床島堰用水路江戸前水道  大刀洗町冨多 大堰公園 ( 福岡県 )

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床島堰用水路江戸前水道  大刀洗町冨多 大堰公園

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。大刀洗町役場前の県道14号を直進して東へ行く。カーブするところにすぐ大堰神社があり、その下に大堰公園があって、小石原川の江戸前橋へ出る。大堰神社の直下を用水路は通っている。

床島堰用水路江戸前水道 とこじま
(三井)大刀洗町 大堰公園、筑後川 石組水路 正徳2(1712) WEB/町教委 「享保十二年」銘の石材が南水道に残る/北水道は僅かに保存 普請総裁:草野又六/筑後川の水を引き、南北の二水道に分け、水配分を自在にコントロールした 4 B 筑前・筑後兼用の国境

大堰公園内の現地説明板は、次のとおり。

床島堰用水路江戸前水道    (南北水路)
所在地  三井郡大刀洗町大字富多
床島堰は正徳2(1712)年に難工事の末、完成したが、関連施設で現在当時の面影を残すものは多くない。その中で昔をしのぶものができるものとして水門に使われていた「享保十二年」銘の石材が南水道に残っている。
筑後川の水は恵利堰から床島用水を経て、江戸前に至り大堰神社の地点で大きく二分されていた。水路は小石原川を潜り、南北の二水道にわかれ、南北水門を経て各支線へと分岐された。南水道の水門を開けば、深々と真っ青の水が力強く大城・金島方面に流れていた。北水道の水門を開くと勢いのよい水が白波をたてて中川を経て北野・味坂方面にはしり、各々多数の支線によって各村にいきわたっていた。水門を閉じると水路の水はことごとく小石原川に落ち込み、その運用は誠に自由自在であった。
現在、改修工事によって以前の南北水道は南の一水路にまとめられ、往時の姿は失われた。その中で、わずかに保存された北水道に当時の面影を残すのみとなった。
平成11年   大刀洗町

同文は、HP「たちあらい れきしびじょん ーまちの文化財ー」にあるので参照。
http://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/imgkiji/pub/detail.asp?c_id=75&id=16&pg=1&m_id=&mst=0&wd=