月別アーカイブ: 2014年8月

石 匠 館  八代市東陽町北

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石 匠 館  八代市東陽町北

八代市HPの 観光情報 > 石匠館 による説明は、次のとおり。

石 匠 館

東陽地区には、一世紀以上の風雪に耐え、今も残る22の石橋があります。当時の石工たちの驚くべき知恵と技が息づく石橋文化を、一度訪ねてみませんか。
石の文化を蘇らせ、新しい地域文化を創造しようと生まれたのが「石匠館」です。地元で採れる凝灰岩の壁面と丸屋根。世界的建築家木島安史氏の設計です。館内では「種山石工」の歴史や、全国の石橋の資料が多数展示され、また当時の石工たちの石材運搬の工夫を体験できるコーナーもあります。

<問合せ>八代市東陽石匠館 ℡(0965)65-2700
<所在地>八代市東陽町北98-2
<アクセス>車 九州自動車道八代ICから約20分 松橋ICから約30分
JR鹿児島本線有佐駅からバス約15分 タクシー約10分   

◆開館時間 午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
◆料 金  大人300円 高・大学生200円 小・中学生100円  ※団体20名以上割引あり
◆休館日  月曜日(祝日の場合は翌日) 12月29日〜1月3日

白髪岳天然石橋  八代市東陽町五反田

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白髪岳天然石橋  八代市東陽町五反田

石工の里歴史資料館「石匠館」の東、五反田地区公民館の背後に見える。草刈りをしているときは、周囲を一周できる。危険なため、橋は絶対に渡らない。
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋による説明は、次のとおり。

白髪岳天然石橋

八代市東陽町北
白髪岳天然石橋(八代市指定天然記念物)
「この天然橋は凝灰岩によって出来ている。土地の者は石橋と言って、ここに遊び場を求めたものです。
言い伝えによると、白髪岳には白髪天神という神様が居られ、山から出られる際、「堤防のような岩が横たわり、出られない」とお悩みになった末、蹴りほがしてお通りになり、対岸の畑中の地にお座りになったと言うことです。 種山石工の里に天然の石橋があることに因縁を感じるものです。」 八代市教育委員会

熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化による説明は、次のとおり。

白髪岳天然石橋(しらがだけてんねんいしばし) 八代市

所在地 八代市東陽町五反田
利用案内 駐車場・トイレ なし
解 説 石匠の里で自然にできた不思議な石橋

東陽の天然記念物
東陽町の五反田という地区を訪ねると、公民館の裏手に不思議なアーチ型の造形を見つけることができます。茂みに覆われていますが、わずかにのぞく岩肌からそれが天然にできた(人が造ったものではない)石橋であることがわかります。大きさは、長さ27m、高さ9m、アーチ部分の径間は18mもあります。橋の上をわたる人は滅多にいないようですが、橋を覆う茂みを刈るために、橋のたもとの民家の方が上に上がられることもあるということから、人がわたるのに耐える強度は十分あるといえます。

天然石橋の成り立ち
白髪岳天然石橋は、「阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)」でできています。溶結凝灰岩というのは、火山から吹き出した高温の火山灰など(火砕流)が堆積するとき、火砕流自体の熱と圧力で押し固められたものです。世界一のカルデラを持つ阿蘇山は、約30万から9万年前までのあいだに、大規模な火砕流を4回起こしたことがわかっています。このうち、約9万年前に起こった阿蘇−4火砕流の堆積物が溶結した溶結凝灰岩が、阿蘇からかなり離れた東陽村にまで分布しているのです。この溶結凝灰岩は適度に固く加工がしやすいことから、通潤橋をはじめとした石橋の材料に広く利用されています。しかし、この天然石橋が、いつ、どのような経緯で下の部分が抜けて、現在の形になったかは残念ながら不明です。

神様が造った?
この石橋に関して、次のような言い伝えが残されています。
その昔、白髪岳におられた「白髪天神」という神様が山から下りられようとしたとき、堤防のような石に妨げられて下りられなかった。悩まれた神様は、結局その大きな石の下を蹴破って山から出られ、畑の中にお座りになった。・・・ この神様がお座りになったという場所には現在は社が建てられており、裏の田の中には神様が蹴破られたときの石のかけらといわれる丸い岩がそのまま残っています。もちろんこの岩も溶結凝灰岩です。

種山石橋文化との関係は?
東陽村(種山)は、石橋づくりの名工を数多く輩出し、「石匠の里」といわれています。県内外に多くの石橋をかけた宇助・宇市・丈八(橋本勘五郎)の3兄弟が生まれ育った生家から、白髪岳天然石橋までは300m足らずの距離しかありません。今も、「いしばし」といって地元の人たちに親しまれているこの天然石橋を3人の兄弟はどのように眺めていたのでしょう。

通潤橋を造った橋本勘五郎は、晩年、加工していない自然の石を使った石橋を2つつくりました。美しく整った石橋とは対照的に自然そのままの素朴さを見せる2つの石橋を手がけた勘五郎の脳裏には、小さい頃から慣れ親しんだ天然の石橋が焼き付いていたのかも知れません。

参考文献 『東陽村史』 八代郡東陽村編集・発行 1992
周辺情報 近くに、石工の里歴史資料館「石匠館」があります。

熊本県のアーチ式石橋  竹の子橋  八代市泉町栗木

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熊本県のアーチ式石橋  竹の子橋  八代市泉町栗木

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№241  竹の子橋

八代市泉町栗木
橋長:18.4m   橋幅:3.2m  径間:12.4m  拱矢:6.4m  環厚:47cm
輪石:49列

落合橋より県道247号線を約500m進むと、左手に見えます

竹の子橋の概要
「この橋は、当時、栗木川に丸太を数本渡して往来していたが、度重なる洪水により流失を繰り返し、地元住民にとっては大変不便であった。
そこで、地元住民より洪水の時でも流失しない石橋(眼鏡橋)架設の機運が高まり、村の予算と一部住民の夫役によって、近くの野添地区で採掘した石材を使用して昭和2年に完成したものである。
そして、もとよりこの地を竹の子渡しと呼んだことにより、この橋を“竹の子橋”と名付けたのである。
なお、旧橋は文化財としての価値があるため取り壊さずに自転車歩行者専用道として残すことにした。
新しい橋のデザインは旧橋の石造りのアーチ橋との景観調和を考慮し同様のアーチ橋とし、壁面には特殊型枠を用いるなどの工夫をして石橋らしさを表現した。
また、“平家伝説の里づくり”のの一環として橋の高欄中央には平家の紋章である“あげは蝶”を、親柱には“久連子鶏”のつがいのレリーフを配している。」

熊本県のアーチ式石橋  古閑橋  八代市泉町下岳

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熊本県のアーチ式石橋  古閑橋  八代市泉町下岳

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№45  古閑橋  (架設当初名:松の原橋)

八代市泉町下岳
氷川
橋長:25.8m  橋幅:3.3m  径間:19.9m  拱矢:8.0m

国道443号線を東陽町石匠館より約6.5Kmほど進み、右手の旧道に入ります。少し行くと右手に氷川に架かる犬山橋がありその上流に見えます。
国道443号線を中央町から南下してくると左下に見えますが、逆方向からでは見えません。

熊本県のアーチ式石橋  沢無田橋  八代市泉町沢無田

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熊本県のアーチ式石橋  沢無田橋  八代市泉町沢無田

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№44  沢無田橋  (架設当初名:古屋敷橋)

八代市泉町沢無田(さわむた)
氷川
橋長:20.4m  橋幅:3.5m  径間:18.3m  拱矢:6.5m  環厚:61cm

国道443号線を東陽町石匠館より約8.1Kmほど進み古屋敷バス停前の氷川に架かる。橋面はコンクリートに覆われている。

熊本県のアーチ式石橋  妙見橋  美里町鶴場

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熊本県のアーチ式石橋  妙見橋  美里町鶴場

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№199  椿橋  (架設当初名:不動岩渡瀬目鑑橋)

下益城郡美里町(旧中央町)椿 
釈迦院川
橋長:12.1m  橋幅:1.6m  
架設:元治元(1864)年

中央南小から国号443号線を北東に約600m進むと右手にあります。

熊本県のアーチ式石橋  妙見橋  美里町鶴場

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熊本県のアーチ式石橋  妙見橋  美里町鶴場

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№47  妙見橋

下益城郡美里町(旧中央町)鶴場
橋長:23.4m  橋幅:4.0m  径間:9m

国道218号線を中央町佐俣より国道443号線へ入り、約4.3Km先、T字路の地点です。
現役の国道の橋。
通り過ぎて帰りに気づきました。

3年3ヶ月ぶりの訪問。下流側に新橋の工事が始まっています。

熊本県のアーチ式石橋  機織(はたおり)橋  美里町岩野

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熊本県のアーチ式石橋  機織(はたおり)橋  美里町岩野

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№245  機織(はたおり)橋

美里町(旧中央町)岩野
釈迦院川
橋長:15.0m   橋幅:3.65m

国道218号線を中央町佐俣より国道443号線へ入り、約2Km先、旧国道の橋。

この橋は今まで何度となく通りました。石橋だとは気づきませんでした。二俣一号橋、年禰橋の上流になります。下流側に新橋が架かりました。おかげでよく観察できます。

熊本県のアーチ式石橋  小筵二俣目鑑橋・二俣福良渡目鑑橋  美里町小筵

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熊本県のアーチ式石橋  小筵二俣目鑑橋・二俣福良渡目鑑橋  美里町小筵

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。
国道の新「年禰(としね)橋」から2つの石橋を望むと、眼下に見え絶景ポイントとなるが、写し忘れた。

№50  小筵二俣目鑑橋

美里町(旧中央町)小筵
釈迦院川
橋長:28.0m  橋幅:3.3m  橋高:8.0m
架橋:文政12年(1829)
石工:嘉八

国道218号線を旧豊野町から旧中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から左折し、すぐに果物屋さんから右折、突き当たり。

小筵二俣目鑑橋
「釈迦院川と津留川の合流点に連なって架かるこの橋は文政 年種山村の石工嘉八によって架けられたものである。嘉八は矢部町の通潤橋の架橋で知られる丈八(橋本勘五郎)の父で、現在の八代郡東陽村の人である。この二橋は、矢部・砥用方面と松橋方面及び甲佐方面を結ぶ重要道路が交差する要所であり景観も良く往来する人々の良き休憩所となっていた。このニ橋の特徴は二つの川に直角に架けられて通っていることと下記の長さ・幅・高さが殆んど同じということであり別名『双子橋』とも呼ばれている。」

№51  二俣福良渡目鑑橋

美里町(旧中央町)
津留川
橋長:27.0m  橋幅:2.5m  橋高:8.0m
架橋:文政13年(1830)
石工:嘉八

国道218号線を豊野町から中央町へ入り、国道443号線と交わる大きな交差点から左折し、すぐに果物屋さんから右折、突き当たり。

二俣福良渡目鑑橋
「釈迦院川と津留川の合流点に連なって架かるこの橋は文政 年種山村の石工嘉八によって架けられたものである。嘉八は矢部町の通潤橋の架橋で知られる丈八(橋本勘五郎)の父で、現在の八代郡東陽村の人である。この二橋は、矢部・砥用方面と松橋方面及び甲佐方面を結ぶ重要道路が交差する要所であり景観も良く往来する人々の良き休憩所となっていた。このニ橋の特徴は二つの川に直角に架けられて通っていることと下記の長さ・幅・高さが殆んど同じということであり別名〚双子橋〛とも呼ばれている。」

熊本県のアーチ式石橋  年禰(としね)橋  美里町小筵

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熊本県のアーチ式石橋  年禰(としね)橋  美里町小筵

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№49  年禰(としね)橋

美里町(旧中央町)小筵
釈迦院川
橋長:60m  橋幅:5.8m  橋高:24m
4連アーチ
架設:大正13(1924)年

国道443号線と国道218号線が重なる区間のほぼ中央に大きな橋があり、これと平行に架かっていますが注意しないと通り過ぎてしまいます。
二俣橋から見上げる。右は国道の現橋。3連だとばかり思っていました。4連です。