長崎外の幕末・明治期古写真考 マンスフェルト集 72,73P 肥後矢部の製材所
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本」
第五章 山鹿・矢部
72P 肥後矢部の製材所(1)
矢部郷の鶴ガ淵。緑川上流部の津留は、支流の内大臣川などが合流する地点。猿ガ城、鬼ガ城、獅子ガ城と呼ばれる岩峰が屹立し、渓流と奇岩怪石の景勝地であった。緑川舟運の起点で、物資輸送の勘定所も置かれ、年貢米の積み出しや材木の筏流しでもにぎわった。左手奥が獅子ガ城、右手奥が鬼ガ城の山裾。
060 1871−1874年頃 マンスフェルトか サイズ/220mm×290mm 大
73P 肥後矢部の製材所(2)
奥の岩峰が猿ガ城。緑川に面して家並があり、中央が原題「Woodcutting mil」の主題である製材所で、角柱や板材が積み上げられている。川に下る石垣には巨大な柱材が集積され、これから筏を組んで運ぶのであろうか。
063 1871−1874年頃 マンスフェルトか サイズ/220mm×290mm 大
■ 確認結果
長崎大学附属図書館企画・編集の長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本 古写真で見る近代医学校の成立」が、長崎文献社から2012年10月発行されている。
72P「肥後矢部の製材所(1)」と、73P「肥後矢部の製材所(2)」は、熊本県上益城郡矢部町(現山都町)の緑仙峡下流部にある鶴ガ淵橋付近の風景である。淵で流れが緩やかとなる左岸に近年まで製材所があった。
鶴ガ淵、猿ガ城、鬼ガ城、獅子ガ城の位置関係は、地形図を参照。72P「肥後矢部の製材所(1)」と、73P「肥後矢部の製材所(2)」は、同じ製材所を対岸からカメラの向きを変えて撮影している。現在の「鶴が淵橋」は、少し上流へ架設されている。
72P「肥後矢部の製材所(1)」の、左手奥は「獅子ガ城」。右手奥も「鬼ガ城の山裾」には間違いない。
73P「肥後矢部の製材所(2)」の、奥の岩峰が「猿ガ城」も間違いないようだ。少し高いところから撮影している。現在では右手奥に猿が城キャンプ場があり、その上に「鮎の瀬大橋」が見える。
マンスフェルトアルバムの100点以上に及ぶ貴重な古写真を、長崎大学附属図書館が今もってデータベースで公開しないのは、問題があるだろう。