投稿者「misakimichi」のアーカイブ

瑞光庵磨崖仏  豊後大野市緒方町越生 ( 大分県 )

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瑞光庵磨崖仏  豊後大野市緒方町越生

大分県観光情報サイトによる説明は、次のとおり。JR緒方駅前の坂道を上ると県道210号で、大野川に架かる大渡橋近くまで進むと、越生集落入口に瑞光庵磨崖仏の案内板があるので、集落後ろの高台まで上がる。

瑞光庵磨崖仏  大分県豊後大野市緒方町越生

瑞光庵は、緒方村誌(昭和9年発行)に「古老の伝説にも詳ならず」と記述されており、由来は不詳です。本尊は、千手観音、阿弥陀如来、薬師如来で、伝承によると観音は何度も盗難に遭いかけましたが、菩薩の威徳により盗人は走り去ることができず盗難を免れたといわれています。
瑞光庵の裏側の岩窟は、幅6m、高さ2mで、奥壁には不動明王が掘り込まれています。岩窟の入口には、方形の羨道部分があるが、当初から磨崖仏を彫り込むために造られたかどうかは判然としません。岩窟内に掘り込まれた特異な形態が珍しいため、人々の関心は高く参拝者も多く訪れます。
また、越生の瑞光庵の境内には、しめ縄が巻かれた「蓬來様」と呼ばれる亀の首が安置されています。

漆生村河川護岸の碑  豊後大野市緒方町越生 ( 大分県 )

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漆生村河川護岸の碑  豊後大野市緒方町越生

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。JR緒方駅前の坂道を上ると県道210号で、瑞光庵磨崖仏入口先の大野川に架かる大渡橋まで進む。右手が越生集落となり、大野川の川岸近く民家後ろに天満宮(漆生社)が見えるので、この神社まで行く。
鳥居左に立つのが漆生村河川護岸の碑。4面に刻字あり、台座は60cm角、高さ15cm。上の石碑は30cm角の尖頭角柱、高さ120cmだった。

漆生村河川護岸の碑 うるしお
豊後大野市 (越生) 石碑(尖頭角柱) 享和2(1802) 市教委 原位置 (正面)「緒方郷漆生村属大野郡其田帯大渡/河河水泛濫則害田許多居民患之雖/然年飢食乏不得脩治塘以防水於是」、(左面)「官賜錢穀起土功乃積石于岸九十六/歩又作石隄于三所雖廣狹不同凡高/一丈徑七歩隄成無水災民亦勉農矣」/(裏面)「初擧挙在享和元年三月踰年三月/功成蓋於農隙也役丁通計三千三百/六十其餘之費可知也于茲記」、(右面)「國恩之辱与力役之時實以示後人云/爾/享和二年壬戌八月」 1 C

馬求社参道橋  豊後大野市緒方町下自在 ( 大分県 )

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馬求社参道橋  豊後大野市緒方町下自在

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。JR緒方駅前の日向街道を北西へ進む。丘を登り上がったところの緒方上井路まで出て、右側分岐の先を見るとこの神社がある。

№630  馬求社参道橋

緒方町下自在
緒方上井路
橋長:3.5m  橋幅:2.1m  径間:2.7m  拱矢:0.6m
緒方駅から県道を西北へ600m右手に馬求(まじめ)神社あり、その前に架かっています。

二の宮社参道橋  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

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二の宮社参道橋  豊後大野市緒方町原尻

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号原尻の滝入口交差点から県道7号へ入る。原尻の滝上部の鳥居から直進すると、二の宮社に着く。

№638  二の宮社参道橋

緒方町原尻
井路
橋長:2.2m  橋幅:3.0m  径間:1.2m  拱矢:0.4m
原尻橋を渡り、200m先を左折、400m先右手に架かっています。
原尻の滝の西側にあたる。この道の向うが原尻の滝。

野仲井路の取水堰  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

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野仲井路の取水堰  豊後大野市緒方町原尻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。県道7号原尻の滝上流、倉園交差点から原尻橋を渡る。原尻簡易郵便局前まで行って里道を右折し、緒方川岸の広場終点まで行く。上戸石風呂の史跡案内板が広場にあり、少し歩くと川に面した岩場の上戸石風呂に着く。
野仲井路の取水堰は、この広場終点に着く手前。車道から農道が緒方川岸の畑まで下っている。地元の水利関係者が、場所はここと教えてくれた。

野仲井路の取水堰 のなか
豊後大野市 (原尻)緒方川→三区井路<野仲井路> 取水堰 市教委

野仲井路は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/4847

原尻古井手の切通し  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

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原尻古井手の切通し  豊後大野市緒方町原尻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによる説明は、次のとおり。県道7号原尻の滝上流、倉園交差点から原尻橋を渡る。原尻簡易郵便局前まで行って里道を右折し、緒方川岸の広場終点まで行く。上戸石風呂の史跡案内板が広場にあり、少し歩くと川に面した岩場の上戸石風呂に着く。
この岩場一帯2箇所が原尻古井手の切通しであり、開削された跡が残る。水路はその後、素掘りトンネルに代わり、広場終点に吐き口があった。井手跡(樋を通していた?)のこの区間は、今、通路となっている。
「正保二年」の刻銘(2ヶ所)とは、崖面では不明。広場の石碑のことだろうか。

原尻古井手の切通し はらじり
豊後大野市 (原尻)<原尻古井手> 切通し(水路) 長約30m 正保2(1645) 市教委 元禄8(1695)にシューカットの隧道が掘られ使われなくなった→人道として使用されている 井手跡に「正保二年」の刻銘(2ヶ所)/切通しの部分がそのまま水路になっていたのではなく、樋を通していたのではないかと推定されている/『地方温古集「井手・堤出来暦之事」』に、「正保二酉年出来、其後捨る」と記載されている 2 C

上戸石風呂  豊後大野市緒方町原尻 ( 大分県 )

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上戸石風呂  豊後大野市緒方町原尻

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。県道7号原尻の滝上流、倉園交差点から原尻橋を渡る。原尻簡易郵便局前まで行って里道を右折し、緒方川岸の広場終点まで行く。史跡案内板がここにあり、少し歩くと川に面した岩場の上戸石風呂に着く。

県指定有形民俗文化財 上戸石風呂

原尻の滝上流右岸、緒方川の川岸岩盤を刳貫いて造られた石風呂。浴室と火室の二段式構造であるが、火室は狭くまっすぐに伸び、左右に4本づつの火道がある。明治期に造られた石風呂とされる。
所在地:緒方町原尻133
指定年月日:昭和49年3月19日

長 瀬 橋・上年野橋  豊後大野市緒方町上年野 ( 大分県 )

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長 瀬 橋・上年野橋  豊後大野市緒方町上年野

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。国道502号原尻の滝入口交差点から県道7号へ入る。約3km先に新長瀬橋があり、その緒方川下流に長瀬橋が架かる。
石橋を渡って旧道を進むと、上年野橋がある。県道側からも見える。

№17   長瀬橋

緒方町上年野
形式:6連石造アーチ
橋長:78.4m
完成:大正12年(1923)
原尻橋上流約2Km。

長瀬橋
「緒方町を代表する「原尻の滝」や「原尻めがね橋」の上流約1.5Km の緒方川に架る長瀬橋である。6連の石橋で牧歌的な風景の中に美しい姿を見せている。」

№18   上年野橋

緒方町上年野
橋長:12.0m  橋幅:3.5m  径間:10.9m  拱矢:5.0m
架設:大正3年
新長瀬橋を渡った先の県道側から、支流の下流側に見えます。

辻河原の石風呂  豊後大野市緒方町辻 ( 大分県 )

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辻河原の石風呂  豊後大野市緒方町辻

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道502号緒方町原尻の滝入口から県道7号に入る。約3km先に長瀬橋があり、橋手前から右の河原公園奥まで行くと、この石風呂がある。

辻河原の石風呂 つじがわら
豊後大野市 (辻長瀬) 石風呂(穴2ヶ所) 江戸期 県有形民俗 WEB/市教委 保存状態良好 左の長方形の岩穴が「蒸し風呂」、右の長方形の岩穴が「石菖湯」(五右衛門風呂)/底部に火室と炎道のための溝/中央上方の龕にある2基の宝塔が近世の作/石風呂の存在は大分県の特徴 1 B

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。

県指定有形民俗文化財  辻河原石風呂

岩窟下部の火室で火を焚き、上部の浴室に石菖(せきしょう)を敷き詰め、蒸し風呂とする。神経痛などに効用があるという。緒方川の左岸に面した岩壁に刳貫かれた浴室と火室の二段式構造の石風呂で、安置された宝塔2基から16世紀後半に作られたと推定される。石風呂右上には梵字(ぼんじ)キリークが彫刻されていて、仏教との関連が濃厚な施設である。地元の古老は、石風呂を「塩石(えんせき)」と呼んでいる。
所在地:緒方町辻304-1
指定年月日:昭和41年3月22日

久土知の里塚石(二里)(久土知二里塚)  豊後大野市緒方町久土知 ( 大分県 )

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久土知の里塚石(二里)(久土知二里塚)  豊後大野市緒方町久土知

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道502号緒方町ファミマ角三郎大橋北交差点から南に入る。史跡緒方宮迫西石仏の先が久土知で、集落中ほどから左のコンクリート里道に入り谷間の小橋を渡って山手へ登って行くと、カーブするところにこの里塚石がある。
所在地・緒方町久土知824

久土知の里塚石(二里)(久土知二里塚) くどち
豊後大野市 <岡城〜木浦鉱山> 一里石 高65㎝ 江戸期 市有形 市教委 (正面)「岡ヨリ 二里」/岡藩の岡城からの距離を示す里塚石 –