢推定350年、樹高6.8m、枝張り東西10.5m、南北9.4m、胸高の幹廻りは1.6mもある大木である。
毎年春には真っ赤な美しい花を咲かせるみごとなヤブツバキである。
鑑賞木としてもすぐれているが、昔から天満宮の神木としても崇ばられている。
参 考
椿の品種は、2000種類以上といわれている。熱帯・亜熱帯地方に多く、日本での北限は青森県とされている。
江戸時代の武家屋敷には椿は植えていけないといわれていた。それは椿の花が散るとき、赤いまま、そっくり落ちるので首が落ちる不吉なものとされていた。
しかしこれはコジツケであり、日本では万葉の時代(千年以前)からめでたい花として鑑賞されていた。他の花に先きだって早く咲き春をよぶ樹(椿)として、宮中では榊の代用に使われていた。正月には松・竹・椿と用いられていたのが、後に中国式の松・竹・梅となったものである。
黒木町教育委員会

日向神ダム  八女市黒木町大渕 ( 福岡県 )

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日向神ダム  八女市黒木町大渕

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。国道442号沿いに日向神ダムはある。

日向神ダム

日向神ダム(ひゅうがみダム)は福岡県八女市黒木町大渕、一級河川・矢部川本流上流部に建設されたダムである。
福岡県が管理する高さ79.5メートルの重力式コンクリートダムで、福岡県が最初に施工・管理を行った都道府県営ダムであり、県営ダムとしては現在最も規模が大きいダムでもある。1953年(昭和28年)6月の昭和28年西日本水害を契機に矢部川の治水と大牟田地域への電力供給を目的とした補助多目的ダムとして建設された。ダムによって形成された人造湖は日向神湖(ひゅうがみこ)と命名された。