九州(沖 縄 県)」カテゴリーアーカイブ

比地の小玉森の植物群落  国頭村比地 ( 沖縄県 )

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比地の小玉森の植物群落  国頭村比地

琉球大学博物館・風樹館-データベース-による説明は、次のとおり。国道58号国頭町奥間交差点から左折、比地集落の入口まで行く。三叉路の公園のところに神アシャギの案内標識と説明板がある。

比地の小玉森の植物群落
沖縄県指定天然記念物
指定年月日: 1991/04/02
所在地: 沖縄島:国頭村字比地49

概 要: 沖縄島北部の比地集落の東側に位置する(標高約40m)森で、ウンジャミ祭などの重要な年中行事が行われる拝所となっている。ここには、胸高直径が160cmもあるアカギの大木をはじめ、フクギやホルト、タブノキ、クスノハカエデのどの高木と、リュウキュウガキ、ヤブニッケイ、シロダモなどの中高木、クロツグやナガミボチョウジ、シロダモなどの低木類、そして林床にはオオイワヒトデやホシダ、チジミグサなどが見られる階層構造が発達している。小玉森は古くから村民が聖域として保護してきた森で、人々のくらしと関連した里山林として貴重なものである。

ひち原の印部石「ゐ」  国頭村比地 ( 沖縄県 )

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ひち原の印部石「ゐ」  国頭村比地

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道58号国頭村奥間交差点から右折、比地集落の入口まで行くと、三叉路正面にこの印部石がある。

ひち原の印部石「ゐ」 しるび
(国頭)国頭村 比地 印部石 高40㎝,幅26㎝ 1737-50年 沖縄の印部石p.10 上部欠損/石の周囲が人工的に囲われている 乾隆検地の際、土地測量に使った図根点/印部石の表面に「ゐ、ひち原」と刻まれている/「ゐ」はいろは順 4 C

ヒージャーガ—  沖縄市美里3丁目 ( 沖縄県 )

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ヒージャーガ—  沖縄市美里3丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道329号沖縄市美里(南)交差点近くから美里公民館前の通りに入り、少し先から左手の坂道を下ると、「ヒージャーガ—」がある。近くに小さな「シチャヌウカー」もあったので写してきた。

ヒージャーガ—
現在、登載準備中。

沖縄市教育委員会「美里地区文化財マップ」による説明は、次のとおり。

18 ヒージャーガ—
ヒージャーガ—とは、湧水を樋でひいて利用する形態の井戸のことです。明治28(1895)年生まれの地元の古老が物心ついた時にはあったといわれています。ヒージャーガ—は、子どもが誕生したときに産湯に使う水を汲むためのウブガ—(産井)として利用されました。また、ウマチー行事の際にも集落の有志が拝んでいました。
昭和初期までは住民の飲料水として用いられており、洗濯場としても毎日賑わっていました。下流では水田の稲苗床の水として利用されました。   (沖縄市指定文化財 1994年9月22日指定)

さく原の印部石「さ」  沖縄市美里3丁目 ( 沖縄県 )

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さく原の印部石「さ」  沖縄市美里3丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。沖縄市美里北交差点手前から美里3丁目に入ると、メゾンティーダ裏通りの坂道ブロック塀のところにある。7街区との境。

さく原の印部石「さ」 しるび
沖縄市 美里 印部石(細粒砂岩) 高56.5㎝, 幅29㎝ 1737-50年 沖縄の印部石p.106 移設(2面をブロック塀で囲まれ、台座はコンクリート) 乾隆検地の際、土地測量に使った図根点/印部石の表面に「さ、さく原」と刻まれている/「さ」はいろは順 4 C

沖縄市HPの文化財紹介 > 美里地区による説明は、次のとおり。

印部石
美里公民館の北側に位置する。この石は、村の原名の境界を示す。かつては多くの基準点となる石があったようだが、現在の美里に残っているのはこの印部石だけである。

室 川 井  沖縄市室川1丁目 ( 沖縄県 )

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室 川 井  沖縄市室川1丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。歴史公園内にある案内図では所在地がわかりにくいから、所在地図を参照。沖縄市庁舎玄関左側から歴史公園下の団地内車道へいったん下る。LPG室川市営住宅特定製造所建物右まで行き、車道上のフェンス沿い狭い坂道を上がると、右手畑道奥に市指定文化財「室川井泉(ムルカーガー)」と、もう一つの小さな「ムルガー」がある。

室川井 むろかわ(ムルカー)・ガー
沖縄市 石積井(湧水) 不明 市史跡 市教委/WEB 昭和3年改修(上段がコンクリート化) 全体を掘り込んだ大型湧水泉 2 B

沖縄市HPの文化財紹介 > 胡屋・仲宗根地区による説明は、次のとおり。

室川井泉 [市指定文化財]
沖縄市役所の北東側に位置する。大旱ばつに見舞われても水が枯れなかったと言われ、村びとは、「ムルカーガー」と呼んでいる。現在の井泉は、昭和3年に改修された。村では、旧暦8月10日に拝んでいる。

ムルガー
沖縄市役所の北東側に位置する。この井泉は、琉球石灰岩と泥岩の間から水が湧き出ている。かつてのムルガーの東側には、苗代田や水田が広がっており、村びとから重要な場所とされていた。
現在は、農業用水として利用されている。

真 井(マーガ)  伊江村西江上 ( 沖縄県 )

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真 井(マーガ)  伊江村西江上

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。伊江港ターミナルから県道225号に入り、伊江村役場の方へ向かう。所在図参照。
私は10月18日伊江島へ渡り歩いて訪ねたが、道を間違えフェリー折り返し便に間に合わず、現地を撮影できなかった。従って、「真井(マーガ)」の画像は、伊江島観光協会の提供である。

真井 マーガ
(国頭)伊江村(伊江島) <共同井戸> 石井戸 径5-6m 18世紀中頃 村有形民俗 WEB 井戸の開口部が、Cで覆われている 幼女のマリ遊びによって発見された泉/大型の共同井戸 3 C

伊江村HPの観光名所による説明は、次のとおり。

マーガ
18世紀の中頃にできた。島図には6つの井戸が出てきますが、マーガはそのうちの一つで、中でも水質がよく、水量が豊かで、水保ちのよい井戸として知られ、正月の若水や産井(産湯の水を汲む井戸)として使用されていました。このマーガにはつぎのような由来があります。
マカトという少女が手鞠をなくし、それを探すため落葉をかき分けているうちに水たまりを見つけました。よく見ると水が湧いていたので早速大人の人に知らせたところ正真正銘の湧水でした。
井戸が掘られ、最初カマト井戸と呼ばれましたが、後に真井(マーガ)と変わりました。

伊是名島のその他の風景  伊是名村 ( 沖縄県 )

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伊是名島のその他の風景  伊是名村

伊是名島のその他の風景。写真順に、本部半島の今帰仁村・運天港フェリー発、伊是名村・仲田港着、尚円王御庭公園と金丸(尚円)像、ギタラ展望台から海・陸ギタラなど望む、伊是名城跡の岩山、仲田港からのフェリー帰り

ウィキペディアフリー百科事典による「伊是名島」の説明は、次のとおり。

伊是名島
伊是名島(いぜなじま)は日本の南西諸島、沖縄本島北西部の伊平屋伊是名諸島に属する島。沖縄県島尻郡伊是名村の主島。

概要
伊是名村で唯一の有人島。面積は14.12km²で[1]、近接する伊平屋島よりも標高は低く、海岸に面して平坦な地形が広がっている[2]。島内最高峰は大野山(うふやま、別名・チジン山)の標高119.9メートル。かつては屋ノ下島と呼ばれる島が隣接していたが、伊是名場外離着陸場を整備した際に干拓され現在は伊是名島の一部となっている。伊平屋島にはハブが生息しているのに対し、伊是名島にはハブが生息しておらず、仲田港には「ようこそ ハブのいない伊是名島へ」と書かれた看板が設置されている[3]。

伊是名場外離着陸場と沖縄本島など他の島を結ぶ定期航空路線は存在せず、仲田港と本部半島の今帰仁村・運天港の間を1日2往復する村営フェリーが事実上、島外との唯一の交通手段となっている。近接する伊平屋島との定期航路は存在しないが、野甫島との間には、北部の内花港から不定期の渡船が運航している[4]。

主な施設・名所
・伊是名城跡
・尚円王生誕地
・尚円王御庭公園
・銘苅家住宅
・伊是名村ふれあい民俗館

サムレー道(侍道)の石畳  伊是名村伊是名 ( 沖縄県 )

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サムレー道(侍道)の石畳  伊是名村伊是名

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。仲田港から県道178号により高台の伊是名村役場まで行き、左折して県道をそのまま伊是名集落へ下る。「ギタラ展望台」へ行く道に左折してしばらく進み、「←サムレー道」の左分岐に入る。奥まで行くと、「サムレー道」の標柱と史跡案内板がある。
「ギタラ展望台」先の道にも、同じような「サムレー道」の標柱と説明板があった。私は訪問順により説明しているが、仲田港からは、逆回りが近い。
場所は、観光協会観光マップ参照。 http://www.izena-kanko.jp/detail.jsp?id=48814&menuid=10463&funcid=1

サムレー道(侍道)の石畳
(島尻)伊是名村(伊是名島) 石畳道 長約2㎞ 琉球王国時代 村史跡・名勝 WEB/村教委 全長にわたって石畳がそのまま残る 伊是名集落にある銘苅家とグスク跡を結ぶ旧道 1 A

現地説明板は、次のとおり。

村指定文化財(史跡)  サムレー道   平成5年7月20日指定
12、13世紀の頃から戦後島内一周線が開通するまでの長期にわたり、元島と伊是名南西部を結ぶ唯一の生活道路であった。山越えの傾斜地約五百メートルは、雨水の浸食を防ぐため大小様々な硅石(マー石)が敷かれ、何百年の長い年月人々に踏まれたその石は表面が磨かれたようにすべすべしていて歴史の重みを感じさせる。
また、その昔ユトヌチ(御殿、銘苅家、両タハダ(伊禮家・玉城家))が伊是名玉御殿の清明祭の参道を目的にその道を利用した。硅石の中で、武士の足形に似ていると言うことが伝えられサムレー道と呼ばれた。

伊是名集落のサンゴ石塀とフクギ並木  伊是名村伊是名 ( 沖縄県 )

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伊是名集落のサンゴ石塀とフクギ並木  伊是名村伊是名

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。仲田港から県道178号により高台の伊是名村役場まで行き、左折して県道をそのまま伊是名集落へ下る。その途中、「ギタラ展望台」へ行く道に出る手前、県道右側の古い集落に入る道の両側に、「伊是名集落のサンゴ石塀とフクギ並木」が見える。
場所は、観光協会観光マップ参照。 http://www.izena-kanko.jp/detail.jsp?id=48814&menuid=10463&funcid=1

伊是名集落の石塀とフクギ並木 いぜな
(島尻)伊是名村(伊是名島) 伊是名集落 石塀(珊瑚石)、フクギ 集落全体 不明 WEB/村教委 島の原風景がよく保存されている 珊瑚石は沖縄の島嶼部の典型、フクギは防風林 1 A

アーガ山の逢火台(火立所)  伊是名村伊是名 ( 沖縄県 )

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アーガ山の逢火台(火立所)  伊是名村伊是名

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。仲田港から県道178号により高台の伊是名村役場まで行き、左折して県道をそのまま進むと、伊是名中学校の対面に公園駐車場がある。駐車場奥の下の方の遊歩道階段を登ると、アーガ山に着くらしい。
県道の少し先にも、別の公園駐車場があり、ここに「アーガ山ふれあいパーク」案内図があった。アーガ山登り口はこの2箇所で、案内図(ズーム拡大)によると、ふれあいパーク展望台近くに「アーガ山の逢火台(火立所)」跡があるようだが、往復に20分は要する。公園利用者がいないのか遊歩道も草が生え荒れている。
後の予定がありフェリー便に間に合わないので、訪ねるのは略した。村教育委員会に画像提供をお願いしたが、①手元に画像はなく、②雑草刈りをしないと近づけない、③他の者が持っていれば提供するが、あってもがっかりするようなものだとか、ということである。

アーガ山の逢火台(火立所)
(島尻)伊是名村(伊是名島) 遠見台、火番盛 1644年以降 村史跡 WEB/村教委 雑草に覆われ到達困難 先島諸島の火番盛群とは別系列の逢火台/小規模な土盛り 4 –

参考には、HP「沖縄の地域研究」に、2007年の現地記事と写真がある。
【伊是名島の「火立所」と「雨乞い場所」】 (2007年1月31日)   http://yannaki.jp/izenaaza.html