月別アーカイブ: 2008年1月

水仙の里公園の風景  長崎市野母町

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水仙の里公園の風景  長崎市野母町

平成20年1月19日、長崎市野母町田ノ子の水仙の里公園へ行く。本年は開花が遅かった。水仙まつりの期間中。土曜日の午後だが、人出は多くなかった。
東側展望台まで行く。沖の島は端島(軍艦島)。

国崎半島のハマビワ  雲仙市南串山町丙

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国崎半島のハマビワ  雲仙市南串山町丙

国崎半島は雲仙市南串山町にあり、周囲約11kmの橘湾に突き出た小半島。県立自然公園に指定されている。国道251号線赤間バス停などから案内標識により入る。突端の高台まで車で約5分。海岸には歩いて急な坂段を下る。
海岸の波打ち際にハマビワがハマユウとともにきれいに群生していた。同氏の撮影はここではないが、Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中の樹木名説明は次のとおり。

ハマビワ(浜枇杷) クスノキ科ハマビワ属 常緑高木 雌雄異株

葉は枝先に集まって互生。7〜15cmの狭長楕円形で厚く革質。葉裏と葉柄には褐色の軟毛が多い。10〜11月、黄白色の花を散形状に咲かす。花披片は6個。果実は楕円形で、翌年の春〜初夏に碧紫色に熟する。
本州(中国地方西部)、四国、九州に自生。花は9月。果実は1月。

岡山理科大学植物生態研究室(波田研)HPの植物雑学辞典は次のとおり。

ハマビワ Litsea japonica (クスノキ科 ハマビワ属)
ハマビワは本州西部以西の海岸に生育する常緑の低木。葉は大きくて長さは15cmほど、厚くて裏面には毛が密生している。葉がビワに似ており、海岸に生育しているのでハマビワの名がついた、ということになっているが、きょ歯がないことや、厚ぼったい点などビワとはかなり違った質感の葉である。
クスノキ科の植物であるが、そのイメージはない。同属の植物にはカゴノキがあるが、これとも共通点があるようには見えない。海岸という特殊な立地に対応したためなのであろう。

早崎漁港のアコウ群落  南島原市口之津町乙

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早崎漁港のアコウ群落  南島原市口之津町乙

南島原市口之津町の早崎漁港は早崎半島の突端。有明海の急流早崎瀬戸を挟み、天草がすぐ眼前に見える。早崎漁港へは島鉄フェリー側からも行けるが、加津佐白浜海水浴場側から行く方が、道路が整備されてわかりやすい。早崎灯台や早崎自然公園の案内標識により進む。

漁港の上に着くと、岸壁と集落の間にアコウの緑が長く帯となって一帯を覆い、圧巻の光景が広がる。何れも古樹・大樹ぞろい。枝張りの間隔を置いて、海岸一帯に20本近く群生している。説によると有明海の干潟ではアコウは育たない。土砂の堆積が常にある。アコウの実が南方から流れ着く先が早崎海岸あたりであろう。

防風林として植えられたものとしても、全国にもほとんどない貴重なアコウ群落地と思われる。市指定天然記念物だが、県指定くらいにならないか。紹介している本やHPはあまりなく、知られていない。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

アコウ(赤榕)  クワ科イチジク属 常緑高木

幹から気根を出す。葉は互生し楕円形〜長楕円形で厚い洋紙質。葉柄は3〜6cm。3〜4月、いっせいに落葉し、すぐ新芽を出す。5月頃、花のうを多数つけ、8月頃淡白紅色に熟する。小枝を傷つけると白い乳液がでる。

口之津町早崎半島・浜地区の漁港にあるアコウ。撮影は6月初旬。気根が垂れ絡み合っていて、ガジュマルに似ていて南方系の木であることが実感される。南方からアコウの実が流れ着いたと言われている。島原半島で見るアコウでは、ここが最も群生しており町の天然記念物に指定されている。

樹齢300年を越える。堤防から乗り出した アコウもある。海岸の堤防を越えて枝葉を伸ばしているアコウ。太いアコウは二本の根が絡まって小さなトンネルを造っている。
五島列島・奈良尾町のアコウは、国の天然記念物になっている。

口之津町は国立海員学校がある港町である。昔は三池炭坑の石炭を運ぶ港として活躍した町であり、「からゆきさん」が旅だった哀しい一面のある港町である。有明海に面し、今は天草行きの船から「イルカの見れる町」である。運が良ければ有明海で飛び跳ねる愛らしいバンドウイルカを見ることができる。「からゆきさん」がイルカになって戻ってきたのだろうかと、つい思ってしまう。果実は7月。若葉は4月。

八幡神社のアコウ  雲仙市南串山町丙

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八幡神社のアコウ  雲仙市南串山町丙

八幡神社は雲仙市南串山町にある。国道251号線沿いの南串山中学校校舎前に島鉄バス停があり、これより右へ入ると京泊漁港へ下る。入ってすぐのカーブに八幡神社・幼稚園の案内標識がある。アコウは境内左下の石垣に立つ。社殿右にはクスノキの高木もあった。
神社の尾根先海岸部が、橘湾沿岸の戦争遺跡で紹介している京泊震洋特攻基地跡。漁港へ下ってから行くと、碑と壕跡が残っている。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

八幡神社のアコウ

南串山町の京泊漁港ちかくにある。境内から階段下に根を下ろし、多くの気根を垂らしている。2mほどの所で二つに分かれていて、階段下から見るより、境内から見ると圧巻。

金浜めがね橋そばのアコウ  雲仙市小浜町金浜

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金浜めがね橋そばのアコウ  雲仙市小浜町金浜

金浜のめがね橋は雲仙市小浜町金浜にある。小浜町の端の方となり、国道251号線が諏訪の池へ上がる県道と分岐する。このやや手前の橋右際に、石橋見学の案内標識と駐車場がある。小浜の街から約5分のところ。
金浜川に架かる大きな石橋とともに、そばにあるアコウは見事なものである。最後の写真は、道筋の途中、国民宿舎望洋荘前の公園で見た移植された別のアコウ。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

金浜のアコウ

小浜町金浜にある。金浜川の河口にある「金浜めがね橋」の傍にそびえている。橋の一部をアコウの木陰が被っていて和む。
石橋は1846年(弘化3年)に架けられ、島原半島では最も大きく古い石橋であったが、平成5年に大改修された。

小浜町・同教育委員会「おばまー史跡巡りガイドー」平成11年刊57頁の紹介は次のとおり。

金浜めがね橋のアコウノキ

金浜川は洪水のたびに氾濫し、川に架けられた小さな土橋や木橋は流された。これを見かねた串山の「岡右衛門」が弘化3年(1846)9月、石橋を架けた。その時の藩主松平忠誠は、このことを大変ほめ、労をねぎらった。岡右衛門は、当時金浜に住んでいた地主であったろうといわれている。藩主が小浜にくる時はこの橋を通り、殿様道と呼んでいた。歳月とともに風化し、傷みが激しくなったため、平成5年、平成金浜眼鏡橋として改修された。併せて周辺を河川公園として整備されている。
橋のすぐそばに、幹周り約8mのアコウの木がある。樹齢は不明だが相当の年齢を重ねていることにはまちがいない。(以下略)

小浜海岸通りのジャカランダの街路樹  雲仙市小浜町マリーナ

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小浜海岸通りのジャカランダの街路樹  雲仙市小浜町マリーナ

雲仙市小浜町の国道251号線沿い。市小浜総合支所先のマリーナにある小浜海岸通りのジャカランダの街路樹。ブラジル原産。5〜6月紫色の花を咲かす。
おなよい節は小浜の民謡。その女性像と弘法大師像がこの木の間にある。

Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)及び樹木名の説明は次のとおり。街路樹として珍しいものであったが、同HPによると最近、長崎市矢上にも見られ写真があった。

ジャカランダ(キリモドキ)

小浜町で街路樹として目立つのは、国道沿いのオキナヤシである。南洋ムードの温泉町を演出している。海岸沿いには、珍しい熱帯樹 ジャカランダの街路樹がおよそ300mほど続いている。ジャカランダの街路樹としては、日本唯一ではないだろうか?
長崎新聞の記事(平成13年6月13日)によると、「20数年前に口之津町出身でアフリカ諸国の政府顧問を務めた末続吉間氏が、前小浜町長の草野壬二郎さんに提供した種子をまいて育てた」という。小浜温泉組合は去年、新たに苗木20本を植えた。小浜温泉の目玉になってほしい街路樹だ。

小浜町の海岸沿いのジャカランダの街路樹。樹高は10m弱で樹齢20年ほど。撮影は6月初旬。小浜温泉の湯気が漂っている。

ジャカランダ(キリモドキ)Jacaranda ノウゼンカズラ科ジャカランダ属 落葉高木

葉は対生で羽状複葉。枝先や葉腋に円錐花序をつけ、紫色の花を咲かす。花は漏斗状で先が2唇状で5裂する。5〜6月、開花し花は下から順に咲き、数週間咲き、花の寿命は長い。広い豆状の朔果には多数の種子がある。

原産地はブラジルで50種ほどあり、花も紫、青、桃色、白がある。ネムノキのような葉にキリのような花が咲くので、昔、ブラジルに渡った日本人によって、キリモドキと言われた。南米やアフリカなどの熱帯地域では、日本のサクラ並木のように街路樹や公園樹として植えられている。長崎市・矢上のジャカランダ。花は6月中旬。果実は7月と2月。

小浜小学校のヒマラヤスギ?  雲仙市小浜町北本町

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小浜小学校のヒマラヤスギ?  雲仙市小浜町北本町

雲仙市小浜町北本町の小浜小学校は、国道251号線小浜警察署先の平松交差点から左へ上がった山手にある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中「街路樹」及び樹木名の説明は次のとおり。

カラマツ(唐松・落葉松) マツ科カラマツ属 落葉高木

樹皮は暗褐色で鱗片票に剥がれる。葉は短枝に20〜40個束成し、針状で柔らかい。5月頃に開花し、雄花は黄色の卵形で、雌花は薄紅色の球形。球果(マツカサ)は9〜10月ころ黄褐色に成熟する。葉は秋に黄葉する。
日本特産の落葉針葉樹。本州中北部〜北海道など、冷涼な地域で育つ。写真は小浜町・小浜小学校のカラマツ。撮影は6月。

ヒマラヤスギ     マツ科ヒマラヤスギ属 常緑高木

枝は水平に広がり、樹冠は円錐形。樹皮は灰褐色で鱗状にはがれる。葉は針状で多数束生する。10〜11月に開花し、雄花は3cmほどの穂状で、雌花は円錐形で淡緑色。球果は6〜13cmの卵形で、翌年の秋に成熟する。
スギと名がついているがマツ科。球果と雄花は11月。最下部は雄花序(1月)。

小学校を訪れてみた。正門を上がった校舎の前に3本あったが、毛虫の害で1本は伐られている。校名碑の両脇にあったワシントンヤシも伐られている。
Otoji.K氏が写真を撮った時には、学校もたしかに「カラマツ」と名札をつけていた。今は「ヒマラヤスギ」の名札に変っていた。常緑樹。枝や樹冠の形から、やはり「ヒマラヤスギ」と思われる。 
別のところに「カラマツ」は生えているのに、私がこの木を写真の木と見間違ったのかも知れないから、再度訪ねたい。

野田神社のタブノキ  雲仙市千々石町戊

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野田神社のタブノキ  雲仙市千々石町戊

雲仙市千々石町の野田神社は、国道251号線が千々石の街に入り、JAのGSより温泉鉄道跡県道へ行く。商店街通りを過ぎまもなくすると、千々石少年自然の家入口の標識がある。これを上がると千々石幼稚園と社会福祉協議会で、この建物奥が野田神社である。

正面鳥居左にムクノキ、境内右斜面にタブノキ、参道石段右にイスノキ、左にモッコク、社殿右上にクロガネモチのかなり大きい木がある。樹種説明の名札が根元にあった。タブノキは名札がないが、境内随一の大木である。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。

大 タ ブ

千々石町野田神社にある。神社の石段を登ると、右手のゆるやかな斜面の途中にタブノキがある。幹周りおよそ6.5mはある巨木。圧巻。ちょっと感激。
神社近くは町立幼稚園やデイサービスセンターがある。

千々石ホテル跡の樹叢  雲仙市千々石町乙

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千々石ホテル跡の樹叢  雲仙市千々石町乙

雲仙市千々石町の野田神社大タブノキを見に行く途中、商店街通り手前で左手に高い木立が目立った。路地を行ってみると大正年代頃の「千々石ホテル」跡。町が整備し、自由に見学できる。場所は、国道251号線から右へ入った千々石小学校の西方(海岸側)。

日本の樹木は、鎮守の森などで残されていることが多いが、こういったこともあったのだ。さほどの大木は見あたらず、樹種の説明はできないが、まとまった木立と湧水の庭園が残されていて、写真のみ載せる。ホテルの歴史の詳しくは、雲仙市千々石の地域情報サイト「千々石ネット」史跡中にある。
現地説明板は次のとおり。
千 々 石 ホ テ ル

千々石ホテル主・城代良治が、いつ頃からホテルを経営していたかは確認できないが、少なくとも大正元年には、洋風建築の千々石ホテルと、正面のレンガ門は写真により確認することができる。千々石ホテルの外観は洋風であるが、内は障子や畳の部屋もあったそうである。広い敷地内には庭園が整備され、観光客を移動する人力車も二台見える。千々石村は千々石海水浴場など景色に富み、また、雲仙・小浜への湯治客も多く、内外人が来て遊ぶことも少なくなかった。また、千々石ホテルは、よく千々石村の接待の場としても利用されていたそうである。(「千々石史談第二号」写真説明から抜粋)              平成十六年十月   千々石町