投稿者「misakimichi」のアーカイブ

長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷

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長与インター入口近くでアーチ石橋が見つかる  西彼杵郡長与町高田郷

西彼杵郡長与町高田郷にも、まだ知られていないアーチ石橋が残っていた。これも「《トピックスで読む》長崎の歴史」の著者江越先生の話から。
先日、勤め先の大瀬戸歴史民俗資料館を訪ねたとき、長崎市三ツ山町に残っていた「小谷橋」(先項)と一緒に、この長与町の橋のことも聞いていたのだが、私は今、中尾城公園に移築されている「百合野橋」のことと思って、よく聞いてなかった。

百合野団地入口で現在、JR線路をまたぐ橋が「百合野橋」となっている。もともとアーチ石橋であった橋は、団地へ入って「百合野団地第一」バス停右下にある小さな橋である。
話の様子が違うので昨夜、先生へ再び確かめた。先生も実際見られたのでなく、この橋は大宮町の道津さんから聞いた話。道津さんが近くをよく歩くので見つけられていたのである。
幸い道津さんは、私のかつての職場の先輩。電話して場所を確かめ、本日(3月19日)調べに行った。

場所は、道の尾を通って長与へ行くJR長崎本線沿いの県道33号線。川平有料道路長与インター入口のすぐ手前左側にクリーニング店「洗濯工房」がある。この店裏とJR線路との間に小さな川が東の山手から流れている。
壊れかけた石橋が、店裏のコンクリート壁にへばりつくように残っている。線路側は水害により上石が流されているようだが、骨組みはしっかりしていて、アーチの形を完全に残している。

脚立で橋まで降りる。上流側の中央切石に「明治四十四年二月築造」と刻んでいた。橋名がもしやとして下流側へ回ったが何もなかった。長さ5m、幅員4mくらいの橋。
店の家人に聞くと、昔は橋の高さで脇に旧家があり、県道が通っていた。今の県道が高くかさ上げして造られたため、敷地を高く上げて現在の店を作っているそうである。
うまい具合に列車が通った。壊れかけているが、いつまでも残ってもらいたい市近郊のアーチ石橋である。

なお、最後の写真2枚は、中尾城公園文化ホール下へ移築されている「百合野橋」と、「百合野団地第一」バス停下の現在の橋。

三輪神社などのクスノキ  長崎市琴海形上町

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三輪神社などのクスノキ  長崎市琴海形上町

国道206号線により長崎市琴海形上町へ行く。形上小学校を過ぎ長崎市立琴海病院前に来ると、国道の左方に高木がこんもりした神社が見える。鳥居に「三輪神社」とあった。
境内由緒書によると、当時の形上村の庄屋相川新右衛門がキリスト教弾圧の偽装策として、寛永10(1633)年、智津大権現を祭神としてこの老碕の守に奉祀したとある。
神社の記事は、fwd−net長崎・諫早「神社に行こう」に紹介がある。
参道石段の中段右にあるクスノキはかなり大きい。幹周りは5mほどあった。

国道へ戻り少し行くと、これも国道沿いのすぐ左方へ、石垣で囲まれた高い木立がある。石垣の間の通路を入ると、クスノキの幹周り4mを越す大木を中心に、池のある庭園がこしらえられていた。
家は古くて小さく、庭はだいぶん荒れぎみであったが、何となく昔、形上地区で由緒のあった屋敷跡のようである。前記の形上村庄屋宅でなかったかと思っているが、確認はしていない。

波佐見金山跡  東彼杵郡波佐見町湯無田郷

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波佐見金山跡  東彼杵郡波佐見町湯無田郷

波佐見金山跡は、波佐見町湯無田郷にある。ここは県道1号線の中尾山入口。右折して白山陶器前を過ぎ、上内海住宅バス停に史跡案内板がある。住宅裏の川向こうに金山跡の坑口2つが見られ、1つは完全に扉で塞ぎ、1つは畑のビニールハウス続きの倉庫として利用されているようだ。堤が住宅をはさんで上下にある。

下流の陶山神社左側の川脇斜面にも坑口があって、石垣で塞いでいると聞いたが、探しきれなかった。この川脇の道は昔の旧道か、堤下で川を渡るところに古い桁橋があり、「中尾橋」と刻んだ銘柱を見つけた。

陶山神社前に残る赤レンガ造アーチ石橋( https://misakimichi.com/archives/684 を参照。切石に「伊東橋」と刻みがあるよう)の解明のため、このあたりはもう少し関連づけて、史料や資料を調べる必要があるだろう。
「波佐見金山跡」の現地説明板は次のとおり。操業当時の古写真は、波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊70頁から。

波佐見金山跡

明治二十九年、金鉱脈を発見し、翌三十年、鹿児島県祁答院重義により採鉱開始し、日露戦争時(明治37・38年)有望金山として外債募集に役立った。
坑道は西側に朝日坑をはじめ五坑、東側に三坑、その他に一坑があり、鉱石は電車で精錬所(現在の白山陶器)に運び粉末に砕き、金、銀をとり出していた。電力は初め川上水力発電所からの送電によったが、のち火力発電所(赤煉瓦建物)を設けた。
明治四十三年、日本興業銀行が直接経営に当り”波佐見鉱業株式会社”となる。
大正三年八月、貧鉱となって、突然閉山した。この間、金一、〇三三Kg(二七五貫余)、銀二、三九四Kg(六三六貫余)を採掘する。
その後、金山は三菱鉱業の手に移り、大東亜戦争中、大村空廠が疎開して坑道に地下工場を設けていた。
平成四年一月    長崎県波佐見教育委員会

俵坂の「従是大村領」領界石  東彼杵郡東彼杵町

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俵坂の「従是大村領」領界石  東彼杵郡東彼杵町

国道34号線が、長崎県東彼杵町から佐賀県嬉野町との県境「俵坂」に登りきる切り通しの、すぐ手前となる右方のやや高い石垣上に、この領界石が移されて立てられている。車中からなら、よく注意して見てないと見過ごす。
現地説明板は次のとおり。同じ所に立つ隣りの高い石は「地神」である。

領  界  石

「従是大村領」の領界石は、元禄三年(一六九〇)ここより北西二百メートルの藩境(現在の県境)に建てられました。
高い所に立つ五尺五寸(一・七メートル)の大村藩の領界石と、その北側の低い所に立つ「従是北佐嘉領」の二・八五メートルと背の高い領界石が、よりそって立つ姿は、当時の旅人たちの目を引く存在でした。
明治の国道建設後、その所在がわからなくなっていましたが、昭和三十三年、俵坂バス停付近の土中に、上の部分が欠けた姿で発見され、ここに移しました。
東彼杵町教育委員会

小石原のモミとムクノキ  東彼杵郡波佐見町小樽郷

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小石原のモミとムクノキ  東彼杵郡波佐見町小樽郷

県道1号線を東に嬉野町の方へ行く。中尾山入口を過ぎるとまもなく武雄方面への県道102号線と分岐する。川向いの高山陶器が目印。この手前で御堂橋を左折して渡る。小樽郷の小石原はここで、町営住宅の左奥が宇都宅となる。
モミは宇都宅裏庭の奥、ムクノキは右畑の奥に生えている。モミは2本あり、人家近くその巨木さに驚いた。
波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊22頁による説明は次のとおり。

10.小石原の樅と椋の大樹(小樽郷)

小石原の宇都家裏庭は、北に山を負い南向きで、以前に何かいわくありげな感じがします。ここに大樅2本と大椋があります。ともに樹齢はわかりませんが、樅は周り2.8mと2.35mで高さは20mほど伸びています。
椋は根周り4.5m、目通しで3.1mもあり、節くれだってずんぐり型。波佐見では大樹であるばかりか、めずらしい樹種でもあります。

木場山の五葉松  東彼杵郡波佐見町永尾郷

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木場山の五葉松  東彼杵郡波佐見町永尾郷

県道1号線により嬉野町との町境近くまで進む。永尾山入口を過ぎすぐ次にストアー角に木場山入口の標識があり右折する。智恵治登窯の史跡があり、この道をひたすら山手へ向かう。永尾山からも行かれるが、車道が狭い。
木場山のまとまった集落のまだ先に最後の2軒の家があり、右手石垣の上が小佐々宅。五葉松が庭端に生えているのが見える。道をそのまま行くとすぐ広域農道で、左は永尾トンネルの方へ出る。
波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊20頁による説明は次のとおり。
最後の写真3枚は、木場山入口にある町指定文化財「智恵治登窯」。

8.木場山の五葉松(永尾郷)

木場山の上手、小佐々熊雄宅の庭に美しい姿の五葉松があります。周りが1.3m、高さ3.4mあって7mの中に枝を拡げています。樹齢はわかりませんが、少なくとも百数十年を経たのでありましょうし、五葉松では波佐見一でしょう。

教法寺のクスノキ  東彼杵郡波佐見町宿郷

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教法寺のクスノキ  東彼杵郡波佐見町宿郷

波佐見町宿郷の教法寺は、皿山郷へ向かう県道1号線の八島交差点の道脇にある。波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊108頁によると、江戸初期元和9年(1623)明信の開基による、藩内最初の浄土真宗のお寺。
寺の紹介にこの木が大きく写っていたので訪ねたら、幹周り5mほどのクスノキであった。寺の左側、車道入口にもロータリーのようにして形のよいクスノキの中木が立つ。

牧ノ内の平戸系大ツツジ  東彼杵郡波佐見町田ノ頭郷

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牧ノ内の平戸系大ツツジ  東彼杵郡波佐見町田ノ頭郷

県道4号線により川棚町から波佐見町へ入り3分ほど、田の頭バス停があり手前の道へ右折、山手の右へ向けて最後まで登って行く。この集落が田ノ頭郷牧ノ内で、大平岳の山懐の最後の家、牧野宅の前庭にツツジが広く枝を張り、道路側にもはみ出している。季節には圧巻だろう。
波佐見町「はさみ100選 ガイドブック」1987年刊21頁による説明は次のとおり。

9.牧ノ内の大つつじ(田ノ頭郷)

田ノ頭の小字牧ノ内は丘の上にあって別天地の観があります。この地の牧野家の庭には、平戸系の大つつじ(よど川つつじ)の老木十数本が群生しています。春一斉に赤紫の花が咲いた美観は五月晴に映えます。元禄のころに植えたとの口伝があるとかで、300年の樹齢ともいわれています。