月別アーカイブ: 2011年9月

関門海峡・秋芳洞  山口県下関市、美弥市

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関門海峡・秋芳洞  山口県下関市、美弥市

マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、石橋、巨樹など。

写真は、関門大橋、関門トンネル人道(バイクは押して通る)、鞆の浦、秋芳洞、秋吉台

国指定文化財等データベースによる解説は次のとおり。

史跡名勝天然記念物
名称: 秋芳洞
ふりがな: あきよしどう
種別1: 特別天然記念物
指定年月日: 1922.03.08(大正11.03.08)
特別指定年月日: 1952.03.29(昭和27.03.29)
指定基準: (六)洞穴,(九)風化及び侵蝕に関する現象
所在都道府県: 山口県
所在地(市区町村): 美弥市
詳細解説
石灰岩ノ浸蝕溶解セラレテ生シタル洞穴ニシテ其ノ大ナルコト既知ノ本邦石灰洞中最大ナルモノナルベシ 其ノ鐘乳石及ビ石筍ハ大ニシテ且完全ナリ 其ノ他種々ノ形状ヲ成セル炭酸石灰ノ沈澱物アリ又伏流アリ 石灰岩が浸蝕溶解されて生じた洞穴でわが国石灰洞中最大なるものとして特に学術上の価値が高い。

筑前大島 (2)  福岡県宗像市

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筑前大島 (2)  福岡県宗像市

マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、石橋、巨樹など。

写真(2)は、砲台跡から大島灯台までの遊歩道からの景観、大島神崎灯台、三浦洞窟、神崎に残る下関要塞第一区地帯標第五号、神崎下の馬蹄岩、御嶽神社、御嶽岳山展望所からの景観、帰航時に見た筑前大島の全景
下関要塞第一区地帯標は、次など参照。 https://misakimichi.com/archives/2875

筑前大島   朝日新聞掲載「キーワード」の解説

福岡県最大の離島で周囲14キロ。神湊港からフェリーで25分。人口830人。55年(?)ころまで2100人を超えたが、漁獲減と職不足で減少。旧大島村は05年3月に宗像市と合併。平安時代に奥州を支配した安倍宗任が流されたとされる。
( 2007-08-04 朝日新聞 夕刊 1総合 )

筑前大島 (1)  福岡県宗像市

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筑前大島 (1)  福岡県宗像市

マイ50ccバイクによる野宿旅。離島を主に訪ねている。今回は島根県「隠岐の島」をメインに、2011年9月7日から17日まで出かけた。途中、筑前大島・秋芳洞・津和野・大山へ寄った。その主な史跡、風景、石橋、巨樹など。

写真(1)は、本土側の宗像大社と参道橋、神湊港からフェリー大島で渡る、大島港渡船ターミナル、宗像大社中津宮、大島海水浴場と夢の小夜島、加代鼻の流人生活跡、沖津宮遥拝所、砲台跡と展望公園、風車展望所、大島灯台までの遊歩道からの景観

筑前大島   朝日新聞掲載「キーワード」の解説

福岡県最大の離島で周囲14キロ。神湊港からフェリーで25分。人口830人。55年(?)ころまで2100人を超えたが、漁獲減と職不足で減少。旧大島村は05年3月に宗像市と合併。平安時代に奥州を支配した安倍宗任が流されたとされる。
( 2007-08-04 朝日新聞 夕刊 1総合 )

三重の御岳と野々岳の烽火台跡へ  平成23年9月

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三重の御岳と野々岳の烽火台跡へ  平成23年9月

平成23年9月4日(日)曇りのち晴。長崎市三重地区の山、御岳(標高167m)と野々岳(標高325m)の烽火台跡めぐり。参加11人。みさき道歩会の例会。
三重田バス停10:30発ー御岳11:00ー東ピーク12:30着(昼食)ー農道ー三角点14:00ー野々岳14:40ー模型飛行場15:26ー野々岳16:00ー農道三叉路16:30ー三重田川沿いを下るー三重田バス停18:10着(徒歩距離約7km)

鎖国の江戸時代、三重周辺の海域に変事が起きた時、御岳から烽火を上げ、野々岳を経て大村城へ知らせた烽火台跡が2つの山に残る。野々岳山頂は大岩があり、外海・大村方面の展望が良い。夏の暑い時期、計画は車でそれぞれの登山口まで移動、往復登山の簡単なつもりだったが、御岳と野々岳は尾根が続いている。尾根道を探し、途中は農道を繋ぎ、なんとか歩けないかとルートを考えた。

台風が去り、きょうは少し涼しい。予定を変更しこのルートを歩いてみた。模型飛行場もいったん下ったので、思ったより時間がかかった。全体にはっきりした山道はないし荒れている。
地形図とK氏携帯GPSを常に照らし合わせながら歩いたから、ほかの人にまだ勧めるようなルートでない。写真だけ紹介する。三重田の車に戻ったのは、18時10分だった。

本ブログ2010年7月の「三重の主な史跡(2)」を参照。その時は野々岳の烽火台跡が、私にははっきりしなかった。  https://misakimichi.com/archives/2407
江越先生が最近地元の人と訪ね、烽火台跡の内部や炊き口を掘ったと聞いたので、地図を送ってもらい、今回確認に行った。山頂大岩の10mほど南側にあった。前の記事どおりの場所。御岳のとほとんど大きさも同じ造り。

宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/28480482.html