白髪岳天然石橋  八代市東陽町五反田

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白髪岳天然石橋  八代市東陽町五反田

石工の里歴史資料館「石匠館」の東、五反田地区公民館の背後に見える。草刈りをしているときは、周囲を一周できる。危険なため、橋は絶対に渡らない。
HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋による説明は、次のとおり。

白髪岳天然石橋

八代市東陽町北
白髪岳天然石橋(八代市指定天然記念物)
「この天然橋は凝灰岩によって出来ている。土地の者は石橋と言って、ここに遊び場を求めたものです。
言い伝えによると、白髪岳には白髪天神という神様が居られ、山から出られる際、「堤防のような岩が横たわり、出られない」とお悩みになった末、蹴りほがしてお通りになり、対岸の畑中の地にお座りになったと言うことです。 種山石工の里に天然の石橋があることに因縁を感じるものです。」 八代市教育委員会

熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化による説明は、次のとおり。

白髪岳天然石橋(しらがだけてんねんいしばし) 八代市

所在地 八代市東陽町五反田
利用案内 駐車場・トイレ なし
解 説 石匠の里で自然にできた不思議な石橋

東陽の天然記念物
東陽町の五反田という地区を訪ねると、公民館の裏手に不思議なアーチ型の造形を見つけることができます。茂みに覆われていますが、わずかにのぞく岩肌からそれが天然にできた(人が造ったものではない)石橋であることがわかります。大きさは、長さ27m、高さ9m、アーチ部分の径間は18mもあります。橋の上をわたる人は滅多にいないようですが、橋を覆う茂みを刈るために、橋のたもとの民家の方が上に上がられることもあるということから、人がわたるのに耐える強度は十分あるといえます。

天然石橋の成り立ち
白髪岳天然石橋は、「阿蘇溶結凝灰岩(あそようけつぎょうかいがん)」でできています。溶結凝灰岩というのは、火山から吹き出した高温の火山灰など(火砕流)が堆積するとき、火砕流自体の熱と圧力で押し固められたものです。世界一のカルデラを持つ阿蘇山は、約30万から9万年前までのあいだに、大規模な火砕流を4回起こしたことがわかっています。このうち、約9万年前に起こった阿蘇−4火砕流の堆積物が溶結した溶結凝灰岩が、阿蘇からかなり離れた東陽村にまで分布しているのです。この溶結凝灰岩は適度に固く加工がしやすいことから、通潤橋をはじめとした石橋の材料に広く利用されています。しかし、この天然石橋が、いつ、どのような経緯で下の部分が抜けて、現在の形になったかは残念ながら不明です。

神様が造った?
この石橋に関して、次のような言い伝えが残されています。
その昔、白髪岳におられた「白髪天神」という神様が山から下りられようとしたとき、堤防のような石に妨げられて下りられなかった。悩まれた神様は、結局その大きな石の下を蹴破って山から出られ、畑の中にお座りになった。・・・ この神様がお座りになったという場所には現在は社が建てられており、裏の田の中には神様が蹴破られたときの石のかけらといわれる丸い岩がそのまま残っています。もちろんこの岩も溶結凝灰岩です。

種山石橋文化との関係は?
東陽村(種山)は、石橋づくりの名工を数多く輩出し、「石匠の里」といわれています。県内外に多くの石橋をかけた宇助・宇市・丈八(橋本勘五郎)の3兄弟が生まれ育った生家から、白髪岳天然石橋までは300m足らずの距離しかありません。今も、「いしばし」といって地元の人たちに親しまれているこの天然石橋を3人の兄弟はどのように眺めていたのでしょう。

通潤橋を造った橋本勘五郎は、晩年、加工していない自然の石を使った石橋を2つつくりました。美しく整った石橋とは対照的に自然そのままの素朴さを見せる2つの石橋を手がけた勘五郎の脳裏には、小さい頃から慣れ親しんだ天然の石橋が焼き付いていたのかも知れません。

参考文献 『東陽村史』 八代郡東陽村編集・発行 1992
周辺情報 近くに、石工の里歴史資料館「石匠館」があります。