山川町尾野(野町上町)の三里石  みやま市山川町尾野 ( 福岡県 )

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山川町尾野(野町上町)の三里石  みやま市山川町尾野

現地説明板は、次のとおり。国道443号山川町尾野交差点を少し北東へ過ぎた入性寺入口角のブロック塀にある。

山川町指定文化財  三里石  所在地 山川町大字尾野字虎ノ尾

筑後藩主田中忠政は父の意志をついで、全国にならって慶長17年(1612)柳河城下札の辻を起点に一里塚を設けました。山川町には、追分石(道標・野町赤坂)三里石(野町上町)四里石(北関)が設けられました。
追分石は、野町赤板の四つ角、柳川にむかって右側の角に立てられ、右側面に「清水寺道」左側面に「柳河道」と彫り込まれているのが今でも読めます。この三里石は「三里」とのみ刻まれたものです。
四里石は高速道路の北関のボックスの南側、旧道の傍らに立っていましたが、高速道路建設時になくなっていたため、三里石にならって町で元の場所に復元しました。
南関街道(薩摩街道)にはこの外、一里石(三橋町一里石)・二里石(復元・瀬高町下の庄大竹)・国境石(大牟田市湯谷)があります。
南関街道は肥後国とを結ぶ重要な道路で、柳河札の辻から松風の関を経て湯谷国境石まで全長4里20丁余(約18.2km)ありました。
尚、旅人の便宜をはかるために「宿駅」と「お茶屋」が置かれました。
山川には、宿駅(馬継斬・馬16頭が置かれた)「原町」。お茶屋「野町・原町・三峰・北開」に置かれました。
現在の道路(443号)は当時の道路(旧道)に大体沿っているか、または取り込んでいます。旧道もそのまま残っている所もあります。
今歩いてみても当時とは周りの景観は違っても気分は味わえるのではないでしょうか。
一度歩いてみようではありませんか。
山川町教育委員会  山川町郷土史研究会

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストに、次のとおりデータが登載された。

山川町尾野の里塚石(三里) やまかわ、おの
みやま市 <南関街道> 一里石 1630年代以降 市有形民俗 WEB 原位置? (正面)「三里」/同上 (柳河藩が田中家(60-20)から立花家に替わり、石高が32.5万石から10.9万石に分割縮小された後の地域に一里石があるため、俗に「田中吉政が、柳川城の辻の門を起点として矢部村まで一里ごとに立てさせた」というのは間違い/柳井市に残る2基の一里石以外は、刻字が「○里」のみとなり、書体も異なることから、より後年の建立の可能性もある) 1 C