佐賀県の石橋」カテゴリーアーカイブ

円応寺のアーチ型石門  武雄市武雄町大字富岡  

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円応寺のアーチ型石門  武雄市武雄町大字富岡

武雄市武雄町大字富岡にある円応寺は、武雄鍋島家の菩提寺で由緒ある寺。見事なアーチ型石門があるので、平成20年4月8日に訪ねてみた。桜が満開だった。
武雄温泉の奥となるが、国道34号線白岩球場入口交差点から武雄市総合庁舎の方へ曲がり、JR佐世保線踏切を渡って、まっすぐに赤穂山トンネルを越し伊万里方面へ行く県道53号線に入った方がわかりやすい。

国道から10分ほどで途中右手に、特徴のある門と参道が見える。駐車場は上にある。円応寺アーチ型石門の現地説明板は次のとおり。
なお、長崎県の石門は、fwd−net長崎・諫早HP「長崎県の石門を訪ねて」があり、詳しく調査されている。
円応寺アーチ型石門

アーチ部分は、下から八段目から切石を組み合わせており、最上部には、幅の狭い切石があります。
正面のアーチ上部中央には「西海禅林」と記す扁額石があります。この字は、第二八代武雄領主鍋島茂義が1一六歳の時に書いたものだと言われています。
規模は、幅四・八五m、厚さ〇・九七m、高さ四・一七mで、屋根は切妻になっています。
建立年代は、背面向って右の銘文より「文化十四年」(一八一七)になります。
この種の門としては、長崎県の三か所が知られていますが、アーチの組み方が円応寺アーチ型石門とかなり異なり、かつ、屋根もかなり簡略化されており、これ程整ったアーチ型石門は、他にあまり見当たらなく、建立年代もはっきりとしており、石造建築史上価値が高いものです。
平成五年四月三十日 武雄市 重要文化財(建造物)指定

嬉野市(塩田町)に残るアーチ石橋  佐賀県嬉野市塩田町

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嬉野市(塩田町)に残るアーチ石橋  佐賀県嬉野市塩田町

佐賀県嬉野市(塩田町)に残るアーチ石橋は、2橋である。嬉野市(嬉野町)は先項にあり。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」には佐賀県のもあり、説明は次のとおり。

写真  1  第   8 番  八天神社の眼鏡橋    嬉野市塩田町大字谷所乙
年代は不詳          長さ 11.14m  幅員  3.69m
佐賀県重要文化財
伝統ある塩田石工の面目を施す石橋。
御神官に話を聞いたところ、河川改修の再に移転を迫られたが、逆に水路のバイパスを作って、現在地に橋を残したとの事。

(現地説明板)          佐賀県重要文化財  石造眼鏡橋

全長十一米十四糎  橋巾 三米六九糎   橋高 四米六五糎
眼鏡橋と云うアーチ式石橋は寛永十二年に中国の僧如定が長崎に架設したのが日本で最も古くその後九州各地に広まったと云われるが長崎に近い佐賀県には極めて少なく殊に江戸時代のもので完構を保つのはこの橋が県内唯一のものである
この石橋は当社の千二百年大祭記念として当地の石工によって施工されたものである 文政九年二連アーチの眼鏡橋として計画されたが 結局一連アーチに変更され巨石材を両岸および底面に畳 基礎を堅固にして嘉永七年に完成した この形式の石橋は江戸時代における中国文化の影響を物語る文化的遺産として保存すべき価値がある
なお此の碑の石材は当時基礎に用いた巨石材の残品を保存されて来たものである
佐賀県教育委員会

写真  2  第 179 番  塩田町の石造眼鏡橋(大黒丸橋) 嬉野市塩田町大字五町田甲の吉浦神社参道に架かる。
元禄13年(江戸中期)に再建、明治33年再建  長さ 5.5m  幅員 3.5m
嬉野市指定文化財
塩田は長崎街道のルートにもなっていた古くから栄えた宿場町。この眼鏡橋も江戸中期に再々建と有るから、最初の架橋は相当古いものだと判断できる。
現在の車道のほうが遠慮している姿は好ましい。ついでに吉浦神社に参って和泉式部公園でも散歩してみましょう。
吉浦神社の境内に入ると桁式の石造の太鼓橋が迎えてくれました。

鹿島市に残るアーチ石橋  佐賀県鹿島市

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鹿島市に残るアーチ石橋  佐賀県鹿島市

佐賀県鹿島市に残るアーチ石橋は、3橋である。
写真1の説明は、HP「長崎県の石橋を訪ねて」から、写真2、3の説明は、HP「ニエモンの明日に架ける橋 佐賀県の石橋」から。

写真  1  第 131 番  祐徳稲荷神社の参道橋  鹿島市古枝祐徳稲荷神社
未確認だが明治の架橋と言われる。  長さ 約8.0m  幅員 約4.0m
楼門前の神池に架かる。
祐徳稲荷神社は貞享4年(1687年)肥前鹿島藩主鍋島直朝公の夫人花山院萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請された稲荷神社で、衣食住の守護神として知られる。

写真  2  NO2,955  松蔭神社参道橋     鹿島市高津原
橋長:2.04m 橋幅:5.0m 径間:1.45m 拱矢:0.75m 環厚:21cm
松蔭(しょういん)神社由緒
「創建 寛永10年9月21日 由来 旧佐賀藩祖鍋島忠茂公の徳を慕い祀りて松蔭神社と称す、爾来歴代藩主の神霊を合祀さる」
世戸さんからの情報です。石造アーチ橋です。

写真  3  NO2,965  松山神社東参道橋    鹿島市三河内 大木庭
橋長:1.4m 橋幅:1.45m 桁厚:17cm
リブアーチ式
こちらの方がメインでしたが、危うく見落とすところでした。リブアーチ式です。

嬉野市嬉野町に残るアーチ石橋  嬉野市嬉野町

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嬉野市嬉野町に残るアーチ石橋  嬉野市嬉野町

佐賀県嬉野市嬉野町に残るアーチ石橋は、5橋である。同市になった塩田町にも2橋あるが、後日訪ねたい。湯野田橋は、昔の銘柱が2本、脇に保存されている。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」には佐賀県のもあり、説明は次のとおり。

写真  1  第  97 番  湯 野 田 橋     嬉野町湯野田
明治22(1888)年     長さ 約22.0m  幅員 約7.5m
温泉街の入口、国道34号線の湯野田バス停横に架かる。
ばってん亀さんにご自身の故郷の石橋を教えていただいた。感謝!

写真  2  第  98 番  湯野田無名橋      嬉野町湯野田
年代は不明          長さ 約 8.0m  幅員 約3.5m
湯野田橋の上流にかかる。 
橋の名前が判らなかったから「無名橋」としてあるが、本来はこの橋の架かる道が長崎街道。こちらのほうが「湯野田橋」であったろうと思われるが、下流に湯野田橋があるので致し方ない。
ばってん亀さんにご自身の故郷の石橋を教えていただいた。感謝!

写真  3  第 111 番  皿屋谷の眼鏡橋     嬉野町上不動区皿屋谷
明治期            長さ 約 5.0m  幅員 約2.0m
天然記念物の大茶樹の手前。
不動山地区は切支丹の里とも、お茶の発祥の地としても有名だ。この地には4基の石橋があったが、この橋の下流にあった皿屋谷下石橋は、河川改修で撤去され、現在は3基が残っている。

写真  4  第 112 番  天満宮前の眼鏡橋    嬉野町上不動区皿屋谷
明治期            長さ   9.0m   幅員 1.0m
天満宮の前に架かる。
不動山地区は切支丹の里とも、お茶の発祥の地としても有名だ大茶樹には行かずに左手の登山道に向かう途中の左手。この地には4基の石橋があったが、現在は3基が残っている。

写真  5  第 113 番  井 手 元 橋     嬉野町上不動区
昭和32年4月        長さ 約 5.0m   幅員 約3.0m
元は木橋であったが、水害で流れて天神様の石橋に木橋の残骸が溜り水害の規模を大きくしたとのお話を茶畑のご主人から伺った。すぐ下流の天神様の石橋の姿に愛着を感じているようだった。

武雄市(山内町)に残るアーチ石橋  武雄市山内町

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武雄市(山内町)に残るアーチ石橋  武雄市山内町

佐賀県武雄市に残るアーチ石橋は、4橋である。いずれも山内町にある。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」の中に佐賀県のもあり、説明は次のとおり。

写真  1  第 114 番  宿 田 橋       武雄市山内町大字宮野
大正14年3月   長さ 18.0m  幅員 3.8m
町指定文化財
国道34号線から、相知への県道を走って右手に見える。地元の石工、山口龍三・文蔵親子及び大工山口竹作等によって建造されたと云う。

写真  2  第 180 番  鳥海の六地蔵橋   武雄市山内町大字鳥海の山内東小舟原分校の上流側に架かる。
明治期       長さ  4.2m  幅員 2.1m
県道から分校に入って右側の上流に向かうとすぐ。左上手には観音様と六地蔵が迎えてくれる。
大変立派な祠であるが、波佐見の皿山大神宮にも佐賀の名工、筒井関平作の祠が奉納されているように石材加工の名工が多かったことがしのばれる。右手に見えるのが文化6年(1,809年)作の六地蔵。

写真  3  第 181 番  黒髪神社の御神橋  武雄市山内町大字宮野の黒髪神社境内
未確認(そんなに時代の有る物だとは思えない) 長さ 4.2m  幅員 3.6m
なかなか良い感じの御神橋
二の鳥居は、肥前の鳥居と呼ばれる特徴を持っている。文化財の指定を受けているようだが、佐賀は肥前の鳥居の本家本元。佐賀県内には多くの肥前の鳥居が存在する。

写真  4  第 178 番  狩立の大切踏切近くの石橋? 武雄市山内町大字宮野の大切踏切から佐世保寄りに25mほど
年代は不詳     長さ 約2.5m  幅員 約2.7m
鉄道沿いの小川というか側溝に架かる。形状は紛れもなく石造アーチ橋なんですが、頂部に構造物が在るし、近くの人に聞いても、ここに踏み切りか何か有って渡っていたとの話は聞けない。
笹や雑草を刈ると良いのだろうが、刈ってしまうと楽に軌道敷き内に入れるから、子供なんかには危険だろうか?気になって仕方ないのでアップしてみることにした。
近くには昭和30年ごろ架橋の狩立鉄道橋梁が佐賀よりにある。

有田町に残るアーチ石橋  西松浦郡有田町

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有田町に残るアーチ石橋  西松浦郡有田町

佐賀県西松浦郡有田町に残るアーチ石橋は、5橋である。西光寺前の橋、三空庵前の橋、篠原邸前の橋は、有田町商店街の本通り裏の川に架かる。
トンベイ塀通りを歩くが、西光寺前の橋は、河川改修から川筋が変り、陸に上がった格好になっている。為朝橋は、有田ダム下の中流に離れてあり、札ノ辻交差点からダム道へ入る。西有田の黒岩橋は龍門ダムの入口の少し先である。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。

写真  1  第 116 番  西光寺前の橋       有田町大樽
大正8年8月          長さ 約6.0m  幅員 2.5m
石工:松尾勝次郎、光武初次郎 服部泰吾氏寄付
平成11年に河川改修で現在のような形になったようだ。橋の向うは石垣が組まれて埋められている姿は今一つ。
商工会議所内の明治初期の石倉を改造してつくられた有田陶磁美術館の右手から、細い道をはいると、路地にトンバイ塀がみえる。解体した登り窯のレンガや窯道具を塀に利用したもので、このコースでは随所にみられ、独特の雰囲気をかもしだしている。
このコース上に3つの石造アーチ橋と出会える。

写真  2  第 117 番  三空庵前の橋       有田町上幸平1丁目
大正年間と思われる     長さ 約6.0m  幅員 約1.5m(2.0mに拡幅)
同上のトンバイ塀通り。このコース上の2つ目の石造アーチ橋。

写真  3  第 184 番  篠原邸前の橋       有田町上幸平1丁目5から入る
年代は未確認         長さ 6.6m   幅員 2.1m
毎年のように陶器市に来てるのに、この橋は知りませんでした。
トンバイ塀通りの裏通りから入り込んだら、なんと立派な邸宅専用の石橋。なんとも贅沢なうらやましい環境。3つ目の石造アーチ橋。

写真  4  第 186 番  為 朝 橋         有田町白川
年代は未確認         長さ 6.0m   幅員 5.4m
札の辻交差点から有田ダムに入る。坂道になる手前。
為朝といえば鎮西為朝のことだろう。為朝といえば、強弓であちこちに矢を射込んでいる…(諫早の御舘山稲荷神社)。

写真  5  第 192 番  黒 岩 橋          有田町広瀬山
大正12年(1923年)   長さ 12.0m  幅員3.7m
竜門ダム下と言った方が判りやすい。伊万里から川棚に向かう県道に架かる。旧西有田町の黒岩橋は端正なアーチを見せる。
橋の上流部には水路と集水施設がある。現在はコンクリートで補強されているが、もともとは石組の水槽で在ったそうだ。水の利用と石造技術がマッチした西有田の風景を楽しんだ。

なお、最後の写真は、JR佐世保線の珍しい「有田2連橋梁」。国道35号線桑古場交差点近くで見られる。