九州(福 岡 県)」カテゴリーアーカイブ

黒岩道標1・2  みやま市瀬高町大草 ( 福岡県 )

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黒岩道標1・2  みやま市瀬高町大草

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。場所がわかりにくいので、所在図を載せる。改良中の県道774号の方から西へ入る。有料老人ホーム卑弥呼付近。
1枚目写真の左石柱に「永興寺」、右石柱に同寺山号「巨泉山」と刻む。

黒岩道標1 くろいわ
みやま市 石道標 (尖頭角柱、砂岩) 高151㎝,29㎝角 文久元(1861) 瀬高町教育委員会 原位置? 「永興寺」 2 C

黒岩道標2 くろいわ
みやま市 石道標 (尖頭角柱、砂岩) 高163㎝,幅17㎝,厚29㎝ 文久元(1861) 瀬高町教育委員会 原位置? 「巨泉山」 2 C

ウィキペディアフリー百科事典による解説は、次のとおり。

永興寺(えいこうじ)は、福岡県みやま市瀬高町大草の天台宗寺院。寺名については叡興寺とも。山号は巨泉山、院号は仏頂院。本尊は千手観音。筑後三十三観音霊場第29番札所にあたる。また九州西国三十三箇所の第17番でもある。柳川藩の史料では山号で掲載されている。
…現在は堂于1棟を残すのみとなっている。堂宇には忠茂が、諱を「忠貞」としていた頃に奉納した絵馬が掲げられている。

女山神籠石  みやま市瀬高町大草 ( 福岡県 )

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女山神籠石  みやま市瀬高町大草

みやま市HPの文化財による説明は、次のとおり。県道774号清水交差点先から九州自動車道の東側を通る改良中の同県道の方へ入る。大草の共同駐車場に史跡案内板があり、黒岩池を通って古塚山山頂の女山史跡森林公園展望台まで行ける。山頂南西側で列石や山内古墳群が見られる。

女山神籠石  ぞやまこうごいし

所在地 みやま市瀬高町大草
国指定史跡
昭和28年11月14日指定
昭和52年7月14日(追加指定)

女山神籠石の配列の形状は、古塚山を中心に1辺約70cmの立方体に加工された礫岩が、山にほぼ馬蹄状に並んでいる。
列石を横切る粥餅谷・長谷・源吾谷・産女谷には水門が設けられており、そのうち、粥餅谷と長谷が比較的水門の原形をとどめている。
女山神籠石は全長約3㎞に及び、山麓最北端の横尾谷より北半分についてはまだ不明である。
築造の目的については、これまで「神域説」と「山城説」の両説の間で争われてきたが、近年の調査により七世紀頃に構築された山城遺構とする見解が強まっている。

瀬高町長田の里塚石(三里)  みやま市瀬高町長田  ( 福岡県 )

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瀬高町長田の里塚石(三里)  みやま市瀬高町長田  

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道209号船小屋橋手前長田交差点から県道715号に入り八女市方面へ向かう。約500mほど進むと、右手に里塚石が見える。水上小学校の300mほど手前となる。

瀬高町長田の里塚石(三里) せたか、ながた
みやま市 <矢部街道> 一里石 高172㎝,幅28㎝,厚27㎝ 1630年代以降 WEB/瀬高町教育委員会 近接移設、修景 (正面)「三里」/柳河藩が田中家(60-20)から立花家に替わり、石高が32.5万石から10.9万石に分割縮小された後の地域に一里石があるため、俗に「田中吉政が、柳川城の辻の門を起点として矢部村まで一里ごとに立てさせた」というのは間違い/柳井市に残る2基の一里石以外は、刻字が「○里」のみとなり、書体も異なることから、より後年の建立の可能性もある 1 C

現地説明板は、次のとおり。

史跡「長田の三里石」    所在地:みやま市瀬高町長田
江戸時代の初期の慶長9(1604)年頃に筑後領主田中吉政は城下町下前の札の辻(現在、柳川市辻町)を基点として、黒木・矢部に至る矢部往還に一里(4km)ごとに石柱を設置させました。その配置は柳川から一里の久末、二里の中山、本郷と坂田を過ぎて三里の長田、小田を過ぎて四里の山下に通じ矢部の国境に至っていました。
特に、ここの石柱に三里と刻んでいることは、基点から12kmの距離と共に、長田村域(当時は、南長田村)であることも表わしています。
長田の三里石は、平成22年に長田湯辺田瀬高線(旧矢部往還)の歩道設置工事により南側3mの現在地に移築されました。昔時を思いめぐらせ、後世に引き継ぐうえからも歴史の証、貴重な史跡として大切に保存してまいりましょう。
平成22年4月1日   水上校区まちづくり協議会

立花町北山の里塚石(四里)  八女市立花町北山 ( 福岡県 )

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立花町北山の里塚石(四里)  八女市立花町北山

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道209号船小屋橋手前長田交差点から県道715号に入り八女市へ向かう。矢部川の中川原橋付近の千間土居公園手前から旧道に入り山下集落に戻って行くと、稲荷神社角奥の田の方へ里塚石が見える。現地説明板は、正面から撮影忘れのため調整した。

立花町北山の里塚石(四里) たちばな、きたやま
八女市 <矢部街道> 一里石 高110㎝,幅29㎝,厚23㎝ 1630年代以降 WEB 原位置/田に落ちていたものを引き上げた (正面)「四里」/柳河藩が田中家(60-20)から立花家に替わり、石高が32.5万石から10.9万石に分割縮小された後の地域に一里石があるため、俗に「田中吉政が、柳川城の辻の門を起点として矢部村まで一里ごとに立てさせた」というのは間違い/柳井市に残る2基の一里石以外は、刻字が「○里」のみとなり、書体も異なることから、より後年の建立の可能性もある 2 C

現地説明板は、次のとおり。

里程表示石柱 (四里石)  立花町指定文化財(歴史資料)
関ヶ原の戦い(慶長5年、西暦1600年)の後、筑後の国を領有した田中吉政は領内かくちにの道路の整備や河川の改修、干拓事業を行い、領民のために尽くしました。
柳川城の辻の門(柳川市辻町)を基点として矢部川の南岸に沿って矢部村まで36町(約4km)を一里として、一里ごとに石柱を建てさせました。
この山下の四里石は柳川の辻の門から四里(約16km)を示すもので、この場所を矢部街道が通っていました。橘町にはこの他に五里石が原島付近に、六里石が田形に建てられていたようですが、現存していません。
この四里石は当時の交通・通路の様子を知る上で貴重な資料です。
石の大きさは  高さ110cm、幅29cm、厚さ23cmです。
平成11年3月   立花町教育委員会

千間土居の楠・矢部川の旧ハネ  八女市立花町北山 ( 福岡県 )

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千間土居の楠・矢部川の旧ハネ  八女市立花町北山

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道209号船小屋橋手前長田交差点から県道715号に入り八女市へ向かう。矢部川の中川原橋付近が千間土居公園となっている。「目玉おやじの木」は?

千間土居の楠 せんげん、どい
八女市 矢部川(左岸) 土堤防 長約2㎞ 元禄8(1695) 八女土木事務所 楠が所々で途切れている 柳川藩主の治水事業の命を受けた普請役・田尻惣助・惣馬親子が築いた堤防が2㎞にわたって残り、楠が植えられている 2 A

矢部川の旧ハネ やべ
八女市 千間土居公園、矢部川 石水制 (6ヶ所→1ヶ所) 元禄8(1695)以降 八女土木事務所 公園内に残る/完全な保存状態 矢部川中流に現存する水刎は珍しい 2 B

長田のイチョウ  みやま市瀬高町長田 ( 福岡県 )

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長田のイチョウ  みやま市瀬高町長田

みやま市HPの文化財による説明は、次のとおり。矢部川の国道209号船小屋橋近く。上長田の老松神社境内に生える。

長田のイチョウ  ながたのいちょう

所在地 みやま市瀬高町長田(老松神社境内)
県指定天然記念物
平成16年2月18日指定

上長田の老松神社境内に、今より約400年前、社殿建立の際に、御神木として植栽されたといわれ、古くから「いっちょうの木」の愛称で呼ばれている。
根元は一本で、幹は7本に分かれ、現在も樹勢は旺盛である。
指定時の測量では樹高27.3m・根元周囲長11.6m・最大幹の周囲長5.0m・枝張り東西24.0m・南北28.5mを測り、特に根元周囲長は現在、福岡県内のイチョウの中でも大きいといわれている。

新舟小屋のクスノキ林  みやま市瀬高町長田   ( 福岡県 )

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新舟小屋のクスノキ林  みやま市瀬高町長田

みやま市HPの文化財による説明は、次のとおり。矢部川の国道209号船小屋橋のところ。中ノ島公園となっている。

新舟小屋のクスノキ林 しんふなごやのくすのきばやし

所在地 みやま市瀬高町長田字狐林
国指定天然記念物
昭和49年6月18日指定

当クスノキ林は、瀬高町新舟小屋地区と筑後市船小屋地区とに挟まれる矢部川の中ノ島公園にある。
延長約920m・最大幅約130m・面積約73000㎡の規模内に、約900本のクスノキが繁茂し、河川堤防上のクスノキ群として稀なるものである。(平成9年調査にて、534本が確認されている。)
元禄8年(1695)柳川藩主の治水事業の命を受けた普請役田尻惣助とその子惣馬が、北山の千間土居より船小屋地区までの堤防大改修を行ったときに、護岸のために植えられたものが最初である。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。

瀬高の楠木土居 せたか、くすのきどい
みやま市 中の島公園、 矢部川(左岸) 水害防備林(クス) 長920m,最大幅130m,534本(H9) 元禄8(1695) 国天然記念物 岩屋隆夫 中の島公園として整備/樹齢300年を超えるクスノキが良好に保存 柳川藩主の治水事業の命を受けた普請役・田尻惣助・惣馬親子が、北山の千間土居より船小屋地区までの堤防大改修を行った時、植えたものが最初/河川堤防上のクスノキ群として稀=日本最大の防水林 1 – A

蒲池山ため池  みやま市山川町河原内 ( 福岡県 )

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蒲池山ため池  みやま市山川町河原内

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道443号山川町尾野交差点から東の県道774号に入り、山手へ登って行くと「蒲池山ため池」がある。

蒲池山ため池 かまちやま
みやま市 (山川町河原内) 溜池 長約230m 享保2(1717) ため池百選 WEB 堰堤の嵩上げ 田尻惣馬が延べ76000人を使って築造。 3 B

江浦地先の水刎1・2  みやま市高田町江浦 ( 福岡県 )

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江浦地先の水刎1・2  みやま市高田町江浦

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。高田町徳島との境となる楠田川河口から矢部川(左岸)で見かけた江浦地先の水刎らしいのは、写真のとおり2箇所。これかどうかわからない。「徳島地先の水刎」は、訪ねていない。
筑後川河川事務所大川出張所には、資料がなく、場所を聞いてもわからなかった。

江浦地先の水刎1 えのうら
みやま市 矢部川(左岸) 石水制 長約25m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好/堤防からかなり離れて残る 矢部川の水刎群(小型) 3 C

江浦地先の水刎2 えのうら
みやま市 矢部川(左岸) 石水制 長約18m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の水刎群(小型)/No.1より徳島地先の水刎に近い 2 C

徳島地先の水刎 とくのしま
みやま市 矢部川(左岸) 石水制 長約23m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の水刎群(小型) 2 C