九州(福 岡 県)」カテゴリーアーカイブ

水城跡(大土居)の西側  大野城市・太宰府市 ( 福岡県 )

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水城跡(大土居)の西側  大野城市・太宰府市

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。大野城市のJR水城駅付近から見た水城跡(大土居)の西側。

水城・跡 みずき
大野城市・太宰府市 土塁(濠) 長1.2㎞,幅15m(基底),高7m 天智3(664) 国特別史跡 文化財指定書/WEB/WEB(みさき道人) 九州自動車道間以西の区間→大宰府市との市境(写真は大野城市側からの撮影)に残る わが国を代表する大土塁(唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設)/海側に幅60mの濠が造られていたことから「水城」の名の所以 3 A

水城跡(大土居)の東側  太宰府市・大野城市 ( 福岡県 )

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水城跡(大土居)の東側  太宰府市・大野城市

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。東門跡がある県道112号太宰府市水城3丁目交差点付近から見た水城跡(大土居)の東側。

水城・跡 みずき
太宰府市・大野城市 土塁(濠) 長1.2㎞,幅15m(基底),高7m 天智3(664) 国特別史跡 文化財指定書/WEB/WEB(みさき道人) 水城東門跡〜九州自動車道間は単独(上の写真)で、同自動車道以西は大野城市との市境(下の写真)に残る わが国を代表する大土塁(唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設)/海側に幅60mの濠が造られていたことから「水城」の名の所以 2 A

安徳のエノキ  那珂川町下梶原 ( 福岡県 )

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安徳のエノキ  那珂川町下梶原  

現地説明板は、次のとおり。名前は安徳だが、実際は下梶原にある。県道601号により真教寺角まで行くと、西側の町道沿いにエノキの大木が見える。

県指定天然記念物  エ ノ キ

所 在 地 福岡県筑紫郡那珂川町大字下梶原151番地1
指定年月日 昭和37年7月21日
ニレ科の落葉喬木。胸高幹周4.5メートル、根回り12メートル。根元に高さ1.6メートルの三角形をした猿田彦命の碑があるが、それをかき抱くようにして立っており、樹齢の古さを物語っている。
又、この樹木に寄生木が寄生している。              那珂川町教育委員会 

下梶原の燈とぼし(見返り燈籠)  那珂川町下梶原 ( 福岡県 )

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下梶原の燈とぼし(見返り燈籠)  那珂川町下梶原

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道575号で南中入口交差点まで行き、那珂川南中と安徳南小の間の町道を進むと、左折し約1kmの案内標識があった。
これより2つ目の角(小川沿い四叉路。ここに標識はなし)から谷間を上がると町史跡案内板があり、左の未舗装道を九州新幹線の高架真下近くまで行くと、「下梶原の燈とぼし」がある。地元では「見返り燈籠」という。

下梶原の燈とぼし(見返り燈籠) しもかじわら、ひとぼし
(筑紫)那珂川町 <さいふ道> 石常夜灯(自然石) 高約2m 亨和3(1803) 町教委 /WEB(みさき道人) 原位置?/九州新幹線の工事の際に倒壊防止のため修復 (石組が変化した可能性) 粗く整形しただけの石を積み上げた上に、整形された火袋と笠石を載せただけの簡易な構造→他に例を見ない/太宰府の鬼すべりや四季折々の祭りの日には、多くの参拝者が通った 2 C

裂田溝(安徳台の狭窄部)  那珂川町安徳 ( 福岡県 )

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裂田溝(安徳台の狭窄部)  那珂川町安徳

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。国道385号山田交差点あたりから水路沿いの町道を辿ると裂田溝公園があるが、核心部ではない。さらに北東へ下ると、県道575号を跨ぎ、安徳台の住宅地先に裂田神社があり、カワセミ公園となっている。ここが裂田溝(安徳台の狭窄部)で、遊歩道が整備されている。

裂田溝(安徳台の狭窄部) さくたのうなで、あんとくだい
(筑紫)那珂川町 裂田溝の切通し部 切通し(水路) 長約5㎞の溝のうち、約200mの区間 4世紀の可能性 町教委/松木洋忠 阿蘇溶岩流を開削した区間が残る/補強用のアンカーの跡が丸見え/修景改修(遊歩道が整備されている) 日本最古の農業用水路(『日本書紀』に登場する=周辺の発掘調査からも、時代推定はほぼ確か)/溶岩流開削区間のオリジナル性は失われているが、「雰囲気」はそのまま伝わってくる。このような古代に、溶岩流を開削するだけの技術と、地形的な必然性があったことは、よく分かる 2 A

市ノ瀬のヤマモモ  那珂川町市ノ瀬 ( 福岡県 )

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市ノ瀬のヤマモモ  那珂川町市ノ瀬

現地説明板は、次のとおり。東背振トンネルへの国道385号、市ノ瀬PAの中ノ島公園のところに日吉神社があり、ヤマモモは那珂川の川岸に立つ。

県指定天然記念物  楊 梅(ヤマモモ)

所 在 地 福岡県筑紫郡那珂川町大字市ノ瀬441番地
指定年月日 昭和38年12月24日
ヤマモモ科のヤマモモで、相接した雌雄の2株が大きくなり、内部が腐朽して、大人でも自由に出入りができるような大空洞になっている。樹幹は幾条にも縦製しており、複雑な形をしているが樹勢は旺盛である。
町木指定の由来はこの木にある。                     那珂川町教育委員会

日吉神社のオガタマ  那珂川町市ノ瀬 ( 福岡県 )

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日吉神社のオガタマ  那珂川町市ノ瀬

現地説明板は、次のとおり。東背振トンネルへの国道385号、市ノ瀬PAの中ノ島公園のところに日吉神社はある。

県指定天然記念物  日吉神社のオガタマ

所 在 地 福岡県筑紫郡那珂川町大字市ノ瀬441番地
指定年月日 昭和38年12月24日
神前に供える栄木の一種である。オガタマは招霊の転訛したもので、神前に供えて神霊を招く事に由来するという。
また神寄木であるので日吉神社の神木にもなっている。樹高は27メートル、胸高周囲は3.8メートルである。
秋、神鈴に似た実をつける。                     那珂川町教育委員会

亀ノ尾道石畳  那珂川町五ケ山・市ノ瀬 ( 福岡県 )

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亀ノ尾道石畳  那珂川町五ケ山・市ノ瀬

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。坂本峠を越え東背振トンネルからの国道385号を下る。南畑ダム堰堤手前の谷間に、案内板はないが旧街道の入口がある。亀ノ尾峠まで約45分登る。その先を約15分下って顕著な石畳道があった。
那珂川町一ノ瀬側からは、道が荒れてわからないだろうという役場の話だった。後ろの写真は、南畑ダム。さらに下って市ノ瀬PAの文化財案内板に「亀の尾道」の説明があった。

亀ノ尾道石畳 かめのお
(筑紫)那珂川町 <肥前・筑前街道> 石畳道 長約450m 江戸期 町教委 当時のまま(時代の経過に伴う石の凸凹はある) 2 B

肥前嶋境石  久留米市安武町武島 ( 福岡県 )

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肥前嶋境石  久留米市安武町武島

久留米市HPの「久留米市の文化財」による説明は、次のとおり。県道47号安武小学校前交差点先のガソリンスタンド角から県道754号に入り、安武町武島へ行く。大久保宅の正門奥の庭にこの境石が見える。

84 肥前嶋境石

種 別:有形民俗文化財(昭和62年2月21日 市指定)
所在地:久留米市安武町武島 個人蔵
一般に肥前と筑後の境界は、筑後川の中心で決められてきました。しかし、安武町武島の大島部落の北東方部では、洪水のため本流が移動し、その結果肥前領の一部が筑後側に取り残されてしまいました。肥前側では、そこの所有権を明らかにするために、この領地に「肥前嶋」と名前をつけ、石柱を南面して2個建て、境界を明らかにしました。
これらは、大正期の洪水後の堤防工事の際に撤去されてしまいました。現在残っている境石はその内の1つで、「肥前嶋境石」と銘が記され、大きさは高さ約170cm、幅・奥行きとも約30cmになります。なお、もう一方は行方不明です。
肥前嶋境石は、境界を示す印として郷土の歴史を見守ってきました。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

安武町武島の国境石(肥前嶋境石) やすたけ、たけしま
久留米市 境界石(自然石→上部は角柱状に整形) 高170㎝,30㎝角 江戸期 市有形民俗 WEB(みさき道人) 移設→個人宅 (正面)「肥前嶋境石」/肥前国〜筑後国/両国の国境:筑後川の本流の中心で決められていた→洪水で流れが変り肥前領の一部が筑後側に取り残された→所有権を明らかに肥前側が建立 3 B

間地先の荒籠  柳川市七ツ家間 ( 福岡県 )

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間地先の荒籠  柳川市七ツ家間

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。県道767号により柳川市七ツ家まで行く。筑後川左岸の永松荒籠へ出て、漁港の先の間で写真のとおりの荒籠を見た。4枚目写真が、データの荒籠のようである。

間地先の荒籠 はさま、あらこ
柳川市 筑後川(左岸) 石水制 長約40m 江戸期? WEB(みさき道人) 破損→水制の機能はない/江戸期のものとの保証はない 筑後川の荒籠群(小型) 3 C