月別アーカイブ: 2014年10月

紫尾山のアカガシ  出水市大字武本 上宮岳国有林

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

紫尾山のアカガシ  出水市大字武本 上宮岳国有林

HP「九州の巨樹・巨木たち」による説明は、次のとおり。林野庁の巨木百選に選ばれたこの「紫尾山のアカガシ」は、平成16年8月の台風で倒壊。その現況を確認に行った。
場所がわかりにくいが、上宮神社から周辺を一周する遊歩道の木道跡があるので、丹念にたどると着く。

紫尾山のアカガシ  

所在地 : 鹿児島県出水市大字武本、上宮岳国有林
樹齢 : 200年  樹高 : 20m  幹回り:4.5m
森の巨人たち百選
鶴の飛来地で知られる出水市と薩摩郡宮之城町との境界に北薩摩の名峰「紫尾山(1067m)」があります。
北薩地方では唯一つの1000mを越す山で、八合目付近から山頂にかけては、ブナやアカガシ、ウラジロガシ、イスノキなど豊富な自然林が残され、現在、県立自然公園 「紫尾山広葉樹の森」として整備されています。
林野庁の巨木百選に選ばれたこの「アカガシ」は、登山道途中の九合目近く、上宮神社から少し登った道左手100m (車道からは上宮神社鳥居から神社への道を少し下った右手100m)の所に武骨な木肌を見せ、森の主のような顔をして立っています。
付近一帯はブナやアカガシの巨木が目に付きますが、一方ブナなどの老齢巨木の倒木も数多く見受けられ、世代交代が進んでいるようにも見受けられます。 (ブナ科常緑高木)

ブログはしばらくご無沙汰でした。前回の鹿児島県は、後半が雨にたたられ、いったん帰崎。未訪問のところと調査もれのめぼしいところを訪ねるため、台風が去った10月14日から20日まで、再び鹿児島県へ出かけた。以下、順序をおってその記事を載せる。

長崎の西空の夕日  14−02

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

長崎の西空の夕日  14−02

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。夕日シリーズは以降も続く。

写真  1       2014年 9月 9日の 5時48分頃  朝明けの月
写真  2〜  4  2014年 9月28日の18時07分頃
写真  5〜  8  2014年10月10日の 6時26分頃  朝明けの月 (皆既月食の翌々朝)

鮎帰滝  南島原市有家町尾上

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

鮎帰滝  南島原市有家町尾上

HP「長崎県 まるまる島原半島」による説明は、次のとおり。島原半島ジオパーク推進連絡協議会の現地説明板は、写真のとおり。

鮎帰りの滝 (アユガエリノタキ)

有家川の水源である泉水から1,000m、俵石から1Kmの地点、湯河内地区に鮎帰りの滝があります。
高さ13.7m、巾1.7mの白糸の滝で、美しい滝として知られています。
広さ約7.3aともいわれる巨大な一枚岩が、滝の上一面を覆い、清流は冷たく夏は近くの茶屋でソーメン流しを楽しむことができます。

殿様道路(下往還)の石畳  南島原市有家町堂崎

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

殿様道路(下往還)の石畳  南島原市有家町堂崎

「有家町名勝・史跡探訪マップ」による説明は、次のとおり。国道251号有家町の東側となる「堂崎公民館」裏手の坂に石畳道が残る。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。

⑳殿様道路(下往還)の石畳

島原城大手門を起点とする南目方面の一部。石畳が当時を偲ばせる。

唐人常夜灯  南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

唐人常夜灯  南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)

「旅ログ」長崎県による説明は、次のとおり。
鹿児島から天草経由で帰り、南島原は「近世以前の土木・産業遺産」サイトの画像撮影のため立ち寄った。最後の2枚の写真は、口之津公園下の「口之津歴史民俗資料館」屋外展示物。

唐人常夜灯

長崎県南島原市口之津町大泊 (口之津公園内)
スポットの説明
口之津港頭の高台(口之津公園)にあり、高さ3.8m、2.1m四方形の石積みの灯明台で、寛永19年(1642年)に造営された琴平宮の献灯で、航行船舶の標識として利用された。明治13年口之津灯台建設後は、専ら琴平宮の献灯としていたのである。明治17年の夏の台風によって琴平宮が倒壊したため灯明台のみが残っている。
文化財  市町村指定重要文化財

池田湖  指宿市

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

池田湖  指宿市

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。後ろ2枚の写真は、南薩パノラマライン(広域農道)ポケットパークからの眺望。

池田湖

池田湖(いけだこ)は、鹿児島県の薩摩半島南東部にある直径約3.5km、周囲約15km、ほぼ円形のカルデラ湖。九州最大の湖である。湖面の標高は66m、深さは233mで、最深部は海抜-167mとなる。湖底には直径約800m、湖底からの高さ約150mの湖底火山がある。池田湖を含む窪地地形は池田カルデラと呼ばれている。 池田湖は古くは開聞の御池または神の御池と呼ばれており龍神伝説がある[1][2]。

地質学側面
約5500年前、阿多カルデラに関連した火山活動があり、合計約5km3の軽石や火山灰を噴出した。噴出物の抜けた後に地面が落ち込むことによって池田カルデラが形成され、カルデラの底に雨水が溜まることによって池田湖が形成された。ほぼ同時期に山川湾、成川盆地、鰻池、池底、松ヶ窪などの地形も形成されており、これらの噴火口群とともに池田山川としてランクCの活火山に指定されている。

開聞岳の噴出と池田湖の陥没が連動して起きたという俗説があるが、地質学的観点では両者の活動時期に1000年以上の時間差があり、池田カルデラの大きさに見合う火山噴出物(池田湖テフラ)が周辺の地層に残されていることなどから、直接的な因果関係はないとされている[3]。

環境の変化
1929年(昭和4年)の観測では透明度26.8mと当時世界第7位であったが、その後、生活排水や工業廃水の流入などによって汚染が進み、1983年(昭和58年)には赤潮が発生するに至った。このため「池田湖ブルー化計画」が策定され水質改善の活動が進められている。

また、冬季の平均気温上昇によって、この季節に以前あった湖水の鉛直循環が1980年代後半、停止してしまった。合わせて表層水の富栄養化傾向の影響も加わり、湖の底層水の酸素濃度の低下が進み、1990年代以降は、湖底における溶存酸素濃度が0mg/lの状態が続いている。 このため、湖底では好気性生物が死滅した。 水深233mの水底は硫化水素による黒っぽい泥が堆積している。

イッシー
1961年頃より池田湖には巨大水棲生物が存在していると噂され、ネス湖の未確認生物ネッシーになぞらえて「イッシー」と呼ばれていた。1978年9月3日には指宿市池崎地区の住民約20名によりイッシーが目撃され、全国で報道されたため有名となる。湖に生息する市天然記念物のオオウナギは体長が2mに達する個体もあり、これが正体ではないかとも言われている。この他出現時期から、池田湖に放流された大型魚ハクレンの魚群の誤認ではないかという説もあるが、イッシーの正体は不明。

池田湖を舞台とした作品 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
美しい日本の歩きたくなるみち500選

脚注[編集]
1.^ 白尾国柱 『麑藩名勝考』 1795年。
2.^ 橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 『三国名勝図会』 1843年。
3.^ 指宿市役所総務課市誌編さん室編 『指宿市誌』 指宿市長肥後正典、1985年。

参考文献[編集]
指宿市役所総務課市誌編さん室編 『指宿市誌』 指宿市長肥後正典、1985年。

鹿児島県のアーチ式石橋 狩集橋  指宿市西方狩集

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

鹿児島県のアーチ式石橋 狩集橋  指宿市西方狩集

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。

№845  狩集橋

指宿市西方狩集(かりあつまり)
湊川
橋長:11.4m  橋幅:4.1m  径間:9.0m  拱矢:3.0m

国道226号線から県道236号線へ1.55Km先、お店の角を右折してすぐ架かっています。

指宿報国神社のアコウ(2)  指宿市西方

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

指宿報国神社のアコウ(2)  指宿市西方

HP「人里の巨木たち 全国巨樹探訪記」鹿児島県による説明は、次のとおり。

名称 指宿報国神社のアコウ(住職に確認。「信楽寺墓地」ではなかった)
名称の典拠 なし
樹種 アコウ
樹高 15m(注1)
目通り幹囲 7.5m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 鹿児島県指宿市西方
天然記念物指定 なし
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による

日本一のアコウの目と鼻の先に、もう1本、こんなに素晴らしいアコウが立っている。
指宿報国神社の周縁部。墓石の滑らかな肌合いとは対照的な、荒々しい野性むき出しの力強い姿である。
日本一と比べられては、分が悪い。あまり注目してもらえないようだが、こちらからは、また別の魅力が感じられる。こちらも是非一緒にご覧になることをお薦めする。

指宿報国神社のアコウ(1)  指宿市西方

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

指宿報国神社のアコウ(1)  指宿市西方

HP「人里の巨木たち 全国巨樹探訪記」鹿児島県による説明は、次のとおり。

名称 指宿報国神社のアコウ
名称の典拠 なし
樹種 アコウ
樹高 15m(注1)
目通り幹囲 11.0m(注1)
推定樹齢 300年(注2)
所在地の地名 鹿児島県指宿市西方
天然記念物指定 なし
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)「全国一のアコウの木」と題された案内板による(設置者名不詳。設置年月も不詳だが、少なくとも2004年12月以前ではない)

信楽寺(しんぎょうじ)境内の一部に食い込むように指宿報国神社がある。
日本史に登場する西南戦争では、ここ指宿村からも277名が出陣。うち43名が戦没した。国家のために生命を捧げた人々の御霊を祀り、明治11年(1878)、指宿報国社としてここに鎮座。その後、日清・日露、そして太平洋戦争に殉じた人々の御霊も合祀し、昭和29年(1954)、現社号に改めた(案内板より)。
だとすれば、報国神社は設立当初から信楽寺の鎮守社ではないことになる。「信楽寺のアコウ」として紹介されることが多いが、私のサイトでは標記の名称で呼ぶことにした。
2009年7月現在、確認されているうちでは、日本一の幹囲を有するアコウである。(案内板は14.6mとしている)

揖宿神社の社叢  指宿市東方

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

揖宿神社の社叢  指宿市東方

鹿児島県教育委員会HPの「鹿児島県の文化財」による説明は、次のとおり。

揖宿神社の社叢(いぶすきじんじゃしゃそう)
【所在地】指宿市東方733番地
【種 別】県指定天然記念物
【指定年月日】平成15年4月22日

1 社叢は神社の森のことであり,揖宿神社の社叢の一部3,057㎡の区域を選定している。
2  かなり狭い神社の境内にある森に,クスノキ,エノキ,イチョウなど多くの巨樹が生育し,その樹高が20mを超えることなど,大木がまとまって群生しているのは貴重である。
3 これらの巨樹にはランの一種であるボウラン,キバナノセッコクなどの他にアコウなどの木本植物も着生している。特に,暖温帯において,アコウが締め殺し植物的な生長を示していることは注目すべきことである。
4 クシノハシダ,クワズイモ,リュウキュウスゲなどの南方系の植物も自生している。
5 まとまってクスノキ巨樹8株が生育しているのは県内において類がない。
(昭和47年指宿市指定推定樹齢約700年)
目通幹囲(m)  樹 高(m)     目通幹囲(m)  樹 高(m)
1号  6.7   約21.0    5号  9.0  約25.0
2号  5.9   約21.0    6号  6.3  約30.0
3号  8.3   約25.0    7号  9.1  約30.0
4号  8.1   約25.0    8号  6.9  約20.0
※ 樹勢はいずれも良い。