九州(福 岡 県)」カテゴリーアーカイブ

藤尾道標  みやま市瀬高町山門 ( 福岡県 )

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藤尾道標  みやま市瀬高町山門

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道443号瀬高町東町交差点から東の県道775号に入る。藤ノ尾バス停先、九州新幹線のガード下をくぐると、左道角にこの道標がある。「巨泉山」は、永興寺の山号。

藤尾道標 ふじお
みやま市 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高156㎝,幅78㎝ 文久元(1861) 瀬高町教育委員会 原位置?/表面が凸凹 「右 清水寺/左 巨泉山」 2 C

ウィキペディアフリー百科事典による解説は、次のとおり。

永興寺(えいこうじ)は、福岡県みやま市瀬高町大草の天台宗寺院。寺名については叡興寺とも。山号は巨泉山、院号は仏頂院。本尊は千手観音。筑後三十三観音霊場第29番札所にあたる。また九州西国三十三箇所の第17番でもある。柳川藩の史料では山号で掲載されている。
…現在は堂于1棟を残すのみとなっている。堂宇には忠茂が、諱を「忠貞」としていた頃に奉納した絵馬が掲げられている。

山川町尾野(野町赤坂)の追分石  みやま市山川町尾野 ( 福岡県 )

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山川町尾野(野町赤坂)の追分石  みやま市山川町尾野

国道443号が県道774号と交じわる山川町尾野の野町赤坂交差点の角に追分石はある。説明板はここにはないが、近くの三里石説明板に追分石のことを記していたので、次のとおりこれを引用する。

山川町指定文化財  三里石  所在地 山川町大字尾野字虎ノ尾

筑後藩主田中忠政は父の意志をついで、全国にならって慶長17年(1612)柳河城下札の辻を起点に一里塚を設けました。山川町には、追分石(道標・野町赤坂)三里石(野町上町)四里石(北関)が設けられました。
追分石は、野町赤板の四つ角、柳川にむかって右側の角に立てられ、右側面に「清水寺道」左側面に「柳河道」と彫り込まれているのが今でも読めます。この三里石は「三里」とのみ刻まれたものです。
四里石は高速道路の北関のボックスの南側、旧道の傍らに立っていましたが、高速道路建設時になくなっていたため、三里石にならって町で元の場所に復元しました。
南関街道(薩摩街道)にはこの外、一里石(三橋町一里石)・二里石(復元・瀬高町下の庄大竹)・国境石(大牟田市湯谷)があります。
南関街道は肥後国とを結ぶ重要な道路で、柳河札の辻から松風の関を経て湯谷国境石まで全長4里20丁余(約18.2km)ありました。
尚、旅人の便宜をはかるために「宿駅」と「お茶屋」が置かれました。
山川には、宿駅(馬継斬・馬16頭が置かれた)「原町」。お茶屋「野町・原町・三峰・北開」に置かれました。
現在の道路(443号)は当時の道路(旧道)に大体沿っているか、または取り込んでいます。旧道もそのまま残っている所もあります。
今歩いてみても当時とは周りの景観は違っても気分は味わえるのではないでしょうか。
一度歩いてみようではありませんか。
山川町教育委員会  山川町郷土史研究会

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストに、次のとおりデータが登載された。

山川町尾野の道標(追分石) やまかわ、おの
みやま市 <南関街道> 石道標 江戸期 WEB 原位置? (正面)「柳河道」、(右面)「清水寺道」 1 C

山川町尾野(野町上町)の三里石  みやま市山川町尾野 ( 福岡県 )

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山川町尾野(野町上町)の三里石  みやま市山川町尾野

現地説明板は、次のとおり。国道443号山川町尾野交差点を少し北東へ過ぎた入性寺入口角のブロック塀にある。

山川町指定文化財  三里石  所在地 山川町大字尾野字虎ノ尾

筑後藩主田中忠政は父の意志をついで、全国にならって慶長17年(1612)柳河城下札の辻を起点に一里塚を設けました。山川町には、追分石(道標・野町赤坂)三里石(野町上町)四里石(北関)が設けられました。
追分石は、野町赤板の四つ角、柳川にむかって右側の角に立てられ、右側面に「清水寺道」左側面に「柳河道」と彫り込まれているのが今でも読めます。この三里石は「三里」とのみ刻まれたものです。
四里石は高速道路の北関のボックスの南側、旧道の傍らに立っていましたが、高速道路建設時になくなっていたため、三里石にならって町で元の場所に復元しました。
南関街道(薩摩街道)にはこの外、一里石(三橋町一里石)・二里石(復元・瀬高町下の庄大竹)・国境石(大牟田市湯谷)があります。
南関街道は肥後国とを結ぶ重要な道路で、柳河札の辻から松風の関を経て湯谷国境石まで全長4里20丁余(約18.2km)ありました。
尚、旅人の便宜をはかるために「宿駅」と「お茶屋」が置かれました。
山川には、宿駅(馬継斬・馬16頭が置かれた)「原町」。お茶屋「野町・原町・三峰・北開」に置かれました。
現在の道路(443号)は当時の道路(旧道)に大体沿っているか、または取り込んでいます。旧道もそのまま残っている所もあります。
今歩いてみても当時とは周りの景観は違っても気分は味わえるのではないでしょうか。
一度歩いてみようではありませんか。
山川町教育委員会  山川町郷土史研究会

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストに、次のとおりデータが登載された。

山川町尾野の里塚石(三里) やまかわ、おの
みやま市 <南関街道> 一里石 1630年代以降 市有形民俗 WEB 原位置? (正面)「三里」/同上 (柳河藩が田中家(60-20)から立花家に替わり、石高が32.5万石から10.9万石に分割縮小された後の地域に一里石があるため、俗に「田中吉政が、柳川城の辻の門を起点として矢部村まで一里ごとに立てさせた」というのは間違い/柳井市に残る2基の一里石以外は、刻字が「○里」のみとなり、書体も異なることから、より後年の建立の可能性もある) 1 C

永興寺  みやま市瀬高町大草 ( 福岡県 )

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永興寺  みやま市瀬高町大草

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道774号清水交差点から清水寺へ向かう。さらに古僧都林道を登って大観峠公園入口を過ぎ、しばらく行くと永興寺に入る分岐に案内板がある。古僧都林道は小田へ下る。

永興寺 (みやま市)

永興寺(えいこうじ)は、福岡県みやま市瀬高町大草の天台宗寺院。寺名については叡興寺とも。山号は巨泉山、院号は仏頂院。本尊は千手観音。筑後三十三観音霊場第29番札所にあたる。また九州西国三十三箇所の第17番でもある。柳川藩の史料では山号で掲載されている。

歴史[編集]
貞観2年(860年頃)に比叡山の僧侶、某により開山されたと伝承されるが、詳細は不詳。慶長6年(1601年頃)に尊隆により中興。柳川藩に入封してきた田中吉政より寺領60石を与えられたとされる。但し、次代の田中忠政の代と推測されている「田中筑後守殿家人数並知行付帳」には巨泉山、仏頂院、永興寺のいずれの名は見えない。

その後、田中氏は無嗣断絶で改易となり、代わって立花氏が柳川藩に再入封する。正保3年(1646年頃)に藩主立花忠茂により、寺内に東照宮が勧請される。なお、前年の正保2年11月15日(1646年1月1日)に忠茂と、徳川秀忠の養女である正室との間に嫡子立花鑑虎が江戸にて生まれている。万治3年(1660年)とされる「忠茂公御代之分限帳」においても巨泉山、仏頂院、永興寺のいずれの名も登場しないが、「延宝九年酉年知行取無足扶持方共」(1681年の史料)に『高六十石 巨泉山』と『御合力米貮石弐斗 巨泉山 正光坊』とある。柳川藩の寺院第8位の位置づけで神護寺の下に記載されている。

現在は堂于1棟を残すのみとなっている。堂宇には忠茂が、諱を「忠貞」としていた頃に奉納した絵馬が掲げられている。

古僧都林道道標  みやま市瀬高町本吉 ( 福岡県 )

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古僧都林道道標  みやま市瀬高町本吉

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道774号清水交差点から清水寺へ向かう。さらに登って大観峠公園(清水山展望所)入口を過ぎ、しばらく行くと左手道路脇に傾いた道標がある。
見落としがちだが、目印は車道反対側に写真の電柱と地蔵がある。この車道がすなわち古僧都林道で、永興寺分岐を通り、小田へ下る。往時の両寺参詣道(山道)に沿った現代の車道と思われる。
後ろの写真は、大観峠公園(清水山展望所)からの景色。

古僧都林道道標 こそず
みやま市 石道標 (尖頭角柱、砂岩) 高112㎝,幅23㎝ 文久3(1863) 瀬高町教育委員会 原位置? 「右 清水寺/左 永興寺」 2 C

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり変更された。

瀬高町本吉の道標(古僧都林道道標) せたか、もとよし
みやま市 石道標 (尖頭角柱、砂岩) 高112㎝,幅23㎝ 文久3(1863) 瀬高町教育委員会 原位置? (正面)「(梵字)右 清水寺」、(右面)「左 永興寺」、(左面)「山道」 1 C

清水寺・三重塔・山門  みやま市瀬高町本吉 ( 福岡県 )

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清水寺・三重塔・山門  みやま市瀬高町本吉

ウィキペディアフリー百科事典による説明は、次のとおり。県道774号清水交差点から清水寺へ向かう。最初の広い駐車場がある清水寺本坊庭園のところから、さらに車道を登って行く。

清水寺

清水寺(きよみずでら)は福岡県みやま市瀬高町本吉にある天台宗の寺院。山号は本吉山(もとよしざん)。院号は普門院。本尊は千手観音。九州西国霊場第十六番。また、筑後三十三観音28番札所。

歴史[編集]
寺伝によれば、平安時代初期の806年(大同元年)、唐から帰国してまもない最澄(伝教大師)は、1羽の雉の導きで清水寺のある山に分け入り、合歓(ねむ)の霊木を見つけたという。最澄はこの合歓の立木を刻んで2体の千手観音の木像を作り、うち1体を京都の清水寺に安置。もう1体を安置する堂をこの地に創建したのが当寺の起源であるという。
柳川藩藩主田中忠政の治世中と推察されている資料「田中筑後守殿家人数並知行付帳」に『五拾四石弐斗 清水寺』とある。また、「延宝九酉年知行取無足扶持方共」(1681年)に『同(高)五拾四石弐斗 清水寺』とあり、藩内寺社では13位の位置付けで建仁寺の下、水田天神宮社領の上に記載されている。
1745年(延享2年)には当時の柳川藩藩主立花貞則が願主となって、山門(福岡県指定有形文化財)が建立され、1836年(天保7年)には三重塔(福岡県指定有形文化財)が落成した [1] [2] [3]。

伽藍[編集]
・三重塔本堂
開基最澄の作と伝承される千手観音菩薩の木像を本尊として安置する[2]。
・山門
立花貞則を願主として1745年(延享2年)に建立されたもので、釈迦如来、文殊菩薩、四天王を上層内部に安置している。福岡県指定有形文化財[3]。
・三重塔
総高約26.5メートル、本瓦葺の三重塔。大阪・四天王寺の五重塔を模して1836年(天保7年)に建立された。1984年(昭和59年)に修復されている。1955年(昭和30年)3月5日、福岡県有形文化財に指定された[2][3][4]。
・乳父観音
開基僧最澄の弟子円仁(慈覚大師)が848年(嘉祥元年)に祀ったのが始まりと伝えられる観音像。母乳の出に効験のある観音といわれ、古来より祈願成就の礼として絵馬や千羽鶴を奉納する習わしがある[2]。
・本坊庭園
本堂や三重塔のある境内から離れた位置にある室町時代に開かれた庭園で、絶景と評される紅葉をみどころとする。雪舟の作と伝えられている。1929年(昭和4年)4月2日に国の名勝に指定されている。拝観は有料[5][6][7]。

清水寺本坊庭園  みやま市瀬高町本吉 ( 福岡県 )

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清水寺本坊庭園  みやま市瀬高町本吉

みやま市HPの文化財による説明は、次のとおり。県道774号清水交差点から清水寺へ向かう。最初の広い駐車場があるところから、左奥への遊歩道で清水寺本坊庭園へ行く。

清水寺本坊庭園  きよみずでらほんぼうていえん

所在地 みやま市瀬高町本吉
国指定名勝
昭和4年4月2日指定

室町時代の画僧・雪舟の作と伝えられており、前方の愛宕山を借景として取り入れている。
心字池を中心に庭石の配置・植込・池に注ぐ緩と急の滝など、自然と人工の美が見事に調和した庭園である。
春は新緑、秋は紅葉など、四季折々の見事な風景を織り成し、特に借景の愛宕山から昇る中秋の名月は池面に映えて、見る人を幽玄の世界へと誘うようである。

法華経千部逆修板碑  ほっけきょうせんぶぎゃくしゅいたび

所在地 みやま市瀬高町本吉
県指定有形文化財(考古資料)
昭和33年11月13日指定

清水寺本坊境内入口より、向かって左にある。
石質は安山岩で、高さ最高部80cm・下部幅126cm・厚さ22cmの卦(けい)線板碑である。
中央上部に釈迦三尊を表現した梵字、中央に「奉読誦(じゅ)法華妙典一千部逆修所」と記し、これをはさんで上段に願文、下段に26名の結縁僧尼の名を刻んでいる。
天正18年(1590)3月18日に建立。
※逆修とは
1.存命中に自分のために仏事を修め冥福を祈る。
2.一家縁者、眷族の物故者のためにその冥福を祈り供養をすれば、功徳の多くは供養するものに報いられるという意味があります。

大塚の眼鏡橋と黒岩不動尊  みやま市瀬高町本吉 ( 福岡県 )

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大塚の眼鏡橋と黒岩不動尊  みやま市瀬高町本吉

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。県道774号清水交差点から清水寺へ向かう。登り口のカーブ地点で、左の谷間の旧参道へ入ると、移設された大塚の眼鏡橋とすぐ上に黒岩不動尊がある。

№1,845  大塚の眼鏡橋
瀬高町大字本吉
橋長:6.3m  橋幅:2.3m  径間:5.4m  拱矢:3.1m  環厚:30cm

清水観音堂の道標  みやま市瀬高町本吉 ( 福岡県 )

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清水観音堂の道標  みやま市瀬高町本吉

珍しい指差し道標。「清水観音堂 東十五丁」と刻む。建立年は新しく「昭和五年八月」。県道774号清水交差点から清水寺(清水観音)へ上がる車道の次右角に建っている。指差しは2面あり、旧道ではこの角を曲がって行くという意味だろう。

草葉神社の車橋  みやま市瀬高町大草 ( 福岡県 )

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草葉神社の車橋  みやま市瀬高町大草

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。場所がわかりにくいので、所在図を載せる。改良中の県道774号の方から西へ入る。先の黒岩道標から九州自動車道のガード下を進んで行くと、草場神社と公民館がある。車橋は道路反対側の田の先の水路にある。

草葉神社の車橋
みやま市 廃道 石アーチ橋 長3.3m,S1.5m(A),幅1.8m 慶応年間(1867頃) WEB(石橋) 放置状態 迫石が橋面石になっている/ごく小規模 4 –

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」福岡県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,846 草葉香椎神社車橋(仮称)

瀬高町大字大草 草葉
橋長:3.3m  橋幅:1.8m  径間:1.5m  拱矢:0.7m  環厚:27cm
右手奥の草に覆われているところでしょうか。
親柱だけが姿を見せています。
高欄には装飾が施してあります。
橋の奥には神社が見えます、参道橋だったのでしょう。