月別アーカイブ: 2011年5月

長崎外の古写真考 目録番号:4206 茶畑からの富士山(2)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4206 茶畑からの富士山(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4206 茶畑からの富士山(2)
〔画像解説〕
富士市鈴川(すずかわ)あたりの砂丘上にある茶畑から北方の富士山を遠望したもの。茅葺きの民家の先で丘陵は終わり、その先には東海道に面した鈴川の町屋(元吉原宿:もとよしわらしゅく)の瓦葺屋根が見える。瓦葺の屋根の先には、浮島ヶ原(うきしまがはら)が広がる。茶園には茶摘みをする4人の女性が見える。

■ 確認結果

目録番号:4206「茶畑からの富士山(2)」は、画像解説どおり「富士市鈴川」から茶畑と北方の富士山を遠望したものだろう。
鈴川倶楽部ブログ記事「古写真と鈴川」に、具体的な撮影場所を富士市鈴川東町「木之元神社南から」と記している。
現在の写真は、HP「神奈川の歴史探索を中心にして全国へ 旧東海道」から。

長崎外の古写真考 目録番号:4134 神戸全景(4)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4134 神戸全景(4)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4134 神戸全景(4)
〔画像解説〕  超高精細画像
現在の新神戸駅の南西高台から神戸市街を望む。明治中期。中央の道路は生田川の川筋を埋め立てて造成され、工事を請け負った和歌山出身の加納宗七(かのうそうしち)にちなんで、明治6年(1873)右(西)側が加納町と名付けられた。現在の新神戸駅から、フラワーロードを経て税関に至るこの道路は、古くから都の貴族や文人墨客が来訪した名所・布引(ぬのびき)の滝に続くので、滝道(たきみち)と呼ばれた。道の両側にはまだ家屋があまり建っていない。左手向こうに見える細長い松林は、居留地の東の境界・旧生田川の土手の名残で、外国人のレクレーション・グランド(現東遊園地)になっていた。このグランドでは、クリケットやフットボール、ローンテニスなどが行われ、外国人たちのスポーツと娯楽、社交の大切な場であった。開港して20年あまりが過ぎ、道路が新しく開かれ整備されていく状況がよくわかる。手前に見える端正な洋風建築はホテルであろう。

■ 確認結果

目録番号:4134「神戸全景(4)」は、同じ写真がHP「OLD PHOTO of JAPAN」に掲載されている。〔撮影者:玉村康三郎〕であろう。同説明は次のとおり。

撮影者: 玉村康三郎
発行元: 玉村康三郎
メディア: 鶏卵紙
写真番号: 70219-0028
1880年代の神戸 • 山手からの眺め</a>
神戸を、現在の新神戸駅に近い山側から撮った写真。中央に見える広い道路は滝道(今はフラワーロード)である。この道は、この写真を撮った場所から少し歩いた所にある布引の滝に通じているので、そう呼ばれていた。この道は、1871年(明治4年)に外国人居留地を水害から守るために付け替えられた、旧生田川の川床に沿っている。この写真が撮られた時は、神戸の町ができて未だ20年ほどしか経っていないが、既に主要な港町に発展しており、外国人も1,000以上住んでいた。その4分の3は中国人だった。

長崎外の古写真考 目録番号:4099 東海道と富士山

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4099 東海道と富士山

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4099 東海道と富士山
〔画像解説〕
富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの。写真中央を横切る松並木が東海道。左端の背の高い2本の松と茅葺きの小屋の間が河合橋(かわいばし)である。砂丘と東海道の間には水田が広がり、その中を東海道線の線路がのびているため、鉄道の開通した明治22年以後の撮影である。

■ 確認結果

目録番号:4099「東海道と富士山」は、画像解説どおり「富士市鈴川の砂丘の上から北方の富士山を遠望したもの」だろう。
鈴川倶楽部ブログ記事「古写真と鈴川」に、具体的な撮影場所を富士市鈴川本町「鈴川駅南から」と記している。「鈴川駅」の開業は1889年(明治22年)。1956年(昭和31年)4月に「吉原駅」に改称された。
現在の写真は、HP「富士山百景」鈴川(No.70 東部ブロック)から。「鈴川は吉原駅を中心とした地区です。吉原駅南口から少し東に行った所の小高い丘には「六地蔵」があり、そこから富士山が見えます」と説明がある。

長崎外の古写真考 目録番号:4031 備前の灯台

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4031 備前の灯台

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4031 備前の灯台
〔画像解説〕
左下に「BIZEN.」とあるが、伊勢湾入口の菅島 (すがしま 現三重県鳥羽市) 東北端にある菅島灯台。イギリス人技師ブラントン(R.H.Brunton)の設計で築造され、明治6(1873) 年7月1日に初点灯。以来、灯台本体は現役で活躍。付属官舎は博物館明治村に移築復元され、重要文化財に指定。明治10年頃までの早い時期の撮影。

■ 確認結果

目録番号:4031「備前の灯台」は、画像解説のとおり、伊勢湾入口の菅島 (すがしま 現三重県鳥羽市) 東北端にある「菅島灯台」に間違いない。
〔撮影地:三重県〕となり、タイトルの変更も必要だろう。
現在の写真は、HP「日本の灯台〜訪問記」から。伊勢湾フェリーの船上から写している。