大木・岩? 山都町鶴ヶ渕付近
鶴ヶ渕バス停付近で古写真「肥後矢部の製材所」の確認を終え、美里へ県道153号で下りかけた。緑川対岸のピークは鬼が城。その右方背後の遠い稜線上に、高い突起が見えた。大木と思われるが、何か調べていない。
大木・岩? 山都町鶴ヶ渕付近
鶴ヶ渕バス停付近で古写真「肥後矢部の製材所」の確認を終え、美里へ県道153号で下りかけた。緑川対岸のピークは鬼が城。その右方背後の遠い稜線上に、高い突起が見えた。大木と思われるが、何か調べていない。
熊本県のアーチ式石橋 えのは橋 山都町白藤
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
鮎の瀬大橋の下流「猿が城キャンプ村」内の緑川引込水路にある。6〜8枚目は、えのは橋下流の桁橋。コンクリート製か。
№2,442 えのは橋
山都町(旧矢部町)白藤
緑川引込水路
橋幅:2.47m 径間:4.5m 拱矢:2.25m 環厚:45cm
架設:平成7(1995)年
施工:尾上建設㈱
鮎の瀬大橋から俯瞰できる。左岸側がえぐられています。
猿が城キャンプ村 山都町白藤
山都町観光ナビ > 観光マップ による説明は、次のとおり。鮎の瀬大橋から下って行った。
私の目的は、本ブログ次を参照。古写真「肥後矢部の製材所」の現地確認と、次の記事とするキャンプ村内石橋の撮影だった。 https://misakimichi.com/archives/3980
猿が城キャンプ村
〔 所在地 〕 熊本県上益城郡山都町白藤403-1
〔 時間/定休日 〕 4月から11月オープン
〔 利用料金 〕 入村料:200円(中学生以下100円)
バンガロー:6,300円(4人用)から 常設テント:3,675円 テント持込:525円
〔 駐車場 〕 あり
〔 交通アクセス 〕 道の駅「通潤橋」より「鮎の瀬大橋」、県道153号を経由し、約5km(約20分)。
鮎の瀬大橋から川をのぞき込むと下流側の谷深い緑川の渓谷にこのキャンプ場があります。ここでは都会の方には特に、日常とは全くかけ離れたキャンプを満喫できます。バンガロー7棟、常設テント3張り、貸しテントもあります。
鮎の瀬大橋 山都町菅
山都町観光ナビ > 観光マップ による説明は、次のとおり。
鮎の瀬大橋
〔 所在地 〕 熊本県上益城郡山都町菅488-1
〔 駐車場 〕 あり(30台)
〔 交通アクセス 〕 道の駅「通潤橋」より「あぐりろーど鮎の瀬」を経由して約5km(道路沿いの案内を参考にして下さい)約10分。
〔 備 考 〕 平成11年完成 高さ140m、長さ390m
平成11年、緑川をまたぐ、山都町菅(すげ)地区と白藤地区を結ぶ農免道路整備事業(あぐりろーど鮎ノ瀬)の一環として開通しました。「くまもとアートポリス」プロジェクトによるデザインで、高さ140m、長さ390mのY字橋脚と斜張橋との複合型のとてもめずらしい橋です。橋の上やたもとからは緑川の渓谷の風景を眺めることができます。橋のたもとには「鮎の瀬交流館」があり、地元菅地区でとれた新鮮な野菜・良質の米・加工品などの販売を行っています。
熊本県のアーチ式石橋 遊水橋・踊水橋 山都町城原
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
「種山石工技術継承講座」によって新しくできた橋。通潤橋史料館に展示写真があったので訪ねた。実習場は通潤橋の東方にある。矢部高校前通りを東進、次の畑バス停先の突当りは右折して行くと、緑地広場へ下る案内標識がある。駐車場の下側が実習広場。
ここでは2橋のようだか、最近また完成したのか、手前にも新しい橋(写真6)があった。
№6,239 遊水橋
上益城郡山都町城原 岩立
橋幅:1.8m 径間:4.0m 拱矢:0.5m 環厚:21㎝
輪石20列
種山石工養成講座の卒業製作として架けられた石橋
種山石工の技術を受け継ぐ、石工棟梁竹部光春さんの指導のもと、緑地広場に架けられました
2012年1月29日現在、名前はまだありません
2013年3月9日 上塚事務局長に命名して頂きました
要石を最終的に現場合わせで加工されたそうです
設計図では拱矢0.536mですが、実測では0.5m、少し下がったようです
№6,474 踊水橋(ようすいきょう)
上益城郡山都町城原
橋幅:1.5m 径間:2.1m 拱矢:0.13m 環厚:30.5㎝
輪石:14列
架設:2013年2月
「種山石工養成講座」の実習とし、実習橋の横に新しい石橋が架けられました
(2014年9月1日 追記)
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋をよく調べると、私はどうやら緑地広場内の次の橋を訪問忘れているので、データのみ掲げる。
№190 木鷺野橋
山都町(旧矢部町)城原
旧矢部町の緑地公園内に移築復元されています。矢部町市街地の旧国道を西に進み、緑地広場を示す小さな看板がありますので、それに従って進んでください
公園駐車場の奥にトイレがあります、そこを通り過ぎて、さらに進むと行き止まりですので、そこに車を止めて右手の小さな道を進むとこの橋があります
木鷺野(きさぎの)橋
「この橋は、矢部町島木、木鷺野の県道沿いの小川に、天保13年(1842)3月完成して架かっていた小型の眼鏡橋です。昭和63年(1988)5月3日の豪雨による災害復旧工事のため撤去されていたものをこの地に移築復元しました。
当時の橋の長さは3.5m、高さ1.97m、幅2.1m、拱矢1.55m、スパン3.2m、拱矢比0.48、人夫18人でした。輪石等の組み立てを研究するのには適当な石橋です。
矢部町にはかつて、30基の石橋があったと言われています。その多くが水害等により失われ、今では17基を数えるのみになりました。先人が残したすばらしい遺産を大切に保存して後世に残したいものです。」
周りの風景に溶け込んでいないように感じます。まだまだ長い年月がかかるのでしょうか。
熊本県のアーチ式石橋 通潤橋 山都町城原
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
4枚目以降は、通潤橋史料館とその展示内容。
№11 通潤橋
上益城郡山都町(旧矢部町)城原
五老ヶ滝川
橋長:75.6m 橋幅:6.3m 橋高:20.2m 径間:27.5m 拱矢:14.4m
架橋:嘉永七年(1854)
石工:棟梁 宇市、副棟梁 丈八(橋本勘五郎)、甚平、他のべ2万7千人
通潤橋(つうじゅんきょう) 国指定重要文化財 指定:S35.2.9
「通潤橋は灌漑用水を送るためにつくられた水路橋です。
建設者は、矢部総庄屋布田保之助、工事を担当したのは卯助・宇市・丈八ら「肥後の石工」と呼ばれる名工たちです。工事は、嘉永5年(1852)12月から1年8ヶ月を要しました。
通潤橋は何のためにつくられたのでしょうか。まわりを深い谷に囲まれた白糸台地は水に乏しく、田んぼの水はもちろん、飲み水も足りないような状況でした。
このような人々の苦しむ姿を見かねた布田保之助は、6Km離れた笹原川から水を引き、連通管の原理を利用した通潤橋を完成させました。この工事の完成により、白糸台地に100ヘクタールの水田が開けました。
橋の長さ 75.6m 橋の幅 6.3m 橋の高さ 20.2m 石管の長さ 126.9m」
山都町
福王寺石門 山都町城平
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋による説明は、次のとおり。
福王寺は、矢部高校グランドの後ろ側の通りにある。
福王寺石門
上益城郡山都町城平(旧矢部町)
福王寺
「山号医王山福王寺は、天台宗で近江国比叡山延暦寺の末寺で、天長五年(828)に俊養法師が創立したものである。阿蘇大宮司の代々の菩提所といわれ文禄年中(1592〜1596年)まで八十町歩の寺領があった。
本尊は薬師如来で脇侍の日光月光菩薩、十二神将をはじめ、阿弥陀如来等多くの仏像や神像と阿蘇家の位牌がまつられている。」 昭和六十一年七月 福王寺門徒一同
以前から訪ねたかった福王寺
石造アーチの山門
石工:山下政太郎
阿蘇南外輪の清水峠越え 南阿蘇村
清水峠(きよみずとうげ)916mは、熊本県山都町郷野原と南阿蘇村久石の間にある県道319号仏原高森線の峠である。山都町(旧矢部町)へ出るため、阿蘇南外輪のこの清水峠越えをした。
清水峠へ着くまでヘアピンカーブが続くが、南郷谷の眺めが良い。
熊本県のアーチ式石橋 円林寺橋 南阿蘇村吉田
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
№675 円林寺橋
阿蘇郡南阿蘇村(旧白水村) 吉田
橋長:8m 橋幅:2.7m 環厚:40cm
輪石:15列
南側の国道325号線旧白水村役場から100m西、標示板から南へ明神池公園あり
旧明神橋
「この石橋(旧明神橋)は白水村役場の東側を流れる明神川に架かっていました。この橋は河川改修のため、約10年前に解体されることになりましたが、貴重な石橋ですから将来移築して復原するために石材を保存することにしました。
もと通りに復原できるように、石橋のすべての石に番号をつけ解体しました。
今回組みあげる時にはその番号や写真をもとに、石の配置も昔のように復原しました。
明神池公園を整備するにあたり、明神池の清らかな水をまたぐ石橋とそて復原しましたが、石橋復原にあわせて子供達が自由に水遊びできる場所として子供池を整備しました。」
白水村
明神池水路橋
阿蘇郡南阿蘇村(旧白水村) 吉田
コンクリート製
南側の国道325号線旧白水村役場から100m西、標示板から南へ明神池公園あり
明神池水源 南阿蘇村大字吉田新町
熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化による説明は、次のとおり。
明神池水源(みょうじんいけすいげん) 南阿蘇村
所在地 阿蘇郡南阿蘇村大字吉田新町
解説 南阿蘇村(旧白水村)の水源を探検しよう
Q:湧水があるわけは?
山の中腹に降った雨は地下にしみこみ、水を通さない岩盤などの層の上を流れていきます。明神池水源の場合、水を通さない層がどのようなものか不明ですが、地下の岩盤にそって流れる水は未固結の地層のとぎれた場所から地表に現れることになります。
○明神池名水公園
明神池水源は、旧白水村のほぼ中央に位置する湧水地で、現在、広さ752平方メートルの池となっています。湧き水は池のいたるところから吹き出しています。この明神池は、もともと約5070平方メートルもある広い沼沢湖だったのですが、昭和28年の大水害や、その後の公園整備で埋められ、現在の姿となっています。以前の明神池は水を満々とたたえ、遠くに見える南外輪が借景となり、景勝の地として知られていました。ここの湧水は飲むと子宝に恵まれるといわれ「誕生水」と呼ばれています。湧水量は毎分2トンといわれています。
湧水池を望む丘の上には群塚神社があります。この神社の祀神は阿蘇の健磐龍尊をはじめ十二神とされる阿蘇の神様ではなく天津神系の神様です。これは阿蘇地方では珍しいとされています。また公園内には明治10年、西郷隆盛を指導者として明治政府と戦った西南戦争の際に、西郷軍と戦闘した旧会津藩家老・佐川官兵衛を紹介した資料館があります。官兵衛はこの新町に寄留したといわれています。
湧水のミネラルデータは、pHが7.5、ナトリウム10.7mg/l、カリウム6.27mg/l、カルシウム27.7mg/l、マグネシウム7.62mg/lです。
参考文献
田中伸廣 『自然と文化阿蘇選書8 阿蘇山と水』 一の宮町 2000