月別アーカイブ: 2011年2月

長崎外の古写真考 目録番号:3985 根 岸

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:3985 根 岸

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:3985 根 岸
〔画像解説〕
現在のJR日暮里駅に程近いところで、根岸の中では北西の端にあたる。道はこの先、芋坂となり台地上に続いていた。山手線等の鉄道が敷設されたため道は切断され、現在は跨線橋が架けられている。鄙びた風景の中で、人力車だけがモダンな色合いを出している。

目録番号:2234 白滝不動尊への石段と茶屋
〔画像解説〕
根岸不動坂下の白滝不動尊への登り口。石段上に本堂の屋根が見える。白滝不動尊は、根岸村の村民によって祀られていたが、明治維新時の神仏分離を経て白滝山不動院となり、現在も宝積寺の境外仏堂として存続。

■ 確認結果

目録番号:3985「根岸」は、写真右下に「NEGISHI」とキャプションがある。「根岸」の地名は、横浜市中区根岸町と東京都台東区根岸が有名。この作品は「撮影地域:東京」、「現在のJR日暮里駅に程近いところ」と画像解説している。

次の目録番号:2234「白滝不動尊への石段と茶屋」のとおり、これは横浜「根岸不動坂下の白滝不動尊への登り口」の風景と思われる。石段上に本堂の屋根が見える。
現在の白滝不動尊の堂と説明板は、HP「よの式 巡礼記 – 根岸不動」から。

長崎外の古写真考 目録番号:5529 宇治の竹林と人力車(3)

イメージ 1

イメージ 2

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:5529 宇治の竹林と人力車(3)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5529 宇治の竹林と人力車(3)

目録番号: 215 宇治の竹林と人力車(1)   
〔画像解説〕
宇治は、京都と奈良の水陸交通の要路であり、また平安時代には貴族の別業が多く作られて栄えた。道の左右は人手があまり入っていないらしく、下草のしげった竹林で、道を男性客をのせた人力車が通っている。

目録番号: 255 宇治の竹林と人力車(2)  (1)と同じ。掲載略

■ 確認結果

目録番号:5529「宇治の竹林と人力車(3)」は、次の目録番号: 215「宇治の竹林と人力車(1)」及び目録番号: 255「宇治の竹林と人力車(2)」と同じ作品である。
「撮影者:小川一真」となるだろう。

長崎の西空の夕日  11−01

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

長崎の西空の夕日  11−01

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 3  平成22年12月31日の 8時42分頃  長崎の雪景色
写真  4      平成23年 1月13日の16時54分頃  唐八景近くから
写真  5      平成23年 1月30日の 9時18分頃  風波のけあらし(気嵐)?
写真  6〜 9  平成23年 2月20日の18時10分頃  
写真 10〜11  平成23年 2月21日の18時18分頃

写真 12      写真4(唐八景近くからの夕日)ズーム拡大

宮崎ダム公園の梅ほころぶ  長崎市宮崎町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

宮崎ダム公園の梅ほころぶ  長崎市宮崎町

川原大池の奥の谷間にある宮崎ダム。平成15年4月完成。宮崎ダム公園が造られ、梅500本が記念樹として植樹された。その梅がほころび、今、見頃となっている。ダム上空は,鹿児島県出水市で越冬した鶴が,繁殖地のシベリアへ帰る「北帰行」のルート。
長崎県のダム及び長崎市の公園HPによる紹介は次のとおり。

宮崎(みやざき)ダム[長崎市]

宮崎ダムは、長崎市(旧三和町)に宮崎川の治水対策のため、平成2年度から本格的に建設を進めてきた治水ダムです。 このダムは、通常の重力式コンクリートダムではなく、水を通しにくい密度のある土を盛り立てて造ったゾーン型アースフィルダムという型式のダムです。小さなため池などではよく見かける型式ですが、国土交通省所管のダムとしては、長崎県内で初めてのダムです。  堤高/27.0m 堤頂長/154.0m  総貯水容量/164,000m3  

公園名 宮崎ダム公園   所在地 宮崎町1308-1

公園の概要  宮崎ダム建設事業の一環として計画され、貴重なダム湖周辺の緑豊かな湖畔緑地と景観を活かし、宮崎ダムと一体的に整備された公園です。 自然の中でイベントやレクリェーションを満喫できるレクリェーションゾーン、ダム機能や遊びながら植物や自然学習ができる学習ゾーンや展望広場、その他水辺の生物と共存できる河川敷等、家族連れや広く市民が楽しめる開放感あふれる憩いの空間となっています。 園内には、ウメをはじめサクラ、ツツジ等が植えられ、中でも記念樹として植えられた約500本のウメはウメの広場(梅園)として季節(2月〜3月上旬)には園内を彩っています。
駐車場 39台  トイレ 普通:有り、多目的:無し
アクセス方法  長崎駅より長崎バス川原行き「宮崎バス停」まで約50分、下車後徒歩10分。
公園の特長  花木を楽しむ公園

為石漁港に「江浜橋」が昨年8月完成

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

為石漁港に「「江浜橋」が昨年8月完成

長崎半島南東部、県道34号線の為石漁港。大川河口に「江浜橋」が平成22年8月完成し、便利になっている。以前は、上流の大川橋を通っていたが、為石海岸まで直進し、右折すると「江浜橋」があり、川原方面へ広い道路で行ける。左折すると藤田尾、茂木方面へ。

江浜橋の脇にあるのは、須浜市営住宅団地「サンプラザさんわ」。最後の写真が従来の「大川橋」。

長崎南環状線が2月13日に全線開通

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎南環状線が2月13日に全線開通

長崎自動車道と長崎市の女神大橋をつなぐ県道・長崎南環状線(田上IC〜大浜IC、8.2km)が、全線開通した。田上IC〜新戸町ICを結ぶ3.1km区間が新たに完成し、一般車両は2月13日午後3時から通行できるようになった。
写真は、当日の開通の様子。大塚氏撮影。長崎南環状線の整備状況図は、長崎県県長崎南バイパス建設事務所ホームページから。asahi.com 記事は次のとおり。

長崎南環状線、13日全線開通 周辺の渋滞緩和に期待 …    2011年2月12日

長崎自動車道と長崎市の女神大橋をつなぐ県道・長崎南環状線(田上IC〜大浜IC、8.2キロ)が13日、全線開通する。田上IC〜新戸町ICを結ぶ3.1キロ区間が新たに完成し、一般車両は
13日午後3時から通行できる。長崎自動車道から長崎湾を挟んで反対側にある大浜町までの車の流れが大幅に改善され、周辺道路の渋滞緩和が期待できるという。

長崎南環状線は、長崎湾沿いを走る国道499号の慢性的な渋滞緩和などを目的に1991年に県が計画した。片側1車線の自動車専用道路で、女神大橋を除く区間は通行無料。今回開通する田上IC〜新戸町ICは2005年から県が約115億円をかけて整備を進めていた。

県長崎南バイパス建設事務所によると、これまで長崎IC〜新戸町は県道237号(小ケ倉田上線)経由で約14分かかったが、長崎南環状線の全線開通で約4分に大幅短縮される。新たに開通する区間の交通量は1日約1万1千台が見込まれ、通勤時間帯に交通量が増える国道499号や県道237号の渋滞緩和が期待できるという。

式見から舞岳中腹の古道探し  平成23年2月

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

イメージ 20

イメージ 21

式見から舞岳中腹の古道探し  平成23年2月

平成23年2月20日(日)曇り。式見トンネル口から舞岳(標高252m)へ登り、舞岳中腹の古道探しをして式見へ戻る。参加9人。みさき道歩会の例会。
式見支所前バス停9時40分発ーアーチ石橋下向橋ー式見トンネル上ー舞岳10時50分着ー九州自然歩道鞍部11時25分着(昼食)−舞岳中腹道約20分ー式見新道蔭平登山口ー式見
13時30分着(徒歩距離約10km)

12月5日は、淡島神社から蝶ヶ崎展望岩へ尾根を行き、式見トンネル上を通って舞岳へ登った。今回は式見トンネル上へ里道を直接行く。集落の登り口に小さなアーチ式石橋「下向橋」が残っているので、皆に見てもらった。
式見トンネル上の尾根に出、舞岳へは10時50分着。舞岳は中世の山城跡。展望が良い。ガレ場を九州自然歩道鞍部まで下って昼食とした。

前回は式見ダムへ下ったが、式見までの舗装道路歩きは長く、何とかならないかと思った。明治34年測図国土地理院旧版地図を見ると、舞岳の西山腹を下る道が点線で表示されている。地図どおり舞岳へ少し戻って登ると、この式見の分岐道が右にあった。
舞岳中腹の等高線をたどるような道で、全然荒れてなく歩きやすい。分岐から約20分で、蔭平の式見新道に出た。登り口に「←岩屋山方面」の立派な道標があった。

ここに道標が立っていることは知っていたが、今回やっと意味がわかった。現在でも地図どおりの古道ルートが利用されているのである。あまり知られていない式見への近道となるので、舞岳との分岐にも道標プレートを付けて良い。最後の写真の奥の山が舞岳。
古道探しはあっけなく終り、式見へ早く着きすぎた。式見小学校の樹齢300年というエノキ(長崎市指定天然記念物)と浄満寺を見学し、式見かまぼこを買って帰った。
九州自然歩道鞍部近くには、手熊道の分岐跡も確認できたので、次に踏査してみたい。

長崎外の古写真考 目録番号: 125 浅草山谷堀 ほか

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 125 浅草山谷堀 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 125 浅草山谷堀
〔画像解説〕
整理番号14-35と同じ写真。浅草・今戸から根岸に達していた運河。隅田川から猪牙船(一名山谷船)に乗って吉原に通う遊客が盛んに通過した。猪牙船には屋根がないとあるから、写真の船とは違う。左岸に軒を連ねているのは船宿か。昭和33年、吉原遊郭が廃されてからは、運河のほとんどが埋め立てられた。

目録番号: 645 雪の山谷堀
〔画像解説〕
整理番号3-26と同じ写真。浅草・今戸の境から西の三ノ輪に向かって直進し、根岸に達していた運河。隅田川から猪牙船に吉原に通う遊客が盛んに通過した。昭和33年、吉原遊郭が廃されてからは、そのほとんどが埋め立てられた。

目録番号:2412 雪景色の山谷堀
〔画像解説〕
山谷堀の最も下流に架かる今戸橋の上より上流を望んだ写真。明治中期までこの辺りは料亭があり芸者のいる花町だった。遊客を運ぶ猪牙舟(ちょきぶね)はこの山谷堀を通ったので、吉原通いを俗に山谷通いとも呼んだ。山谷堀には9つの橋が架かっていたが埋め立てで取り除かれた。跡地は山谷堀公園になっている。明治初年の内田九一撮影だが、これは後に彩色され販売された写真である。

■ 確認結果

3作品とも、明治初年、内田九一?撮影の同じ写真か。タイトル、撮影者、キーワードなど違い、「山谷堀」と検索しないと全部が出てこない。3作品が関連作品となっていない。このような例は多い。

長崎外の古写真考 目録番号: 117 江ノ島海岸(1)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 117 江ノ島海岸(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 117 江ノ島海岸(1)
〔画像解説〕
英文タイトルは江ノ島となっているが、特定はできない。

目録番号:1514 江ノ島聖天島
〔画像解説〕
江ノ島の南の岩場。左手の岡の下に家があり、右手に海が見える。

目録番号:4462 江ノ島(17)
〔画像解説〕
撮影者未詳。明治時代の写真か。‘Yenoshima’のタイトルがある。鎌倉七里ヶ浜からの眺めで、手前に馬子(まご)と荷馬車が写り、右側に小動岬(こゆるぎみさき)と腰越(こしごえ)の集落がある。ところで、江戸時代後期には近海に出没する外国船を監視するため、小動岬に遠見番所が置かれていた。

■ 確認結果

目録番号: 117「江ノ島海岸(1)」の画像解説は、「英文タイトルは江ノ島となっているが、(場所は)特定はできない」となっている。
江ノ島とすると、次の目録番号:1514「江ノ島聖天島」のとおり、現在は江ノ島の一部、聖天島公園となっている「聖天島」が考えられるが、島や砂浜の形が違う。

かえって江ノ島の手前、腰越海岸、小動崎あたりが風景が合いそうなので、最後に目録番号:4462「江ノ島(17)」を載せた。これも‘Yenoshima’のタイトルあり。七里ヶ浜からの眺めで、小動岬と腰越集落を逆に写している。

以下、「聖天島」関係は参考のため。ウィキぺディア フリー百科事典による説明は、次のとおり。

聖天島は江の島東端に浮かぶ小島で、2つの岩の形が観喜天の姿に似ていることから付けられたという。1703年の元禄地震の隆起によって半島になった。1960年代の埋立により海岸から離れ、小さな岩山という感じになっている。南側に小公園がある。
千日修業中の良真が島上に弁才天の姿を見て将軍実朝に下之宮(辺津宮)建立を請願するきっかけとなった場所といわれる。南面に小さな祠があり、良真上人像が安置されている。側面の崖は島東部のみに分布する逗子層が見られ、貝化石が含まれる。

安藤広重が描いた江ノ島の図(江ノ島の左、中央の小さな島が聖天島)は、HP「YPC(横浜物理サークル) 江ノ島の自然」から。隆起年代は、1923年関東地震としている。
聖天島絵葉書2点と現在の写真は、HP「江の島マニアック 聖天島」から。

(2014年1月25日 追記)

HP「江の島マニアック」に、最近「江の島の古写真」の項が作成されていた。目録番号:117「江ノ島海岸(1)」については、次のとおり現地の解説があっているのが判明した。
「江ノ島海岸とタイトルにあるがこれは現在の片瀬東海岸で正面に見えるのは小動岬。
腰越の漁師の漁船が見える。」