九州(大 分 県)」カテゴリーアーカイブ

小宛の里塚石(一里)(小宛古畑一里塚)  豊後大野市緒方町小宛 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

小宛の里塚石(一里)(小宛古畑一里塚)  豊後大野市緒方町小宛

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。国道502号草深野交差点から南西の高台に上がると草深野公民館があり、すぐ先から二俣は左へ、あとは道なりに字境を過ぎて約500mほど下ると小さな集落に出る。ここが緒方町小宛古畑である。
地元で聞くと一里塚は一時、集落上の車道脇電柱のところにあったが、豊後大野市が指定時、本来の場所である集落家並み下の旧道場所に戻して指定したという。
所在地・緒方町草深野469(車道から入り込みわかりにくい道なので、所在図を良く参照。車不可)。

小宛の里塚石(一里)(小宛古畑一里塚) おあて
豊後大野市 <岡城〜宇目> 一里石 (尖頭角柱) 高80㎝ 江戸期 市有形 市教委 (正面)「岡ヨリ 壹里」/岡藩の岡城からの距離を示す里塚石 C

豊後大野市HPの市指定文化財による説明は、次のとおり。

小宛古畑一里塚
総高80cmの角柱状の石塔で「岡ヨリ壱里」と刻まれている。岡城より宇目に続く街道沿いの1里目を示すために設けられたと考えられる。
所在地:緒方町小宛2134
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成17年1月26日緒方町指定)

「移情桜樹碑」?の標石  豊後大野市緒方町草深野 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

「移情桜樹碑」?の標石  豊後大野市緒方町草深野

前記事の「草深野の地蔵道標 (草深野薬師の道標)」から、次記事とする「小宛の里塚石(一里) (小宛古畑一里塚)」へ向かう途中の車道で見かけた標石。草深野と小宛の字境付近だった。
桜の木が傍らにあり、標石の正面は「移情桜樹碑」?と刻む。右面は由緒書きか「朝命待韓使杉備之鞆津?猛?記室従大夫備後…、明和八年、天明六年」の文字が拾えると、入江氏の画像判読。
ウェブ検索に表れず、詳しくは不明。豊後大野市へ問い合わせる必要もない標石。本ブログで一応、記録しておく。

草深野の地蔵道標 (草深野薬師の道標)  豊後大野市緒方町草深野 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

草深野の地蔵道標 (草深野薬師の道標)  豊後大野市緒方町草深野

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。国道502号草深野交差点から南西の高台に上がると草深野公民館があり、すぐ先から二俣は左、左、左と行くと、水道水槽のある共有地広場に出て、奥に移設された地蔵道標がある。所在地・緒方町草深野469(所在図参照)。

草深野の地蔵道標 (草深野薬師の道標) くさぶかの
豊後大野市 石道標 高111㎝ 文政5(1822) 市有形 市教委/歴史の道・日向道p39 移設 (台石正面右)「みぎ うめ」、(同左)「ひだり うすき」 2 C

豊後大野市HPの市指定文化財による説明は、次のとおり。

草深野薬師道標

総高1.11m、草深野の近世岡城と臼杵城間の街道沿いにあったが、圃場整備のため共有地に移動している。台座に「ひだりうすき みぎうめ」と刻まれており、臼杵方面と宇目方面への分岐点を示す道標であったと考えられる。
所在地:緒方町草深野469
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成17年1月26日緒方町指定)

瑞光庵磨崖仏  豊後大野市緒方町越生 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

瑞光庵磨崖仏  豊後大野市緒方町越生

大分県観光情報サイトによる説明は、次のとおり。JR緒方駅前の坂道を上ると県道210号で、大野川に架かる大渡橋近くまで進むと、越生集落入口に瑞光庵磨崖仏の案内板があるので、集落後ろの高台まで上がる。

瑞光庵磨崖仏  大分県豊後大野市緒方町越生

瑞光庵は、緒方村誌(昭和9年発行)に「古老の伝説にも詳ならず」と記述されており、由来は不詳です。本尊は、千手観音、阿弥陀如来、薬師如来で、伝承によると観音は何度も盗難に遭いかけましたが、菩薩の威徳により盗人は走り去ることができず盗難を免れたといわれています。
瑞光庵の裏側の岩窟は、幅6m、高さ2mで、奥壁には不動明王が掘り込まれています。岩窟の入口には、方形の羨道部分があるが、当初から磨崖仏を彫り込むために造られたかどうかは判然としません。岩窟内に掘り込まれた特異な形態が珍しいため、人々の関心は高く参拝者も多く訪れます。
また、越生の瑞光庵の境内には、しめ縄が巻かれた「蓬來様」と呼ばれる亀の首が安置されています。

漆生村河川護岸の碑  豊後大野市緒方町越生 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

漆生村河川護岸の碑  豊後大野市緒方町越生

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。JR緒方駅前の坂道を上ると県道210号で、瑞光庵磨崖仏入口先の大野川に架かる大渡橋まで進む。右手が越生集落となり、大野川の川岸近く民家後ろに天満宮(漆生社)が見えるので、この神社まで行く。
鳥居左に立つのが漆生村河川護岸の碑。4面に刻字あり、台座は60cm角、高さ15cm。上の石碑は30cm角の尖頭角柱、高さ120cmだった。

漆生村河川護岸の碑 うるしお
豊後大野市 (越生) 石碑(尖頭角柱) 享和2(1802) 市教委 原位置 (正面)「緒方郷漆生村属大野郡其田帯大渡/河河水泛濫則害田許多居民患之雖/然年飢食乏不得脩治塘以防水於是」、(左面)「官賜錢穀起土功乃積石于岸九十六/歩又作石隄于三所雖廣狹不同凡高/一丈徑七歩隄成無水災民亦勉農矣」/(裏面)「初擧挙在享和元年三月踰年三月/功成蓋於農隙也役丁通計三千三百/六十其餘之費可知也于茲記」、(右面)「國恩之辱与力役之時實以示後人云/爾/享和二年壬戌八月」 1 C

馬求社参道橋  豊後大野市緒方町下自在 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

馬求社参道橋  豊後大野市緒方町下自在

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。JR緒方駅前の日向街道を北西へ進む。丘を登り上がったところの緒方上井路まで出て、右側分岐の先を見るとこの神社がある。

№630  馬求社参道橋

緒方町下自在
緒方上井路
橋長:3.5m  橋幅:2.1m  径間:2.7m  拱矢:0.6m
緒方駅から県道を西北へ600m右手に馬求(まじめ)神社あり、その前に架かっています。

二の宮社参道橋  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

二の宮社参道橋  豊後大野市緒方町原尻

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号原尻の滝入口交差点から県道7号へ入る。原尻の滝上部の鳥居から直進すると、二の宮社に着く。

№638  二の宮社参道橋

緒方町原尻
井路
橋長:2.2m  橋幅:3.0m  径間:1.2m  拱矢:0.4m
原尻橋を渡り、200m先を左折、400m先右手に架かっています。
原尻の滝の西側にあたる。この道の向うが原尻の滝。

野仲井路の取水堰  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

野仲井路の取水堰  豊後大野市緒方町原尻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。県道7号原尻の滝上流、倉園交差点から原尻橋を渡る。原尻簡易郵便局前まで行って里道を右折し、緒方川岸の広場終点まで行く。上戸石風呂の史跡案内板が広場にあり、少し歩くと川に面した岩場の上戸石風呂に着く。
野仲井路の取水堰は、この広場終点に着く手前。車道から農道が緒方川岸の畑まで下っている。地元の水利関係者が、場所はここと教えてくれた。

野仲井路の取水堰 のなか
豊後大野市 (原尻)緒方川→三区井路<野仲井路> 取水堰 市教委

野仲井路は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/4847

原尻古井手の切通し  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

原尻古井手の切通し  豊後大野市緒方町原尻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。県道7号原尻の滝上流、倉園交差点から原尻橋を渡る。原尻簡易郵便局前まで行って里道を右折し、緒方川岸の広場終点まで行く。上戸石風呂の史跡案内板が広場にあり、少し歩くと川に面した岩場の上戸石風呂に着く。
この岩場一帯2箇所が原尻古井手の切通しであり、開削された跡が残る。水路はその後、素掘りトンネルに代わり、広場終点に吐き口があった。井手跡(樋を通していた?)のこの区間は、今、通路となっている。
「正保二年」の刻銘(2ヶ所)とは、崖面では不明。広場の石碑のことだろうか。

原尻古井手の切通し はらじり
豊後大野市 (原尻)<原尻古井手> 切通し(水路) 長約30m 正保2(1645) 市教委 元禄8(1695)にシューカットの隧道が掘られ使われなくなった→人道として使用されている 井手跡に「正保二年」の刻銘(2ヶ所)/切通しの部分がそのまま水路になっていたのではなく、樋を通していたのではないかと推定されている/『地方温古集「井手・堤出来暦之事」』に、「正保二酉年出来、其後捨る」と記載されている 2 C

上戸石風呂  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

上戸石風呂  豊後大野市緒方町原尻

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。県道7号原尻の滝上流、倉園交差点から原尻橋を渡る。原尻簡易郵便局前まで行って里道を右折し、緒方川岸の広場終点まで行く。史跡案内板がここにあり、少し歩くと川に面した岩場の上戸石風呂に着く。

県指定有形民俗文化財 上戸石風呂

原尻の滝上流右岸、緒方川の川岸岩盤を刳貫いて造られた石風呂。浴室と火室の二段式構造であるが、火室は狭くまっすぐに伸び、左右に4本づつの火道がある。明治期に造られた石風呂とされる。
所在地:緒方町原尻133
指定年月日:昭和49年3月19日