諏訪の池の風景 雲仙市小浜町
平成20年2月28日、諏訪の池を通り加津佐方面へ行く。諏訪の池は、島原半島で最大の池。灌漑用の池で上、中、下の3つの池よりなる。国民休暇村雲仙がある。池のまわりには1周5キロの自然歩道。原山ドルメンも近く。
諏訪の池の風景 雲仙市小浜町
平成20年2月28日、諏訪の池を通り加津佐方面へ行く。諏訪の池は、島原半島で最大の池。灌漑用の池で上、中、下の3つの池よりなる。国民休暇村雲仙がある。池のまわりには1周5キロの自然歩道。原山ドルメンも近く。
水神社の連理樹 南島原市布津町乙
南島原市布津町坂下にある水神社。国道251号線が深江から布津へ入り大崎鼻に曲がって上がる手前に布津新田の橋がある。信号からすぐ右折し、そのまま高台へ上がって行き、飯野小学校や妙法寺を過ぎる。寺の先の集落に四つ角になる道があり、左へ入ってそのままずっと進むと水神社の鳥居へ出る。
ここは鳥居だけで、社と連理樹は道を回り込んだ先にある。湧水が山手から流れ、社名のとおり水量多い小川が音をたてて側を流れている。飯野のアーチ石橋の上流となる。
シラカシ・クスノキが根元の繋がった連理となり、これが祀られている。
Otoji.K氏HP「長崎県の名木」リストの中の説明は次のとおり。
布津町坂下・水神社の連理樹
二本の木の根元が絡み合って結びついているのを連理樹と言う。平成3年、町の天然記念物に指定された。右がシラカシで左がクスノキ。クスノキは樹皮が鱗状になっている。
案内板によると、鱗状のクスノキは龍(火)、シラカシは防火林(水)の象徴であり、またクスノキは陽(男性)で、シラカシは陰(女性)を象徴するとある。互いに助け合ってという意味だろうか? それとも、表面上は異なるが、その根では癒合しているということか?
布津町に残るアーチ石橋 南島原市布津町丙
南島原市布津町に残るアーチ石橋は、飯野の眼鏡橋(新川橋)1橋である。嘉永6(1853)年架。公道上の石橋としては島原半島で最古といわれ、町指定文化財である。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
なお、最後の写真は眼鏡橋上流にある水神社。丸桁石橋には縁石に盃状穴が彫られ、再生・豊饒信仰をうかがわせる大変珍しい民俗文化財となっている。
写真 1 第 37 番 飯野の眼鏡橋(新川橋) 南高来郡布津町坂下名 新川
嘉永6(1853)年 石工 平治兵衛 山石 長さ 7.9m 幅員 2.9m
公道上の石橋としては島原半島で最古といわれる。殿様道
欄干の石の大きな隙間や親柱との臍継ぎ手の抜け、また枠石の陥没など危険な兆候も散見される。町指定の文化財であるので何とか補修が出来ないものであろうか。
島原市に残るアーチ石橋 島原市湊新地町ほか
島原市に残るアーチ石橋は、4橋である。ただし、2006.9.15付島原新聞に記事があった島原市前浜町国道251号線に架かっていた(二軒茶屋バス停横)北川橋は、現在行われている国道の拡幅工事によって埋没されかけていた。
歩道側のすき間からかろうじて見えた石組みを写すことができた貴重な写真。以前の写真は次HPから。HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 1 第 38 番 新 地 橋 島原市湊新地 内海
明治3(1870)年 長さ 9.8m 幅員 5.6m
広馬場の交差点から新地への入口に架かる橋。
明治に入っての内港に開かれた湊新地の入口に架かる橋。新しい時代になって開かれたこの街に、夕闇迫る頃から人出で賑わったのではないだろうか。橋の袂には猿田彦神が祀られている。塞の神ともいえる。
欄干の石張りなどが新しいのは昭和24年に改修されたもの。石組の配色がモダンで美しい。
写真 2 第 41 番 津町の眼鏡橋と理性院のレンガアーチ橋 島原市津町シロミズ川
明治初期 長さ16.6m 幅員 4.0m
島鉄の南島原駅を降りて右に歩いていくと内港の奥に見える。
新地橋に行くつもりが、先に眼鏡橋に目が行ってしまった。内港に架かる二つの橋。島原市内には他にアーチ橋は?
石造アーチ橋ではないのだが、近くにある弁天山理性院(大師堂)に行ってみよう。「からゆきさん」の施餓鬼供養の玉垣が並ぶ天如院の脇にレンガアーチ橋が架かる。
スパン1.9m、橋高1.7m。橋面はコンクリートというよりセメント仕上げ。
写真 3 第 176 番 北 川 橋 島原市前浜町国道251号線に架かる(二軒茶屋バス停横)
昭和初期といわれる。 長さ 7.5m 幅員 4.6m
国道の拡幅工事が迫っている。この橋がどうなるのか確認しなくては。
友人からの石橋情報を貰う。なんと国道251号線に現役の石造アーチ橋が有るという。友人からのメールには末尾に転載したローカル誌の記事が添付されてあった。
現地に確認に来て見ると、一部内部に亀裂は見られるものの、スパン3.6m基礎の立ち上がり0.6mに拱矢1.8m拱矢比2.0の堂々とした石橋であった。
写真 4 第 69 番 天神さんの橋 島原市三会大平原 ハタナカ川
弘化3(1846)年頃 長さ 3.5m 幅員約1.8m ジゲ石
諌早からはR251で島原市内に入って三会の先で右側にある天満神社の参道前に架かる。
河川改修工事で基部はコンクリート護岸の中に入ってしまってます。枠石もしっかりしている。この状態で相等の期間は大丈夫。でも美しいアーチの姿は半減してしまって、ちょっと残念です。
久しぶりに訪ねてきたら拱環石に、なにやら番号が振ってある。教育委員会の調査の後か?まさか移築の準備ではないだろうかと心配。
2006/09/15:島原新聞 「こんなところに石橋が!」
「まさか、こんなところにあるはずもない」と、誰しもが見過ごしてきた大通り国道251号に、今も現役として活躍している石橋がある。場所は島原市前浜町の、通称「二軒茶屋」と呼ばれているバス停のすぐ近く。北川を跨(また)ぐ「北川橋」として架けられたもので、石橋としてはそんなに古くはない、「昭和初期のもの」らしい。
もちろん近くの住民はそれと気付いていたかもしれないが、民家は国道下に4,5軒あるばかり。「ここに石橋があるよ」と市に教えてくれることもなかったらしく、島原市の石橋リストにはこれまで一度も記載されることはなかった。
市教育委員会社会教育課によると、現在ある市内の石橋は、広馬場町と湊新地町をつなぐ「新地橋」と、白水川に架かる津町の「眼鏡橋」。あと、小さいもので三会大手原町の天満宮参道の「天神さん橋」の3個のみ。
1981年に県立有馬商業高校郷土部が調査した『島原半島の石橋』には、安徳町新地の水無川堤防(赤道)にかかる眼鏡橋も記載されているが、これはこのたびの普賢岳噴火災害に伴う水無川改修工事で消滅。旧有明町の湯江川上流、川内地区にも石橋「みづわけ橋」があったものの、同じく普賢岳災害の際、大量の流木が詰まって付近の住家に被害をもたらしたため、撤去された。
そうした数々の災害にもめげず、しかもあの噴火災害時にも土砂を積んだ大型トラックが日に何十回も往来した国道251号にあって、人知れず縁の下の力持ちとして道を確保していたこの石橋。昭和32年の水害を機にバイパスの新北川が浚渫敷設されたこともあって、水量を十分に掃ける状態にあることが幸いしたらしい。
いま、隣接する新北川橋の方は国道拡張にともなう改修工事が行なわれており、恐らくは近々のうちに石橋の北川橋工事も着工されることになる。その運命は前例同様、破壊の公算が大きいが、しかし何とか保存できないものか。
近年、北門から三会に至る国道沿いには大きな店舗が立ち並び、田園風景だった昔の風情が失われつつある。かつてここは島原城の北門を起点とする北目往還(おうかん)の道筋。殿様一行が参勤交代で上京する際には、杉谷村の「お目見え者」が一同この場所に座し、行列を見送ったという記録もある。
しかも「二軒茶屋」という名のゆかしい地名があり、北川とは別に熊野神社の湧水から引いた水路も流れている。付近にあった水車の動力として利用されたもので、今なお一帯の田畑を潤す水源として活用されている。石橋そのものも、写真で見るように水辺の懐かしい憩いの雰囲気を保っている。
市社会教育課では、「文化財保護審議委員会にはかってみたい」と話しているが、石橋の文化財的価値の有無だけでなく、歴史的由緒、水路を含めての産業的遺産、町づくりといった総合的視点で検討してもらいたいものである。
加津佐町・口之津町に残るアーチ石橋 (2) 南島原市加津佐町・口之津町
南島原市加津佐町・口之津町に残るアーチ石橋は、13橋である。このうちの(2)。
中尾橋は最近架け替えられ、解体されていた。上沼田橋はコンクリート被覆されているが、アーチ石橋と思われるので13橋となる。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 8 第 91 番 八畝間(やぜま)橋 加津佐町宮原名内野
明治時代 長さ 約7.0m 幅員 約2.5m
広域農道から内野の案内に沿って上る。
教育委員会の松藤教育次長から教えていただいて出会えた石橋。山口祐造氏の資料では、長さ3.0mとなっていたが、現場であたったら、約7mの長さが有った。
写真 9 第 102 番 崎谷の橋 加津佐町崎谷
昭和初期と推定 長さ 4.8m 幅員 約3.6m
崎谷の集落の中央に架かる橋。
加津佐町教育委員会の松藤次長に教えていただいた(02/07/2003)
写真 10 第 120 番 中 尾 橋 加津佐町中尾
大正7年 長さ 5.9m 幅員 4.5(3.2)m
存在が確認できなかった橋だったが、なんのことはない何度も通っていながら気がつかなかっただけだった。それほど上からは判らない。
口之津町側の富士山登山口から町道に入り、「ろうけんかづさ」の前を通って、鍛冶屋敷橋を通過して中尾に入る、集落入口の山口川に架かる橋が中尾橋。
上流側に1.3m程拡幅されていて、その部分も石橋風にデザインされている。
(南島原市加津佐町の中尾橋は、平成20年3月で新しい橋に架け代りました)
写真 11 第 123 番 沼 田 橋 加津佐町乙(沼田)
明治35年と言われる 長さ 7.6m 幅員 3.5m
この上流の橋もアーチ橋であったようだがコンクリートで被覆されて断定が出来なかった。
草に隠れて下流からは、この橋が石造アーチ橋だとはわかりずらい。集落の中に残る石橋。
【ガイド】中学校から北に上って「消火栓」の看板のある別れ道から左折。集落の中に残る石橋。
写真 12 上 沼 田 橋 加津佐町乙(沼田)
(N氏HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」で、この橋はコンクリートで被覆されているが、近隣に確かめアーチ石橋であると判定されている)
写真 13 第 76 番 オオイカリ橋 口之津町三軒屋区
明治40年 長さ 7.8m 幅員 約4.4m
国道389号線を口之津港から富士山に向かって左側。
島原往還の西目道にあたり、富士山の麓の「オオイカリ橋」は、なかなか秀麗なアーチを見せてくれた。富士山に登りに行こうとして出会えた。(01/12/2003)
写真 14 第 87 番 富士ごんげん橋 口之津町三軒屋区
明治40年 長さ 5.2m 幅員 約2.6m
国道389号線を口之津港から富士山に向かって右側。
富士権現橋が見つからずに口之津町の教育委員会を訪ねたら、親切に土木の担当の方まで同行で案内いただいた。この橋は先年崩れた為、ブロックで補修をして、現在は小規模ダムの排水溝の手前に残っていた。
下流側は、なかなか綺麗な橋の姿を見せてくれる。現在は土を盛り上げているが、もともとは親柱もあり、橋面は石で葺かれていたことが、側面から見て取れる。親柱には「○やま」とだけ読み取れる。富士ごんげん橋とは書かれていなかったようだ。
加津佐町・口之津町に残るアーチ石橋 (1) 南島原市加津佐町・口之津町
南島原市加津佐町・口之津町に残るアーチ石橋は、13橋である。このうちの(1)。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 1 第 11 番 岩戸山放生池の眼鏡橋 加津佐町岩戸山厳吼寺境内
文政12(1829)年 長さ 5.9m 幅員 2.4m
平成新山を生んだ噴火災害の後遺症で被害の多いこの境内の中にある端正な二連アーチ橋
写真のように、枠石が大きくずれている。早急に手当てしないと危険ではないだろうか?
写真 2 第 k-012 番 加津佐温泉神社の御神橋 南島原市加津佐町
大正6年 長さ 5.8m 幅員 4.6m
参道と橋の勾配が気になる。移築かな? 加津佐温泉神社は此処から
写真 3 第 170 番 上宮原北の橋 加津佐町上宮原名九州自然歩道ルート上
明治期と思われる 長さ 約3.8m 幅員 約3.6m
富士山、口之津港に向かう旧道に架かるアーチ橋。
広域農道の北有馬との町境から口之津の津港に抜ける同じルート上に五つの橋が残っている。この橋の下流の2番目と3番目の橋は良く似た形状の橋。見る限りでは明治期の橋に見える。この橋は一番上の橋。
写真 4 第 88 番 上宮原の橋 加津佐町上宮原名九州自然歩道ルート上
明治期と思われる 長さ 約7.0m 幅員 約2.5m
富士山、口之津港に向かう旧道に架かるアーチ橋。同ルート上、この橋は2番目の橋。
写真 5 第 89 番 下崎谷橋 加津佐町上宮原名(奥山堤脇)
明治期と思われる 長さ 約6.0m 幅員 約2.5m
富士山、口之津港に向かう旧道に架かるアーチ橋。同ルート上、この橋は3番目の堤に沿った橋。
写真 6 第 90 番 向田(奥山)橋 加津佐町上宮原名
大正期と思われる 長さ 10.2m 幅員 3.5m
富士山、口之津港に向かう旧道に架かるアーチ橋。同ルート上、この橋は4番目の橋。藪が茂って見えないがなかなか綺麗なアーチを見せる橋。
写真 7 第 171 番 向田南の橋 加津佐町上宮原名
明治期と思われる 長さ 不明 幅員 約3.6m 埋まっていてサイズは不明 富士山、口之津港に向かう旧道に架かるアーチ橋。同ルート上、この橋は一番下の橋。もっともこの橋を事前の情報無しで気が付いた方には脱帽。
長崎の西の空の夕日 その3
長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電線は邪魔。以下続く。
写真 1〜2 平成19年12月14日の16時40分頃
写真 3〜4 平成20年 2月21日の17時55分頃
写真 5 平成20年 2月24日の 7時00分頃 明け方の月
写真 6〜7 平成20年 2月29日の17時55分頃
小浜町に残るアーチ石橋 雲仙市小浜町金浜ほか
雲仙市小浜町に残るアーチ石橋は、5橋である。金浜眼鏡橋は、そばにアコウの巨樹があり、その項で橋も紹介している。雲仙の桜橋は、温泉街入口。有明ホテル脇である。
HP「長崎県の石橋を訪ねて」による説明は次のとおり。
写真 1 第 6 番 金濱眼鏡橋 小浜町金濱川河口近く 殿様道に架かる橋
弘化3(1846)年 長さ14.5m 幅員3.6m
北串山の人、岡右衛門が架橋したと言われる。以来150年余りを経過し痛みが激しいため文化財保護を目的に平成5年大改修が行われた。
なかなか姿の良い橋だが、残念ながら平成5年の大改修は、この橋を外見だけは復元したが、まったく違う橋に作り変えてしまった。この新しい平成の石橋自体は大好きな橋の一つでは有るのだが、「金浜の眼鏡橋」を復元出来なかった物かと淋しく思う。これが文化財保護なのだろうか?
近くの住民が「階段が出来て上りにくいし、滑りやすいから嫌だ。昔の橋が良かった」と話されていたのが心に残る。
写真 2 第 57 番 北串の眼鏡橋 小浜町山畑(北串)
明治中頃 長さ 14.5m 幅員 3.8m
広域農道(雲仙グリーン道路)の山畑大橋の下に眼鏡橋がある。以前、この橋を探して小浜温泉観光案内所を訪ねたが、職員の方は何方もご存じなかった。一時はもう無いかも知れないとは思ったが、近くを通るたびに少しずつ探していた橋に、やっと出会えた。
【ガイド】国道251号線を小浜町から南串山に行くと、金浜の眼鏡橋が有る。そのの先から、県道30号線に左折して、山畑の広域農道の交差点を右折。山畑大橋を渡ってすぐに左折。大橋の下で出会える。
写真 3 第 119 番 安平(あんのひら)橋 小浜町山畑
明治中期 長さ 9.0m 幅員 4.2m
下区若しくは北串山下地区安平と聞くほうが判りやすい。エネオスから右折。下区集会所の先
福岡県在住の薗田さんから掲示板で教えていただいた橋。地元の方に伺ったところ、明治10年から20年ごろの架橋で。戦後まで橋の側には水車小屋があって北串山地区の大切な生活の橋であったそうだ。川は下の部落の名で「湾頭(わんど)川」と呼ばれる。
写真 4 第 122 番 山畑の水路橋 小浜町大亀(北串)。一般に山畑といわれるが正確な住所は大亀となる。
明治中頃といわれるが調査中 長さ 8.0m 幅員 1.6m
長崎県で唯一現存する農業水路の為に造られた水路橋(平成15年6月現在)
北串の眼鏡橋に何度か通っている時に、地元の方から、この上流にもう一つ石橋があったが今はどうなっているか不明だし、行けないだろうと話を聞いていた。
諏訪池は、元和2(1616)年に藩主松倉重政が築いた人造湖。そののち北串山村庄屋の松藤家が新池を造り、その後何度か水路が作り直されて、北串原の農業用水を賄ったという。このとき松平から北串の低地へ流れている川の源流付近で沢を跨ぐ必要から架けられたのが、この石橋。
【ガイド】北串の眼鏡橋が架かる山畑大橋を渡ってすぐに左折。左手に田畑を見ながら作道を上流に向かう。二つ目の別れ道を下って川を越えて上る。棚田で道が無くなったら左手の棚田を登って水路に出て、上流に向かう。季節によっては通路は無い。
写真 5 第 172 番 桜 橋 小浜町雲仙(温泉街に架かる橋)
昭和5年1月 長さ 6.0m 幅員 約5.5m 拡幅されています。
私の好きな福田屋さんの脇、湯川に架かる橋。写真は福田屋さんから撮りました。
雲仙の温泉街の真ん中を通る国道57号線の橋。小浜から上がってくると小地獄の分岐の先に成る。しっかりとした石造アーチ橋。この橋が良く見えるポイントが有ると雲仙温泉街のランドマークになるかも。
ちょっと見た目は、長崎市にある鎮西橋のように石張りのコンクリート橋のような感じを受けるが、これは近年、高欄を付け替えた際に石張りを行ったからだと思える。剥がれかけた化粧張りが違和感を感じさせるのだろう。
小浜町山畑のヤマモモ 雲仙市小浜町山畑
雲仙市小浜町山畑のアーチ石橋「安平橋」を見に行って見かけた木。金浜から上がり諏訪の池へ行く県道30号線途中の北串山中・小学校の少し先から広い道に右折する。まだ先のエネオス給油所側からも行ける。福祉施設「かおり」があり、角を左折すると「下区集会所」と墓地がある。
車道を回り込むと石垣に囲まれた家があり、柳本宅である。入り口両側にかなり大きい2本のヤマモモの木が立つ。主人の話では、”マカゼ”と言っているが、ヤマモモの仲間。100年以上は経っているらしい。
雲仙グリーンロード「山畑大橋」の下流の方角となる。石橋「安平橋」はすぐ先である。
加津佐のエノキ 南島原市加津佐町己
加津佐東小学校近くで見かけたエノキ。学校前の橋から河口を眺めると、左川端の住宅地の上にこの木が目立った。奥の家の庭に生えてるようだが、路地が複雑で門に鍵していた。勝手に入るわけにいかない。
周りを回って裏から眺めると、根元に地蔵堂のようなものがある。少し高いところに生えているから大きく見えるのだろう。根元へ行けず幹周りは確認できない。
加津佐を回って、岩戸山樹叢以外は巨木は見あたらなかった。このエノキと岩戸山入口に行く海岸べたのアコウが目についたくらいである。