月別アーカイブ: 2008年5月

さが名木100選   6 佐賀城跡のクス群(クスノキ)  佐賀市城内

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さが名木100選   6 佐賀城跡のクス群(クスノキ)  佐賀市城内

所在地図によりまず佐賀城跡の大手門内と東濠に大楠を探した。東濠は石垣が改修され見あたらない。ガイドの人に聞くと、北濠の佐賀県庁前に大楠が多いらしい。それで西濠から北濠へと回った。

北濠の中央県庁側に「くすの栄橋」があり、ここからは大楠群が特に見えた。名木プレートは、虹の松原もそのようだったが、「群」だからある木を特定して付けていないのではないか。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

6 佐賀城跡のクス群(クスノキ)
・所 在 地  佐賀市城内
・推定樹齢   300年
・大 き さ  樹高 25m  幹回り 4m  枝張り 25m
・登録番号   01262
佐賀城跡にある楠群は、現在文化財に指定されたものが約120株あり、特にお濠のほとりにある楠は推定300年を超えるものが多い。元々、城を守るための土塁があった所で、慶長年間(1600年)、佐賀城の拡張工事後に植えられたものといわれている。
今では、佐賀城跡の代表的な樹木となっている。これらの楠群は、お濠の水面に濃い影を映し、人々の心に安らぎを与えている。
県天然記念物(昭和28年11月3日指定)

さが名木100選   5 与賀神社の大楠(クスノキ)  佐賀市与賀町

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さが名木100選   5 与賀神社の大楠(クスノキ)  佐賀市与賀町

与賀神社は、佐賀城址西濠の外側近くで北西方にある。国道208号線「佐大南交差点」から国道207号線「辻の堂」交差点へ抜ける県道へ入る。「辻の堂」へ出る手前、「佐賀清和高」角信号から右折して、細い車道を行くと神社前である。一方通行に要注意。

後の写真3枚は、指定名木とは別の大楠。拝殿北側と山門左にある2本。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

5 与賀神社の大楠(クスノキ)
・所 在 地  佐賀市与賀町2−50
・推定樹齢   1400年
・大 き さ  樹高 26m  幹回り 7.4m  枝張り 19m
・登録番号   0127261
与賀神社の境内には大きなクスノキが3本あるが、拝殿の南側にある1本が県の天然記念物の指定を受けている。地表5mの高さのところから幹が大きく2つに分かれ、四方に枝葉がしげり、市内にあるクスノキの中でも代表的な巨木である。
県天然記念物(昭和40年7月23日指定)

さが名木100選   4 牛島天満宮の大楠(クスノキ)  佐賀市東佐賀町

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さが名木100選   4 牛島天満宮の大楠(クスノキ)  佐賀市東佐賀町

国道207号線により佐賀城址北濠から久留米方面へ進む。片田江からまっすぐに行くと「東佐賀」交差点がある。この少し手前左角に昭和シェルGSがあり、牛島天満宮へは左折してこの細い車道を奥まで行くと着く。道の途中に案内標柱があった。
大風で倒れ、幹が小川を跨いだまま成長した大楠。奇怪な樹形である。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

4 牛島天満宮の大楠(クスノキ)
・所 在 地  佐賀市東佐賀町15−30
・推定樹齢   1000年
・大 き さ  樹高 15m  幹回り 6.6m  枝張り 23m
・登録番号   01270
小川のかたわらにあり、根が地表面にとび出している。以前、大風の被害を受けたものと推定され、幹が小川の上に横たわっている。
倒れたままの状態で成長している点は、生態的にも価値の高いものである。
市天然記念物(昭和53年3月1日指定)

さが名木100選   3 国相寺の楠(クスノキ)  佐賀市愛敬町

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さが名木100選   3 国相寺の楠(クスノキ)  佐賀市愛敬町

JR佐賀駅南口から佐賀県庁へ向けて県道29号線を行く。すぐ唐人町となり、「唐人2丁目」交差点から左折し、細い車道へ入る。「愛敬東」交差点に出る手前左手に新築の国相寺が見える。
または県道30号線の「大財1丁目」交差点から入る。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。

3 国相寺の楠(クスノキ)
・所 在 地  佐賀市愛敬町4−54
・推定樹齢   600年
・大 き さ  樹高 24m  幹回り 6.2m  枝張り 25m
・登録番号   01269
このクスノキは、根元のところが極度に大きくなっているところに特徴があり、クスの巨木の代表的なものの1つとして価値が高い。
市天然記念物(昭和44年2月11日指定)

鍋島家菩提寺「高伝寺」  佐賀市本庄町

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鍋島家菩提寺「高伝寺」  佐賀市本庄町

平成20年5月14日、佐賀市本庄町にある鍋島家菩提寺「高伝寺」を訪ね、名木と墓所など見た。拝観料300円。境内の風景。
佐賀市HPによる高伝寺の説明は次のとおり。

高  伝  寺

鍋島家の菩提寺として知られる高伝寺は、本庄町に東面して広大な境内を構え、恵日山と号し、曹洞宗に属しています。楠や銀杏の巨木が配された境内は、東側正面に放生池、西側背面に墓地が配され、墓地との間を水路が貫流しています。参道北側に広がる放生池の中に観音堂、放生池に架かる石橋を渡ると山門、山門を潜ると本堂が東面して建っています。本堂前には開山堂と庫裏が向かい合って建ち、本堂の北側に位牌所が建っています。いずれも鍋島家によって建てられました。
建築年代は、山門と本堂は明治34年、開山堂は明治初期です。また、位牌所は明治29年、庫裏は大正8年、観音堂は明治中期の建築です。
境内に建つ建築物はすべて伝統的様式に則り、佐賀市指定天然記念物の梅や楠・銀杏の巨木、放生池や水路の石垣護岸と相まって純然たる伝統的景観を形成する建築群として重要です。
■所在地:本庄町本庄1112−1
さがの都市景観/都市景観重要建築物

さが名木100選   2 高伝寺の梅(ウメ)  佐賀市本庄町

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さが名木100選   2 高伝寺の梅(ウメ)  佐賀市本庄町

佐賀市内の国道34号線「医大入口」でガード下へ行き右折。大川方面への国道208号線に入る。西与賀町平松で国道はカーブし、すぐ本庄町で「高伝寺前」バス停があり、寺入口の案内標識がある。国道は「佐大南」交差点のまだ手前となる。

高伝寺は、恵日山と号する曹洞禅寺。天文21年(1552)鍋島藩祖鍋島直茂の父清房が建立した。以後、代々鍋島家の菩提寺として、また梅の名所として知られている。
名木の梅は、「霊徳寿梅」(れいとくじゅばい)と呼ばれ、墓所中央にある。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。境内にはクスノキの巨木やイヌマキの名木もあり、保存樹として指定されている木が多い。

2 高伝寺の梅(ウメ)
・所 在 地  佐賀市本庄町本庄1112−1
・推定樹齢   370年
・大 き さ  樹高 4.5m  幹回り 1.8m  枝張り 4.2m
・登録番号   01179
この梅は、佐賀郡春日村玉林寺の金峰和尚から佐賀藩鍋島直茂に贈られたもので、高伝寺の墓所中央に位置し、毎年見事な花を咲かせる。
市天然記念物(昭和55年3月1日指定)

さが名木100選   1 高伝寺の八太郎槇(イヌマキ) 佐賀市本庄町

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さが名木100選   1 高伝寺の八太郎槇(イヌマキ)  佐賀市本庄町

佐賀市内の国道34号線「医大入口」でガード下へ行き右折。大川方面への国道208号線に入る。西与賀町平松で国道はカーブし、すぐ本庄町で「高伝寺前」バス停があり、寺入口の案内標識がある。国道は「佐大南」交差点のまだ手前となる。

高伝寺は、恵日山と号する曹洞禅寺。天文21年(1552)鍋島藩祖鍋島直茂の父清房が建立した。以後、代々鍋島家の菩提寺として、また梅の名所として知られている。
佐賀県同パンフレットによる説明は次のとおり。境内にはクスノキの巨木や梅の名木、別の樹齢610年というイヌマキもあり、保存樹として指定されている木が多い。

1 高伝寺の八太郎槇(イヌマキ)
・所 在 地  佐賀市本庄町本庄1112−1
・推定樹齢   600年
・大 き さ  樹高 16m  幹回り 3.1m  枝張り 14m
・登録番号   01158
大隈重信侯が幼少時代登って遊んだと伝えられ、重信侯の幼名にちなんで「八太郎槇」と呼ばれている。

鳥栖市に残るアーチ石橋とみやき町の煉瓦アーチ橋梁

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鳥栖市に残るアーチ石橋とみやき町の煉瓦アーチ橋梁

鳥栖市に残るアーチ石橋は、「飯田天満宮参道橋」の1橋である。小郡市との市境、飯田町に天満宮はあるので、JR鳥栖駅前から県道246号線と県道41号線により小郡へ向かう。
駅の北ガード下をくぐってまっすぐに、国道3号線は突っ切り、九州自動車道ガード下をくぐると、すぐ左に鳥居が見えるのが、飯田天満宮。市境標識がなく、わかりにくい。

三養基郡みやき町の煉瓦アーチは他にもあるが、「中原(なかばる)5連橋梁」が珍しい。長崎本線JR中原駅のすぐ先で、線路沿いの小道を行く。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータは次のとおり。

写真  1  №2,486  飯田天満宮参道橋     2007.02.12  鳥栖市飯田町
橋長:1.7m  橋幅:1.8m  径間:cm  拱矢:cm
県道脇です。通り過ぎてUターンしようとしたところがうどん屋さんでしたので、一杯食べてから引き返しました。
内部。おや、これは立派な石造アーチ橋です。

写真  2  №2,135  中原(なかばる)5連橋梁  2006.10.14  三養基郡みやき町原古賀
寒水川    橋幅:4.2m(煉瓦部)  径間:5.2m  拱矢:2.6m
架設:1891年(明治24年)頃
JR長崎本線
北側はRC拡幅。南側は煉瓦アーチ。右岸側はRCで補強。左岸側も道路併設。下流側遠景。

神埼市(脊振町)に残るアーチ石橋

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神埼市(脊振町)に残るアーチ石橋

神埼市に残るアーチ石橋は、「脊振の眼鏡橋」の1橋である。国道34号線神埼市役所前から脊振・三瀬への県道21号線により行く。長崎自動車道東脊振ICなら、県道飯町交差点まで戻って入る。

眼鏡橋まで約5km。城原川の新橋のすぐ下流に架かる。
N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋 佐賀県の石橋」によるデータ及び現地説明板は次のとおり。

写真     №1,433  脊振の眼鏡橋    2005.01.03 脊振町大字鹿路字川ノ内
城原川  橋長:20.0m  橋幅:6.0m
架設:明治24年
東背振ICより県道31号線へ。佐賀方面へ2.9Km先、飯町交差点を右折約5Km先左手にあります。
め が ね 橋    所在地 脊振村大字鹿路字川ノ内 

この橋は、明治の中期、県内道路改修の一環として進められた橋梁架け替え工事によって架設されたもので、当時、地形や工法上の数多くの困難を克服した先人の努力が結集した貴重な文化遺産の一つである。
橋の幅員6m、長さ20m、橋脚は城原川両岸の岩盤に固定され、耐久性と、急流の負荷を少なくするために、アーチ構造を持つ石造橋として、明治24年3月に総工費875円で竣工した。
この橋の完成によって、三瀬、背振の山内に通じる広滝山里道と、神埼方面に至る仁比山県道が直結して、神埼郡内の南北縦貫幹線道路が完備、以後の交通運輸、産業開発に計り知れない恩恵がもたらされた。更には、背振渓谷の景観にも一層の趣が加わって道行く人々の目を楽しませてきたのである。
しかし、近年の車輌大型化と、交通量の激増から架け替えの必要が生じた為昭和53年9月、東方100m余の地点に現在の鉄筋コンクリート製の新橋が架設され、旧めがね橋は、明治期における脊振村の近代化を象徴する文化遺産として保存され、今日に至っているのである。
平成十四年六月  神埼市教育委員会

恵みの流水
脊振村は、森林と水源のふるさとです。
森林は、人々にやすらぎとうるおいをあたえ、さらに私たちの生活に欠かせない大切な水を育んでくれます。
めがね橋の欄干から噴き出る水「恵みの流水」は、みどり豊で自然の豊富な村「せふり」からここを訪れる人たちへの贈りものです。
平成14年6月