長崎の巨樹・名木 (大村市)」カテゴリーアーカイブ

玖島崎(くしまざき)樹叢  大村市玖島1丁目

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玖島崎(くしまざき)樹叢  大村市玖島1丁目

大村公園の大村城跡東側斜面から海岸道路にかけて「玖島崎樹叢」がある。長崎県指定天然記念物として保護されている。
現地説明板は次のとおり。公園一帯にはあちこちに高・低木が見られる。貴重なのはヒゼンマユミ、コバノチョウセンエノキ、クシマザサとのこと。
写真は、ヒゼンマユミのほか、海岸沿いにあったエノキのヤドリギ、タブノキの巨木、ハマボウなど。

県指定天然記念物  玖島崎(くしまざき)樹叢

この樹叢は、玖島城の本丸を取り囲むように茂る自然林で、城の東側の斜面から教育センターの手前まで広がっています。
樹叢の中には、クスノキ、シイノキ、ナナメノキ、ヤマモガシ、ヤマモモ、バクチノキなど主に暖地性の樹木があり、また大陸性のコバナチョウセンノキも見られます。樹下には、クシマザサ、イヌガネ、シロヤマシダ、ホウチャクソウ、ムサシアブミなど珍しい植物が生えています。特に注目されることは、諫早が北限とされていたヒゼンマユミが樹叢内でいくつか発見されたことです。
玖島城には、江戸時代に既に大きな樹木があり、大村を来訪した文人の日記にもお城の建物が樹木で見えないというエピソードが出てきます。廃城となった後、人の手が入らなかったため、林が自然の状態へと戻っていき、現在のような大木を含む樹叢になりました。
この樹叢は、自然保護の上からも、学術的にも、極めて貴重なものであり、昭和四十九年県の天然記念物に指定されました。現在も自然の状態で保護されています。
平成十五年三月  大村市教育委員会

大村神社のオオムラザクラ  大村市玖島1丁目

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大村神社のオオムラザクラ  大村市玖島1丁目

大村公園は桜の名所。中でも大村城跡の上部広場にある大村神社前の桜は、たいへん珍しい品種である。八重桜の一種「オオムラサクラ」。公園に多く見られる。
国指定天然記念物。開花は4月中旬以降。美しいピンクの花をつける。現地説明板は次のとおり。開花画像は、あじこじ九州HP「長崎観光 九州」から。
全国の珍しい桜も植えられている。

国指定天然記念物  大村神社のオオムラザクラ

オオムラザクラは、昭和十六年、当時、大村の女子師範学校の教官であった外山三郎氏(のち長崎大学名誉教授)によって学会に報告され、命名された大変珍しい品種で、八重桜の一種です。
花は、八重桜を二つ重ねたような独特の二段咲きで、下の花を外花、上の花を内花といい、外側にあるがく片は十枚(桜の基本は五枚)、花弁の数が、多いものでは二〇〇枚にも達するなどの特徴があります。
大村公園に多く見られますが、大村神社社殿前の二本が、昭和四十二年に国の天然記念物に指定されました。ソメイヨシノより少し遅く、四月の中旬以降にピンクの花をつけます。
大村市の市花となっています。       平成八年三月    大村市教育委員会

大村城跡のマキ  大村市玖島1丁目

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大村城跡のマキ  大村市玖島1丁目

大村公園の大村城跡へ大手門から登る。高い石垣の上にイヌマキがある。長崎県指定天然記念物。料亭庭の板戸を開けて見せてもらった。大きな根元が3本並んでいた。手前の1本は伐られている。長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

大村城跡のマキ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和42年2月3日 所在地 大村市玖島1丁目35 所有者 大村神社
大村神社社叢の風致を象徴するもので、神社の石段、右手の料亭に縁先にならび、総数4本。幹まわりは、それぞれ4.02m、2.60m、4.15m、3.32mほどで、高さ約25m。マキの名木といえる。
このマキは玖島城時代に植えられたものと考えられ、樹齢は350年余りになると思われる。
マキはマキ科に属する常緑樹で、イヌマキともいい、人によく知られている。種子は直径1cmほどで、丸くて緑色。その下に花托の変化した倒卵形の玉がついていて食べられる。

三城城跡(忠霊塔)のクスノキ  大村市三城町

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三城城跡(忠霊塔)のクスノキ  大村市三城町

JR大村駅の裏手の小高い山。現在、本丸跡には県下6万余の第二次世界大戦戦没者を祀る忠霊塔がある。場所は「忠霊塔」といった方がわかりやすい。
大村駅前から向陽の方へ進み、大村線のガード下か踏み切りをわたり、線路沿いの道を行く。富松神社の駐車場が登り口で、「三城城跡(忠霊塔)」の案内標識がある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。クスノキやエノキの大木は、忠霊塔の右手にある。

三城城は、日本最初のキリシタン大名・大村純忠(すみただ)と、その子喜前(よしあき)にわたる2代の居城。永禄7年(1564年)、純忠によって築城された。本城・北の城・南の城からなるので、三城(さんじょう)の名がついたと伝えられる。
慶長4年(1599)、喜前が玖島城を築いて移ると、三城城は居城としての役割を終えた。(大村市HP)
登り口に築城前墓碑の跡と、大戦中の「陸軍所轄地」と用地標石を数本見つけた。

三城城跡のクスノキ

大村駅裏の三城(さんじょう)町にある。城跡にはモミジが散りかけて、サザンカが咲いていた。イチイガシ、ナナミノキ、ヤブツバキ、etc が見られた。目を引いたのは、エノキの大木とクスノキの巨木。クスノキの巨木は幹周り3mほどだが、数本ある。…
サクラの大木もあったが、サクラが咲く頃に訪れ、満開のサクラの姿を見てみたい。

国立長崎医療センターのトチノキ  大村市久原2丁目

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国立長崎医療センターのトチノキ  大村市久原2丁目

国立長崎医療センターは前の国立長崎中央病院。国道34号線の岩松方面からか久原交差点から入る。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。
センター入口に史跡長与専斎旧宅があった。初代衛生局長として近代医学の基礎を築き、「衛生」の用語をつくった。旧宅は雅号をとって「松香館」と呼ばれている。

トチノキ(橡の木)

大村市にある国立医療センタ−内にあるトチノキ。職員駐車場そばにそびえている。りっぱな大木。このトチノキは大村市の秋山さんから教えて頂いた木。
4月下旬。花は一部、散りかけていた。トチノキの横にはバクチノキの大木があった。

大村市中里のカキノキ  大村市中里町

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大村市中里のカキノキ  大村市中里町

国道34号線が鈴田峠を過ぎ、長崎高速道の高い陸橋下をくぐるやや手前、鈴田交差点から左へ入る。JR大村線ガード下を通り、まっすぐ進むと大神宮がある。この道は長崎街道の道。ずっと案内標識がある。街道がやがて右へ折れ、坂道を上がると数軒の集落がある。

大カキノキは、この集落の右かなり後方奥、高速道を向いた斜面地の畑地にある。朝永畳店の上道から歩いて行くが、少しわかりにくい。軽自動車なら畳店のすぐ先の家の石垣に「中里町」の住居表示板があり、ここから右へ家や牛舎の間の急な農道を登って行く。上で下からの道と合ったら下へ下って行くと、大カーブの畑地に大カキノキが見える。
農道を戻ってそのまま登ると、長崎街道の道と再び合う。

Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。同氏が最近見つけられた木。昨年12月16日にHPを更新されていた。位置図はHPにある。
畳店で聞くと、ここは同集落の田中宅の前の屋敷が、50年くらい前まであった。カキノキはこのため残ったのではないだろうか。屋敷跡には地蔵と別のカキノキもあった。
最後の写真は、途中の大神宮において石段を上から。

大カキノキ

大村市中里町の斜面の畑の隅にある。主幹は途中で折れて、そこから枝がでていて、実をつけている。幹には洞がある。樹高は7〜8mほどで高くはないが、四方に枝を広げた樹形はいい。幹周りは2.2m。
カキノキの巨木をネットで調べたら、
幹周り4.4m  市指定(樹齢300年以上)
幹周り3.2m  町指定(500年)
幹周り2.4m  ………(370年)
幹周り2.3m  県指定(260年)
幹周り2.0m  市指定(260年)
幹周り1.8m  市指定( 不明 )がある。
このカキノキは巨木と言えそうだ。樹齢は250年ほど…か。