投稿者「misakimichi」のアーカイブ

中町公園などのシナサワグルミ(支那沢胡桃)  長崎市中町・小ヶ倉町

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中町公園などのシナサワグルミ(支那沢胡桃)  長崎市中町・小ヶ倉町

長崎市中町の中町公園の奥と、長崎市小ヶ倉町の小ヶ倉神社石段右方にあるシナサワグルミ。中国原産で明治初期に渡来。公園樹、街路樹として利用されている。
中町公園は、長崎県復興事務所跡地の記念公園。昭和59年12月の「戦災復興の建設碑」があった。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。
この木は油木町の長崎市科学館入口もあり、平和公園や浦上天主堂近くの街路樹にもシナサワグルミが混じっているそうである。

シナサワグルミ(支那沢胡桃)  クルミ科サワグルミ属 落葉高木

樹皮は灰褐色で縦にはがれる。葉は互生し、多くは偶数羽状複葉で、15〜30cmで葉軸に翼があるのが多い。小葉は5〜10対で、長楕円形。5月頃、開花し、雄花序・雌花序ともに垂れ下がる。雌花序のほうが長い。堅果は球形で狭くて長い翼がある。
中国原産で、明治初期に渡来した。公園樹、街路樹として利用。
長崎市油木町の長崎市科学館入口のシナサワグルミ。葉軸に狭い翼があるのが特徴。花は4月。果実(翼果)は7月。

池下のアコウ  諌早市飯森町池下

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池下のアコウ  諌早市飯森町池下

諌早市指定文化財(天然記念物)「池下のアコウ」。諌早市飯森町池下にある。戸石から田結を回る前の国道251号線を行く。池下バス停から右へ池下橋を渡り、漁港の岸壁道路を70mほど進むと、左の一段高い石垣に囲まれた邸宅から張り出したこの巨樹を見る。
石垣に取り付けられた現地説明板は次のとおり。根元は石垣を左へ回り背伸びすると覗かれる。最後の写真の中央の木となる。

諌早市指定文化財(天然記念物) 池下のアコウ  平成三年五月二十一日指定

クワ科の常緑大高木。葉は楕円形または長楕円形で長さ七〜十三㌢。質は厚く無毛。イチジクに似た小さい果実は熟すと淡紅色を帯びます。海岸近くに生え、紀伊半島の南部、四国、九州、沖縄、台湾、中国南部に分布し、元来、防風、防潮林として植えられます。
池下のアコウは、根本付近から三つの支幹に分かれて海岸側に傾いた樹形をしており幹廻り七・八㍍、樹高十一・五㍍に達します。
県内のアコウの主なものとしては、住吉神社のアコウ(県指定・鷹島町)、五島玉ノ浦のアコウ(県指定・玉の浦町)、奈良尾のアコウ(国指定・奈良尾町)などがあります。
平成十九年三月  諌早市教育委員会

なお、Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。同HPに根元の写真がある。
飯盛町・池下のアコウ

海岸沿いの民家の庭にあり、幹周り7m、樹高9.1mある。平成3年に町の天然記念物に指定。庭には幾つかの樹木があり、庭園はよく手入れされていて、旧家の趣があった。

川下の牛のはなぐり  諌早市飯森町川下海岸

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川下の牛のはなぐり  諌早市飯森町川下海岸

諌早市指定文化財(名勝)「川下の牛のはなぐり」。諌早市飯森町川下海岸にある。
結の浜から大門へ入る手前に案内標識があり、ここから右へ約1.5kmとある。
川下海岸の堤防道路を突き当りまで行くと、海岸へ降りる坂段があり、磯を200mほど歩く。鼻を1つ回ると、眼前にこの奇岩が見えてくる。干潮のときしか行かれない。
堤防途中の瀬渡し「豊丸」の店桟橋の先に現地説明板があった。これによると次のとおり。

諌早市指定文化財(名勝) 川下の牛のはなぐり  昭和六十三年十二月二十日指定

「はなぐり」は「鼻刳り」と書き、「鼻木」とも言います。「牛の鼻に通す環」のことで、岩の姿がこれに似ていることからこのように呼ばれます。
川下・下釜地区には飯盛山などの熔岩ドーム形成以前に流出したと思われる輝石安山岩があり、これが浸食されたためにこのような自然の造形ができたものと思われます。
平成十九年三月  諌早市教育委員会

池下・大門・川下の風景   諌早市飯盛町

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池下・大門・川下の風景   諌早市飯盛町

平成19年12月25日は、昨日の牧島に続き戸石神社から出発し、諌早市飯盛町となる池下・大門・川下を回った。いずれも橘湾の沿岸地域。海の景色が広がり、結の浜マリンパークの前には上ノ島、下ノ島が浮かぶ。
川下の「ヘツカ二ガキ」の木は県天然記念物ですでに紹介済み。外に市指定で池下に「アコウ」の巨樹、川下海岸に「牛の鼻ぐり」という奇岩名勝があるため見にいった。これは別項で詳しく紹介する。
ここに掲げた写真は、その途中の風景。川下にも大きなアコウがあった。海岸の防波堤から見た夕日が映えた。いつも帰りが遅くなる。

山の神神社のアラカシ  長崎市現川町

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山の神神社のアラカシ  長崎市現川町

長崎市現川(うつつかわ)町の「山の神神社」にある。矢上から現川川の川沿い市道へ入る。JR長崎新線のガード下を過ぎるとバス終点。左の現川駅の方へ行かず、上流に向けてまっすぐ進むと、仏畑集落で神社が左方へ見え、鳥居の脇に朽ちた根もあるアラカシがある。この道は、現川峠を越えて西山台へ出る。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

アラカシの巨木

長崎市現川・払畑にある「 山の神神社 」にあるアラカシ。幹周り3.90m。幹の中ほどまで大きな洞ができていて、その半分は朽ちていが、残りの幹から大きく枝葉を広げている。木は傾いていて倒れまいと、必死にふんばっている感じだ。

牧島の風景  長崎市牧島町

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牧島の風景  長崎市牧島町

平成19年12月24日、長崎市東部の牧島へ。戸石の対岸にあった橘湾の島で吊り橋だったが、昭和44年11月「牧戸橋」が架けられた。
分校跡、海岸洞穴の穴弁天、ペーロン体験施設、津島、池の神、黒瀬崎台場跡、曲崎古墳群(国指定史跡)と回って見た。戸石との間は隠れた内湾。入江を利用して戦時中は震洋特攻基地となった。後の写真は、橋の西方切宮岬にかけて残る特攻艇の格納壕(戦跡で別項あり)。

円福寺のアコウ・カゴノキ  長崎市香焼町

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円福寺のアコウ・カゴノキ  長崎市香焼町

香焼山円福寺は、空海(弘法大師)が中国へ渡る際、お香を炊いたといわれる伝説の地。寺は長崎市香焼町の山手にある。遠見番所跡の小高い山に続く狭くて急な石段の途中に地蔵が点在している。大きな洞穴の祠では岩にへばりついた奇怪なアコウがあった。近くでシイやカゴノキの大木も見た。

後ろの写真は、香焼中学校近く田の浦団地前に街路樹として植えられているアコウ。幹が絡んでる太いアコウは、尾上のかつての海岸沿い道の住宅地で5本見た。ここのは昔から有名。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リストの中(街路樹)の説明は次のとおり。

香焼町・円福寺

円福寺の裏山の急な石段を登るとギョクシンカの低木がある。さらに登っていくと、浅い洞窟があり、像が安置されている。岩にはアコウの木が伸びていて、気根が垂れ下がっている。異様なというか、神秘的というか、不思議な雰囲気がある。近くにはカゴノキの大木もある。

香焼町のアコウの街路樹

アコウとしては大木でもないし、街路樹としても本数は少ないが、アコウの街路樹はめずらしい。

諏訪の森のクスノキなどの巨木  長崎市上西山町

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諏訪の森のクスノキなどの巨木  長崎市上西山町

日本三大祭りの「長崎おくんち」の舞台である諏訪神社。長崎市上西山町にある。神社の奥の諏訪の森が公園となっている。大きなクスノキなどが群生。長崎県下一といわれる森となっている。立山へ登る道路が中を通り、ガードされた巨木の左右を車が走る。
公園内には、月見茶屋、噴水池、動物広場、丸馬場、武道館がある。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」の中(街路樹)の説明は次のとおり。

長崎市・諏訪の森

諏訪神社や諏訪公園の裏手にあり、諏訪公園から登る。公園にはマキの大木。園内に鯉が泳いでいる池があり池の左手に諏訪の森への階段がある。
クスノキの巨木がいくつかあり、アラガシ、イチイガシ、バクチノキ、ホルトノキ、クロガネモチ、ヤマモモ、ヤマモガシ、ハマセンダンなどがある。さらに登っていくと、道路にでる。そこに道路の中央にそびえているクスノキがある。

稲佐国際墓地の大クス  長崎市曙町

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稲佐国際墓地の大クス  長崎市曙町

長崎港の対岸稲佐の曙町にある。悟真寺に隣接した稲佐国際墓地。テレビ塔のある稲佐山(標高333m)登山道路入り口の近く。歴史ある外国人墓地でよく整備され散策向き。港に大型客船”飛鳥”が見えた。坂段を上がった一番上に「福建境地界」の標石を見つけた。
Otoji.K氏HP「長崎の樹木」リスト(街路樹)の中の説明は次のとおり。

稲佐国際墓地の大クス

長崎市稲佐町にある。墓地の周囲はクスノキの大木で守られている。巨木が2本ある。幹周り5〜6mほどで、長崎の大クスとしては上位に入るクスノキではないが、樹形は素晴らしい。墓地内には、サクラ、メタセコイアなどが植えられている。
この墓地は悟真寺に隣接した中国人の墓地であったが、後にオランダ人墓地ともなった。1858年、ロシア人水夫を埋葬するためロシア人墓地が作られ、翌年に国際墓地も設けられた。現在では、ロシア、オランダ、ポルトガル、フランス、アメリカ、インド、ユダヤなど多くの外国人が眠っている。

高浜の「石鍋」と岬木場の「鍋岩」  字名の謎

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高浜の「石鍋」と岬木場の「鍋岩」  字名の謎

為石石鍋製作所跡は、三和中学校上の墓地から左の寺岳登山道に入る。すぐ白川稲荷神社で赤鳥居道を登り、上祠から下に下ると右手の山際に跡の岩面2つがある。掘りかけの途中の石鍋も残る見事な岩面である。すでにこれは前に紹介している。

高浜にも「石鍋」という字名がある。長崎市高浜公民館の以前の講座資料、松尾秀喜氏作成「たかはま字名の由来考」44〜45頁は次のとおり。
本村名 石 鍋 いしなべ
いしなべ…は、石で作られた鍋や釜の作り出された所の字名でしょう。長崎新聞社の長崎大百科事典によると、平安期末から鎌倉期に西日本一帯に使用された石鍋(石材・石製)には硬質の滑石が用いられ、その製作所跡が西彼半島、野母半島の山中に見られる…と記されてあるところから、此処の石鍋の字名も石鍋作製による字名でしょう。
長野観音さんの手洗器と八幡神社の手洗器は石鍋の原型ともいわれる。当地の石鍋の由来。

長野観音堂跡の公民館庭先にある手洗石も前に写真で紹介した。さて、この高浜の「石鍋」の字名。地元の人に場所を聞いて探しに行った。野母崎高校のずっと上の方の谷間で大野集落となる。中を川が流れ、橋の左上斜面をいう。川を上流へつき上げてずっと付近を調べたが、人工的な岩面は見あたらなかった。このあたりの畑所有者本村さんや字名資料松尾氏の話でも何も残っていないそうだ。 驚いたのは、この川に小さいながら落差10mほどの見事な滑滝があった。滝の名前はないらしい。

返って橋の下流側に、写真のとおり人工の跡がある大岩と小岩があった。大岩は上に祠が祀られ、下部はえぐられ自然のものかどうかわからない。
近くにある小岩は石材として切り出されたような跡がある。畑の人に聞くと明治時代造られた長野観音堂の石垣は、ここから石を出したという話であった。しかし、ここは字名の「田郷」となる場所である。この岩も名前はないらしい。

あと1つ岬木場の「鍋岩」は、昭和62年「木場子供会発表会資料」3班の項に次のとおり記されている(資料は高浜公民館保存文書)。
”なべ岩”について
1 目  的
・身をかくすため
2 長  さ
・横に約150mあり、老人の話を聞くと10mぐらいは中に入っていかれたそうです。
3 由  来
・なべの形をした岩が見つかったから「なべ岩」と呼ばれています。
・平家の「おちびと」ががたどりつき、ほったものと言い伝えられています。
4 生活した様子
・岩に「のみ」でけづったあとがある。
・焼山に段々畑があり、そこで作物を作っていたとみられる。
・中に入った人の話によると、入り口のところに物をついたうすがあったそうです。
現在は土が積もって形しかわかりませんでした。

「なべ岩」のこの資料による場所絵図は上に掲げた。描かれている運動場の位置から、今の岬木場バス終点の上方でゴルフ場の進入道路となっているあたりの山でないだろうか。運動場は、サイクリング道路の一段下に見るグランドのようだ。この上はゴルフ場敷地となって、今は調べようがないと思われる。