冨多の郡境石(御井・御原郡境石)など 大刀洗町 太刀洗町中央公民館
サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道14号などで大刀洗町の中心へ行く。西鉄大堰駅近く。大刀洗町役場の左隣りが大刀洗町中央公民館である。
前庭に展示されている3本のうち、中央が郡境石(写真は、正面が6枚目,裏面が7枚目)。右、左は国境石。
冨多の郡境石(御井・御原郡境石) とみた
(三井)大刀洗町 太刀洗中央公民館 境界石 高147㎝,幅21.5㎝,厚20.5㎝ 天保9(1838) WEB(筑前国境石散歩) 移設 (正面)「従是、南 御井郡/北 御原郡境」/御井郡〜御原郡 3 C
現地説明板は、次のとおり。
大刀洗町に残る境石
大刀洗町はむかしの国でいう筑後国で筑前国との境界にあり、郡でいう御原郡で筑前国の馬田郡や下座郡、筑後国の御井郡や生葉郡との境にあります。国と国の境は、江戸時代では藩の境でもあり、特に筑後・筑前の境にあたる稲数付近は領地や水などを巡っての争いが絶えず、争いをなくすため国境石が数多く建立されました。
稲数付近に多く残る境石は幅22㎝、厚さ16㎝、高さ1.3m前後の断面が長方形に整形された石材で、一面に「従是○○筑後國」、対面に「従是○○筑前國」と刻まれています。また、境石が失われたり、位置が不明になったときの目印のための「控石」もいくつか建てられており、現在二箇所で見ることができます。幅・厚さ30㎝、高さ1m以上の断面が正方形に整形されています。
ここ、大刀洗町中央公民館の前には、ほ場整備の際、稲数で掘り出された2本の国境石と冨多で掘り出された1本の郡境石があります
向かって右側の境石の一面には 「従是南筑後國」、対面には「従是北筑前國」と刻まれています。
左側の境石には一面に「従是西北筑後國」、対面には「従是東筑前國」と刻まれています。
中央は郡境石で一面に 「従是 南御井郡 北御原郡 境」、対面に「天保九年戌戌歳 七月吉日」 と刻まれています。形状・規模も国境石とは異なっています。
これらの境石は、郷土の歴史を知るうえで貴重な資料です。
平成14年3月 大刀洗町教育委員会
同文は、HP「たちあらい れきしびじょん —まちの文化財—」にあるので参照。
http://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/imgkiji/pub/detail.asp?c_id=75&id=18&pg=1&m_id=&mst=0&wd=
サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり変更・登載された。
冨多の郡境石(御井・御原郡境石) とみた
(三井)大刀洗町 太刀洗町中央公民館 境界石 高147㎝,幅21.5㎝,厚20.5㎝ 天保9(1838) WEB(筑前国境石散歩) 掘り出されたものを移設 (正面)「従是、南 御井郡/北 御原郡、境」/御井郡〜御原郡 2 C
元・稲数の国境石1 いなかず
(三井)大刀洗町 太刀洗町中央公民館 境界石 江戸期 WEB(みさき道人) 掘り出されたものを移設 (正面)「従是東 筑前國」、(裏面)「従是西北 筑後國」/筑前〜筑後/天端に数字がないので、上記「本郷の国境石」と建立年代が異なる可能性あり 2 C
元・稲数の国境石2 いなかず
(三井)大刀洗町 太刀洗町中央公民館 境界石 江戸期 WEB(みさき道人) 掘り出されたものを移設 (正面)「従是北 筑前國」、(裏面)「従是南 筑後國」/筑前〜筑後/同上 2 C