四国(愛媛・香川)」カテゴリーアーカイブ

松風橋  愛媛県四国中央市土居町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

松風橋  愛媛県四国中央市土居町

四国中央市に残る煉瓦造アーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」愛媛県の石橋によるデータは、次のとおり。土居交差点から北の讃岐街道に入る。

№5,204   松風橋   2010.05.03

四国中央市土居町中村
古子川
径間:4.2m  橋幅:5.09m
4重輪石
内部:長手積み
壁石:イギリス積み

別子銅山記念館  愛媛県新居浜市角野新田町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

別子銅山記念館  愛媛県新居浜市角野新田町

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による解説は、次のとおり。開館時間前だった。

別子銅山記念館

別子銅山記念館(べっしどうざんきねんかん)は、愛媛県新居浜市にある博物館。

概 要  

元禄年間から約280年もの長きにわたって日本の貿易・産業を支え、現在の住友グループの礎となり昭和48年にその幕を閉じた別子銅山の歴史や技術を後世に伝えるために、1975年(昭和
50年)に住友グループ各社が共同で設立した。

別子銅山のお膝下で、住友各社が生まれ今も主力工場が多く立地する愛媛県新居浜市の南部、山根地域にある。ここは市の平野部と山岳部の境界にあたり、付近はかつて銅山で働いていた従業員のための社宅や厚生施設などが集積した地である。現在は住宅や総合運動公園などが整備され、市民の生活・憩いの場として重要な位置づけをされている。

その山根の厚生施設跡に整備された山根公園の南部にある大山積神社の境内に記念館はあり、山の斜面を利用した半地下構造で屋根には1万本を越えるサツキが植えられており、周囲の景観を損ねることなく溶け込んだ雰囲気となっている。

館内は銅山や住友の歴史を紹介するコーナーや、銅山およびその周囲の地質などを鉱石・模型などを用いて説明するコーナー、当時の生活を紹介するコーナーなどで構成されており、単なる資料館の域を越えた立派な博物館として整備されている。また館外には明治期の近代化に一役買った日本初の山岳鉄道である鉱山列車「別子1号」や各車両の現物が展示されている。その充実した展示品、施設の保存維持管理には多額の経費がかかるであろうが、この記念館の入場料は無料であり住友グループの資金などにより運営されている。その点だけを見ても特異な施設であり、いかに住友各社が別子銅山を特別・重要なものとして意識しているかを伺わせる。

積極的な宣伝活動をしていないが、年間1万人以上が来館している。

新居浜一宮神社のクスノキ群   愛媛県新居浜市一宮町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

新居浜一宮神社のクスノキ群   愛媛県新居浜市一宮町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 新居浜一宮神社のクスノキ群
ふりがな: にいはまいつくじんじゃのくすのきぐん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 新居浜市一宮町
解説文:
一宮神社の参道、社殿の周囲に総数九十本のクスがある。そのうち目通り9.40メートルのもの一本、7メートル以上のもの二本、6メートル以上のもの四本あり、目通り1メートル以上のものは前記のものを合わせて五十三本に達する。このクス群は自生ではないが植樹の古いものとして保存の要がある。

(愛媛県解説)
一宮神社境内は、工都新居浜市の中央部に位置する数少ない緑地帯の一つとして、市民の憩いの場所となっている。
この境内にはクスノキを主とした社叢が形成されているが、これらの樹木は古くより氏子をはじめとする地元の人々の手厚い保護によって守られてきた。
参道や社殿周囲には数10本のクスノキがあり、そのうち根回り10m以上16m以内で樹高20mに達するものは15本、根回り1m以上10m以内のものは50数本を数える。これらのほとんどが老大木で見事な景観を呈している。
特に参道にある一番クスノキ(根回り約15m、目通り約9m)、二番クスノキ(根回り約13m、目通り約8m)は偉容を誇っている。 

王至森寺のキンモクセイ  愛媛県西条市飯岡   

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

王至森寺のキンモクセイ  愛媛県西条市飯岡

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 王至森寺のキンモクセイ
ふりがな: おしもりじのきんもくせい
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1927.04.08(昭和2.04.08)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 西条市飯岡
解説文:
天然紀念物調査報告(植物之部)第六輯 七頁 參照 天然紀念物解説 二〇四頁 金木犀 Osmumthus fragrans Lour. Var. aurantiacus Mak. ノ巨樹ニシテ、幹ハ地上四尺ノ高サニ於テ四本ノ主幹ニ分ル、根元ノ周圍一丈主幹ノ基部ノ周圍五尺、高サ四十尺ナリ

(愛媛県解説)
キンモクセイは中国原産のモクセイ科常緑広葉樹で、日本にあるものはすべて雄株で結実しない。
このキンモクセイは、根回り約4m、樹高約16mとされるが、近年の大風や虫害で頂上部は折損した。根元付近は空洞化しているが、3本の分岐幹でその偉容を保持している。
秋には黄花を咲かせ、近在一円に芳香を放っている。上部折損後の手当等が功を奏し、樹勢が戻り青々と葉を茂らせている。
この木の来歴については明らかでないが、キンモクセイとしてはわが国有数の巨樹老木である。
平成13年には、環境省の『かおり風景百選』に認定された。

天満神社のクスノキ  愛媛県西条市坂元

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

天満神社のクスノキ  愛媛県西条市坂元

愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。ミミヅクの幼鳥が5〜6羽いた。(4枚目写真右)

区分・種別  県指定天然記念物
名    称  天満神社のクスノキ
所 在 地  西条市坂元
所 有 者  天満神社
指定年月日  昭和31年11月5日
解    説
クスノキは暖地を好む常緑高木で、関東以南の海岸近くに多く、我が国の樹木中最大のものである。
天満神社は少し高台の農村地帯にあり自然環境は良好である。1本のクスノキであるが、境内全域を覆っている。根回り17m、目通り9.7m、樹高は25m、枝張りが東西35m、南北49mもあり、今なお樹勢は盛んである。
全体の容姿は整然としており、この樹種としては県下を代表する大木である。

大山祇神社のクスノキ群  愛媛県今治市大三島町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

大山祇神社のクスノキ群  愛媛県今治市大三島町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。
写真  1〜  3   小干命御手植楠 (境内の中央 拝殿神門前)
写真  4〜  6   能因法師雨乞楠 (境内の左  社務所側)
写真  7        河野通有兜掛楠 (境内の右  宝物館側)
写真  8〜 11   生樹の御門 第三号樹?(境内外の道を奥の院へ進む 案内板有)

名称: 大山祇神社のクスノキ群
ふりがな: おおやまずみじんじゃのくすのきぐん
種別1: 天然記念物
指定年月日: 1951.06.09(昭和26.06.09)
指定基準: (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市大三島町
解説文:
目通り1メートル以上のもの三十八本、1メートル以下のもの数百本群生しておりその最大のものは拜殿の正中に立ち根回り20メートル、目通り11メートル、高さ15.60メートル、神木として傳えられている。次いで著しいものは第三号樹は本殿裏の林地に立つ巨樹で高さ48メートル、根回り70メートル、目通り8メートルで円形にひろがる。根株がことに美しく樹勢きわめて旺勢である。その他巨樹に属するも■?

(愛媛県解説)
大山祇神社の境内の全域にわたって林立するクスノキ群であり、かつて大三島全島を覆っていたといわれるクスノキ群の名残をとどめるものとしてきわめて貴重なものである。
目通り1m以上のクスノキが30本あまり、その他多数の小樹が群生している。最大のものは拝殿前の神木とされる小干命御手植のクスで、根回り20m、目通り11mもあり、樹高は20mにも達し、樹齢1,100年と言われている。これにつぐものは本殿裏の林地にあるもので、樹高48m、目通り8mであり、円形に広がる根株がことに美しい。
クスノキ群の中には河野通有兜掛楠、小干命御手植楠、能因法師雨乞楠と呼ばれる古木もあり、これらクスノキ群がアラカシ、クロガネモチ等の巨木と混生し一大社叢を形成している。

大三島  愛媛県今治市大三島

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

大三島  愛媛県今治市大三島町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 大三島
ふりがな: おおみしま
種別1: 名勝
指定年月日: 1942.09.19(昭和17.09.19)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼,十.山岳、丘陵、高原、平原、河川
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市大三島町
解説文:
瀬戸内海中島嶼ノ最モ多ク密集セル藝豫海峽ノ中央ニ位シ島中ノ最モ高峯タル鷲頭山上ノ眺望ハ甚ダ佳ナリ 山上ニハ奇巖峙チ松樹ノ翠黛亦觀ルヘキモノアリ山下ニハ國幣大社大山祇神社ノ蔚葱タル神林アリ景勝ト懷古ト相待テ一層致趣ヲ深カラシム

(愛媛県解説)
芸予諸島の一つの島である大三島は、瀬戸内海では4番目に大きい島である。島のほぼ中央にそびえる標高436mの鷲ヶ頭山は近島第一の高さであり、全山花崗岩でおおわれている。頂上からの眺望はすばらしく、瀬戸内海国立公園の一部を構成している。眼下に浮かぶ瀬戸の島々はもちろん、燧灘をこえて望まれる石鎚山・瓶ヶ森などの石鎚連峰のほか、中国山地も見わたすことができる。
鷲ヶ頭山の麓にある安神山は奇岩・断崖の峻険な地が多く、また足下に広がる台湖は県下唯一の離島ダムで、同島の景観を雄大にしている。

波止浜  愛媛県今治市波止浜・波方町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

波止浜  愛媛県今治市波止浜・波方町

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 波止浜
ふりがな: はしはま
種別1: 名勝
指定年月日: 1938.05.30(昭和13.05.30)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市波止浜・波方町
解説文:
伊豫高繩半島ノ北端ト大島トノ間ニ介マレル來島海峽ハ大瀬戸來島ノ兩瀬ヨリ成リ渦巻ノ壯觀鳴門ニ似タルモノアリ兩瀬戸ノ中ニ來島、小島等大小幾多ノ島嶼相接シテ横ハリ帆影其ノ間ヲ去來シテ瀬戸内海中ノ一勝區ヲ成ス就中波止濱公園ハ展望美ノ中心ヲナシ遠山、近水、監濱、漁汀ト相呼應シテ恰モ一幅ノ畫圖ヲ見ルガ如シ

(愛媛県解説)
今治市の波止浜公園、遠浅で奥深い入江を持つは筥潟湾及びその沖に浮かぶ来島、小島よりなる景勝地である。
高縄半島の北東端部と大島との間にはさまれた来島海峡は、大瀬戸、来島瀬戸よりなっており、海峡の急激な潮流は渦潮を作り壮観である。両瀬戸の中には大小の島や岩礁等が相接しており、その間を数多くの船舶が絶えず航行している。
来島は慶長6(1601)年まで来島村上氏の居城で全島が城塞であった。岩礁には現在もなお柱穴などの遺構が見られる。
小島には明治33(1900)年に内海防衛の目的で築かれた芸予要塞小島砲台跡が現在も残っている。

神明橋  愛媛県今治市波止浜2丁目

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

神明橋  愛媛県今治市波止浜2丁目

今治市に残るアーチ式石橋。HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」によるデータは、次のとおり。

№3,938   神明橋   2009.01.03

今治市波止浜2丁目 竜神社 (移設)
径間:3.0m  環厚:33cm(要石45cm)  明治42(1909 )年
神明橋碑文
「抑く吾が神明橋は明治三十三年石工藤原清八郎が精魂籠めて作り上げた実に頑丈無類の立派な橋であったが道路拡張整備といふ時代の要求に抗し得ず、可惜撤去せざるを得ざる羽目と相成ったとは云へ此のメガネ橋こそ吾が全町民の愛着遣る方なき橋、せめてその原形だけでも永久に遺したいと云う切なる願黙し難く昭和五十六年十二月此の神域に復元したものである
協賛
宮司 別府寿昭  
世話人 松本磯一  藤原歓一  掛川武雄  矢野武  他世話人一同
石工 福原亀次郎
昭和五十六年十二月吉日」

この神社にあるのかどうかも分からず、とりあえず南側に車をとめ、本殿裏まで探し、念のため階段を下ると、神社の北側にありました
ようやく辿り着いた神明橋
階段が取り付けてあります
反対側の親柱 碑文の年号と違います

志島ヶ原  愛媛県今治市桜井

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

志島ヶ原  愛媛県今治市桜井

国指定文化財等データベース及び愛媛県の文化財による解説は、次のとおり。

名称: 志島ヶ原
ふりがな: ししまがはら
種別1: 名勝
指定年月日: 1941.02.21(昭和16.02.21)
指定基準: 八.砂丘、砂嘴(さし)、海浜、島嶼
所在都道府県: 愛媛県
所在地(市区町村): 今治市桜井
解説文:
菅原道眞公ヲ祀レル綱敷天滿宮ヲ中心トシテ其ノ周圍ニ青松繁茂シ松原ノ前面ニハ比岐島、平市島、四阪島等ノ大小島嶼青螺ノ如ク海上ニ浮ブノ近景アリ背後ニハ唐子山、靈仙山等ノ翠丘ヲ中景トシテ古來瀬戸内海地方信仰ノ中心タル石槌神山ノ連峰高ク中空ニ聳エテ雄大ナル遠景ヲ造レルアリ一地區ヲ以テ近中遠ノ三景ヲ包括セル山海雙美ノ一大景勝ヲ成セリ

(愛媛県解説)
今治市の南部、燧灘を臨む海岸にある志島ヶ原は、白砂青松の景勝地である。面積10haあまりには老松約3,000本がおい茂っている。
前面に瀬戸の海、近くには比岐島・小比岐島・平市島、遠くには四阪島を望み、背後には唐子山・霊仙山・世田山等の古跡を背負い、遠くに雄大にそびえる石鎚連峰を望むことができる。北は唐子浜、南は桜井の石風呂海岸へ続き、変化の多い松原である。
志島ヶ原にある綱敷天満宮の名は、菅原道真が九州大宰府に流される途中、この地に立ち寄った際、里人が船のとも綱を敷いて迎えたという伝説による。また東端に道真がぬれた衣を干したといわれる衣干岩などもある。海岸には幕末の安政2年(1855)に黒船来襲に備えて土を塁状に盛った台場跡が見られる。