肥前嶋境石  久留米市安武町武島 ( 福岡県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

肥前嶋境石  久留米市安武町武島

久留米市HPの「久留米市の文化財」による説明は、次のとおり。県道47号安武小学校前交差点先のガソリンスタンド角から県道754号に入り、安武町武島へ行く。大久保宅の正門奥の庭にこの境石が見える。

84 肥前嶋境石

種 別:有形民俗文化財(昭和62年2月21日 市指定)
所在地:久留米市安武町武島 個人蔵
一般に肥前と筑後の境界は、筑後川の中心で決められてきました。しかし、安武町武島の大島部落の北東方部では、洪水のため本流が移動し、その結果肥前領の一部が筑後側に取り残されてしまいました。肥前側では、そこの所有権を明らかにするために、この領地に「肥前嶋」と名前をつけ、石柱を南面して2個建て、境界を明らかにしました。
これらは、大正期の洪水後の堤防工事の際に撤去されてしまいました。現在残っている境石はその内の1つで、「肥前嶋境石」と銘が記され、大きさは高さ約170cm、幅・奥行きとも約30cmになります。なお、もう一方は行方不明です。
肥前嶋境石は、境界を示す印として郷土の歴史を見守ってきました。

サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストのデータに、次のとおり登載された。

安武町武島の国境石(肥前嶋境石) やすたけ、たけしま
久留米市 境界石(自然石→上部は角柱状に整形) 高170㎝,30㎝角 江戸期 市有形民俗 WEB(みさき道人) 移設→個人宅 (正面)「肥前嶋境石」/肥前国〜筑後国/両国の国境:筑後川の本流の中心で決められていた→洪水で流れが変り肥前領の一部が筑後側に取り残された→所有権を明らかに肥前側が建立 3 B