月別アーカイブ: 2015年3月

田主丸町牧の郡境石  久留米市大橋町牧 ( 福岡県 )

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田主丸町牧の郡境石  久留米市大橋町牧

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道210号の善導寺先、大橋三叉路交差点から北へ県道742号に入る。大橋小学校先の大橋を渡った右の巨勢川すぐ上流堤防道路土手に郡境石はある。

田主丸町牧の郡境石 たぬしまる、まき
久留米市 巨瀬川堤防上<豊後街道> 境界石 高160㎝,幅21㎝,厚35㎝ 元禄8(1695) WEB(筑前国境石散歩) 原位置? (正面)/「東 竹野郡/西 山本郡」/竹野郡〜山本郡/17世紀の郡境石 1 B    

石浦大橋  久留米市大橋町合楽(歴史公園内) ( 福岡県 )

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石浦大橋  久留米市大橋町合楽(歴史公園内)

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。国道210号の善導寺先、大橋三叉路交差点から北へ県道742号に入る。大橋小学校の手前が「おおはし歴史公園」である。最後の写真が現在の大橋。

№1,979 石浦大橋

福岡県久留米市大橋町合楽1082(歴史公園内)
橋長:30m  橋幅:m   6径間桁橋
架設:元禄11(1698)年
おおはし歴史公園内に復元保存されています
子供たちの遊び場です
修理銘
礎石五個及び柱部材三本を別に展示

石浦大橋 県指定文化財
「久留米から田主丸・吉井町へと向かう筑後川沿いを走る豊後街道(豊後中道)が巨瀬川を越える地点に元禄11年(1698)に架けられた石造桁橋です。
明和2年(1765)に大規模な改修が行われています。明治初年、大正10年(1922)、昭和8年(1933)、昭和28年(1953)などに修理が行われて維持されてきました。昭和50年に交通量の増加などから解体され、石材は善導寺に保存されていましたが、地元の要望から平成10年に地域のシンボルとして「おおはし歴史公園」に復元されました。」

山本町豊田の郡境石  久留米市山本町豊田 ( 福岡県 )

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山本町豊田の郡境石  久留米市山本町豊田

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道210号田主丸の東、日野曽根交差点から南へ県道151号に出る。西へ戻るとグリーンヒルB棟角に郡境石はある。所在図のとおり。

山本町豊田の郡境石 やまもと、とよだ
久留米市 県道151号沿い 境界石 高195㎝,22.5㎝角 元禄8(1695) 市有形民俗 市教委/WEB(筑前国境石散歩) 原位置? (正面)「東 山本郡/西 御井郡、分界」/山本郡〜御井郡/17世紀の郡境石 1 A

現地説明板は、はっきり写せない。HP「久留米市の文化財」による説明は、次のとおり。裏面に「元禄八年
(1695)次乙亥十一月日建焉」文字が刻み込まれていますとあるが、確認忘れ。調整画像で見るが、判読不明。
後の記事とする巨瀬川堤防上の同じ郡境石では、年号刻字がはっきりわかる。

47 山本郡・御井郡郡界標

種 別:有形民俗文化財(昭和49年4月25日 市指定)
所在地:久留米市山本町豊田1-1
アクセス:西鉄バス「放光寺」下車徒歩5分

江戸時代、久留米藩は参府街道とともに豊後国や肥前国へ通じる街道を整備しました。そのなかで天領のある日田へ通じる街道として、耳納山地の北麓を通り草野を経る山辺道と、筑後川沿いを通り田主丸を経る中道などを整備しました。久留米から豊後国までには4郡(御井郡・山本郡・竹野郡・生葉郡)を通り抜けますが、街道筋の郡界にはそれぞれ境界標が建てられたようです。
この郡界標は、山辺道の山本郡と御井郡の境に建てられたものです。標石は、22.5cm方、地表高195cmの方柱で、表面に(道路に面する)「東山本郡・西御井郡分界」、裏面に「元禄八年(1695)次乙亥十一月日建焉」の文字が刻み込まれています。また同じ「山本郡・御井郡」の郡界標が中道で太郎原町と善導寺町の境である、津遊川付近にもあったようです。その他に「山本郡・竹野郡」郡界標が大橋町合楽に、さらに藤山町から広川町を経る街道にも「御井郡・上妻郡」郡界標が見られます。郡界標は、本来木製であったようですが、『米府年表』に元禄10年、切石に取り替えた記事があります。

大堰神社恵比須のエノキ  大刀洗町冨多 ( 福岡県 )

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大堰神社恵比須のエノキ  大刀洗町冨多

現地説明板は、次のとおり。大刀洗町役場前の県道14号を直進して東へ行く。カーブするところにすぐ恵比須があり、大堰神社の参道口手前となる。

私たちの町の象徴植物  エノキ[榎]
大堰神社の榎は、ニレ科の落葉高木で樹齢数百年と言われています。昭和初期から恵比須様の御神木として親しまれて来ました。
昭和60年の町制施行30周年を記念して、町の木に指定しました。私たちの町の”緑のシンボル”として大切に保護し、育成に努めましょう。
昭和62年3月   福岡県・大刀洗町

床島堰用水路江戸前水道  大刀洗町冨多 大堰公園 ( 福岡県 )

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床島堰用水路江戸前水道  大刀洗町冨多 大堰公園

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。大刀洗町役場前の県道14号を直進して東へ行く。カーブするところにすぐ大堰神社があり、その下に大堰公園があって、小石原川の江戸前橋へ出る。大堰神社の直下を用水路は通っている。

床島堰用水路江戸前水道 とこじま
(三井)大刀洗町 大堰公園、筑後川 石組水路 正徳2(1712) WEB/町教委 「享保十二年」銘の石材が南水道に残る/北水道は僅かに保存 普請総裁:草野又六/筑後川の水を引き、南北の二水道に分け、水配分を自在にコントロールした 4 B 筑前・筑後兼用の国境

大堰公園内の現地説明板は、次のとおり。

床島堰用水路江戸前水道    (南北水路)
所在地  三井郡大刀洗町大字富多
床島堰は正徳2(1712)年に難工事の末、完成したが、関連施設で現在当時の面影を残すものは多くない。その中で昔をしのぶものができるものとして水門に使われていた「享保十二年」銘の石材が南水道に残っている。
筑後川の水は恵利堰から床島用水を経て、江戸前に至り大堰神社の地点で大きく二分されていた。水路は小石原川を潜り、南北の二水道にわかれ、南北水門を経て各支線へと分岐された。南水道の水門を開けば、深々と真っ青の水が力強く大城・金島方面に流れていた。北水道の水門を開くと勢いのよい水が白波をたてて中川を経て北野・味坂方面にはしり、各々多数の支線によって各村にいきわたっていた。水門を閉じると水路の水はことごとく小石原川に落ち込み、その運用は誠に自由自在であった。
現在、改修工事によって以前の南北水道は南の一水路にまとめられ、往時の姿は失われた。その中で、わずかに保存された北水道に当時の面影を残すのみとなった。
平成11年   大刀洗町

同文は、HP「たちあらい れきしびじょん ーまちの文化財ー」にあるので参照。
http://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/imgkiji/pub/detail.asp?c_id=75&id=16&pg=1&m_id=&mst=0&wd=

本郷の国境石  大刀洗町本郷 ( 福岡県 )

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本郷の国境石  大刀洗町本郷

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道322号が朝倉市との市境に入る大刀洗町本郷の陣内交差点角にある。上部にナンバー「十六」と刻む。

本郷の国境石 ほんごう
(三井)大刀洗町 <秋月街道> 境界石 高101㎝,幅22㎝,厚18.5㎝ 寛政8(1796)? WEB(みさき道人) 移設 (正面)「従是西北 筑前國」、(裏面)「従是南 筑後國」、(天端)「十六」/筑前〜筑後/1つの境界石の両面に相対する国名が刻まれているのは稀(文字は別々に彫った) 2 C

冨多の郡境石(御井・御原郡境石)など  大刀洗町 太刀洗町中央公民館 ( 福岡県 )

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冨多の郡境石(御井・御原郡境石)など  大刀洗町 太刀洗町中央公民館

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道14号などで大刀洗町の中心へ行く。西鉄大堰駅近く。大刀洗町役場の左隣りが大刀洗町中央公民館である。
前庭に展示されている3本のうち、中央が郡境石(写真は、正面が6枚目,裏面が7枚目)。右、左は国境石。

冨多の郡境石(御井・御原郡境石) とみた
(三井)大刀洗町 太刀洗中央公民館 境界石 高147㎝,幅21.5㎝,厚20.5㎝ 天保9(1838) WEB(筑前国境石散歩) 移設 (正面)「従是、南 御井郡/北 御原郡境」/御井郡〜御原郡 3 C

現地説明板は、次のとおり。

大刀洗町に残る境石

大刀洗町はむかしの国でいう筑後国で筑前国との境界にあり、郡でいう御原郡で筑前国の馬田郡や下座郡、筑後国の御井郡や生葉郡との境にあります。国と国の境は、江戸時代では藩の境でもあり、特に筑後・筑前の境にあたる稲数付近は領地や水などを巡っての争いが絶えず、争いをなくすため国境石が数多く建立されました。
稲数付近に多く残る境石は幅22㎝、厚さ16㎝、高さ1.3m前後の断面が長方形に整形された石材で、一面に「従是○○筑後國」、対面に「従是○○筑前國」と刻まれています。また、境石が失われたり、位置が不明になったときの目印のための「控石」もいくつか建てられており、現在二箇所で見ることができます。幅・厚さ30㎝、高さ1m以上の断面が正方形に整形されています。

ここ、大刀洗町中央公民館の前には、ほ場整備の際、稲数で掘り出された2本の国境石と冨多で掘り出された1本の郡境石があります
向かって右側の境石の一面には 「従是南筑後國」、対面には「従是北筑前國」と刻まれています。
左側の境石には一面に「従是西北筑後國」、対面には「従是東筑前國」と刻まれています。
中央は郡境石で一面に 「従是 南御井郡 北御原郡 境」、対面に「天保九年戌戌歳 七月吉日」 と刻まれています。形状・規模も国境石とは異なっています。
これらの境石は、郷土の歴史を知るうえで貴重な資料です。
平成14年3月    大刀洗町教育委員会

同文は、HP「たちあらい れきしびじょん —まちの文化財—」にあるので参照。
http://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/imgkiji/pub/detail.asp?c_id=75&id=18&pg=1&m_id=&mst=0&wd=

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり変更・登載された。

冨多の郡境石(御井・御原郡境石) とみた
(三井)大刀洗町 太刀洗町中央公民館 境界石 高147㎝,幅21.5㎝,厚20.5㎝ 天保9(1838) WEB(筑前国境石散歩) 掘り出されたものを移設 (正面)「従是、南 御井郡/北 御原郡、境」/御井郡〜御原郡 2 C

元・稲数の国境石1 いなかず
(三井)大刀洗町 太刀洗町中央公民館 境界石 江戸期 WEB(みさき道人) 掘り出されたものを移設 (正面)「従是東 筑前國」、(裏面)「従是西北 筑後國」/筑前〜筑後/天端に数字がないので、上記「本郷の国境石」と建立年代が異なる可能性あり 2 C

元・稲数の国境石2 いなかず
(三井)大刀洗町 太刀洗町中央公民館 境界石 江戸期 WEB(みさき道人) 掘り出されたものを移設 (正面)「従是北 筑前國」、(裏面)「従是南 筑後國」/筑前〜筑後/同上 2 C

横武クリーク公園のクリーク  神埼市横武 ( 佐賀県 )

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横武クリーク公園のクリーク  神埼市横武

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。神埼警察署から県道48号により西へ向かう。JR長崎本線と交差した先の西郷交差点に案内標識があり、左折して行く。
横武クリーク公園は、横武城跡である。アーチ橋が3橋ほどあるが、すべて鋼鉄に板張り。

横武クリーク公園のクリーク よこたけ
神埼市 横武 クリーク 江戸期? WEB 公園化 干満の差の大きい有明海沿岸特集の農村集落の形態 2 B

城原川の百間土居  神埼市城原 ( 佐賀県 )

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城原川の百間土居  神埼市城原

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。神埼から県道21号を北上。飯町交差点から左折して仁比山保育園の方へ向かうと、その先の城原川に朝日橋がある。現地説明板がここの土手に建っている。

城原川の百間土居 じょうばる、ひゃっけん
神埼市 城原川 石堤防 長約200m 寛永11(1634)以前 現地解説板 石がほとんど見えない 成富兵庫茂安/農地開発のため、城原川の流路を西行させる目的で築かれた石垣積みの堤防 2 B

三千石井堰・城原川下流部の草堰群  神埼市城原ほか ( 佐賀県 )

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三千石井堰・城原川下流部の草堰群  神埼市城原ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。神埼から県道21号により仁比山公園下まで行く。西側を流れる城原川の川岸へ出て、川沿いにJR長崎本線のあたりまで下った。所在図のような井堰を見た。写真3,4が「殿の井戸」だが、全面改修されているため対象外。
写真8〜11が「三千石井堰」。「三千石頭首工(佐賀県)」は、九州農政局HPから。

三千石井堰 さんぜんごく
神埼市 城原川→横路川 石取水堰 長35m 江戸初期 WEB 原形をほぼ保つ 川久保の邑主・神代氏の采配により荒地への導水のため築造/成富兵庫の築造と記した資料もあるが関与の程度は不明/用水の取水口に天狗の鼻と象の鼻を設けたかのように解説しているWEBサイトもあるが、何でも成富兵庫や石井樋と結びつける風潮は感心しない 1 B

城原川下流部の草堰群 じょうばる
神埼市 城原川 取水堰 江戸期? 岩屋隆夫 当初形態を保持しているかどうかも不明 木杭列の間に割石が並べてある 2-4 C