投稿者「misakimichi」のアーカイブ

安保地区の花壇と香焼総合公園の桜  長崎市香焼町

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安保地区の花壇と香焼総合公園の桜  長崎市香焼町

2011年4月4日に妻が撮影。安保地区の花壇と香焼総合公園は、3月27日開通した「伊王島大橋」の手前となるので、寄ってください。
後ろの2枚、黄色の八重桜などは、4月9日に大村市大村公園で。

「海きらら」九十九島水族館  佐世保市鹿子前町

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「海きらら」九十九島水族館  佐世保市鹿子前町

2011年3月4日に妻が撮影。佐世保の観光イベント情報サイト SIGHT−SASEBO による説明は次のとおり。

西海パールシーリゾート 西海国立公園九十九島水族館「海きらら」

西海国立公園九十九島水族館「海きらら」は、国立公園に指定されている九十九島の海を再現した、全国的にも数少ない地域密着型の水族館。太陽の下で楽しむ屋外型大水槽をはじめ、映像と音楽、ライティングが幻想的な世界を創り出すクラゲドーム、可愛いイルカたちが泳ぐイルカプールは必見! 九十九島を海中散歩しているような、大人も楽しめる新水族館です。

■イルカ達が待ってるよ!
全国でも珍しい海の国立公園 西海国立公園。208の島々が広がる九十九島の海には、希少な植物や生物たちが生息しています。手つかずの大自然を体感できる『西海パールシーリゾート』内に、西海国立公園九十九島水族館『海きらら』がオープン!
早くもアイドルとして注目されているのが、3頭のイルカたち。天気のいい日は、九十九島の海を一望できる展望ロビーから外に出て、3頭の泳ぐ姿を間近に見ることができます。

■自然の海を覗いたような九十九島湾大水槽
約120種類13,000匹の生き物を展示した水深4.8m、水量650tの『九十九島湾大水槽』も魅力のひとつ。屋根がなく直射日光が降り注ぐのが最大の特徴で、水槽の深い部分から水面までを回廊式の通路から見ると、まるで海中を散歩しているよう。何時間でも生き物たちを眺めていたくなる空間です。

■癒しの空間「クラゲシンフォニードーム」
九十九島の海には約100種類のクラゲが確認されており、入れ替えを行いながら、全種類展示を目指しています。ドーム型のスクリーンに映し出される映像と癒しの音楽のなか、幻想的な光でクラゲが浮かびあがる仕掛けも。地下にはノーベル賞を受賞した下村脩博士研究コーナーもあり、オワンクラゲの展示や研究成果などの展示も予定されています。

その他にもカブトガニのコーナーや、九十九島の生き物に触れることのできるタッチング水槽、海の生き物遊具で遊ぶことができる広場もお見逃しなく。
館内を満喫した後、遊覧船やシーカヤック、ヨットで、九十九島の海風を体感するのもおススメ。
無数の島影で命を育んでいる海の生き物たちの知られざる魅力を、『海きらら』で存分に楽しんでください。

西海国立公園九十九島水族館 海きらら
□開館時間/9:00〜18:00(7月18日〜10月、3月) 9:00〜17:00(11〜2月)
※最終のご入館は閉館の30分前になります。
□入館料/大人(高校生以上)1,400円 小人(4歳〜中学生)700円
□休館日/なし(年中無休)

■西海パールシーリゾート
佐世保市鹿子前町1008番地 TEL0956-28-4187 駐車場/有り・有料  
交通/車:西九州自動車道佐世保中央I.Cより7分
バス:佐世保駅前より市バス「鹿子前観光船桟橋」行きで25分

3−特 戸町岳新戸町登山口 (確認 長崎要塞第三地帯標 第二十五号)

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3−特 戸町岳新戸町登山口 (確認 長崎要塞第三地帯標 第二十五号)

長崎市立戸町中学校裏交差点から、円成寺新戸町霊苑を通り、車道終点の一軒家横から戸町岳への登山道に入る。標石は山道を100mほど進んだ左手にある。上部が欠け石の後ろにあり、登りのときはよほど注意しないと、標石とは気付かない。きょうも行きがけ素通りした。
登山道下は現在、新戸町4丁目の大型団地222区画「ウェリスパーク南長崎」が部分完成して分譲中。団地の「新戸町配水槽」建物のちょうど上の場所のフェンス反対側に、標石はある。団地内の道路からも登山口へ出られる。

私はこの登山道を、幾度となく通った。草つきにも隠れていたのだろう。まったくこれまで気付かなかった。下りのときも団地開発の方へ目が向きがちだった。
標石は2009年3月1日、会の例会「土井首から熊ヶ岳・戸町岳へ」のとき、戸町岳からの下りで、後ろを歩いていた宮さんらが見つけ写真も撮影していた。その話をきょう、初めて聞いた。現地をきょう宮さんと訪ね、標石を確認してきた。

標石の刻面は、「陸軍省」「長崎要塞第三地帯標」「第二十五号」「明治三十ニ年六月十日」。
なぜ「第三地帯標」なのだろう。「長崎要塞地帯略図」に合わないような地点で、「2−特 大崎林道鹿尾町尾根」の標石と同じ。鹿尾町のは「長崎要塞第三地帯標」「第十八号」、改刻部分は「2ndZ」とある。
ここ新戸町のも、上部が欠けわからないが、同じような改刻標石で「2ndZ」とあったのではないだろうか。「第二地帯標」と思われるが、上部は欠けているのは細工をしたような感じもする。
要塞法は数次の改正があった。区域の変更、標石の改刻・転用などがあったりして、頭が混乱している。

長崎要塞第二地帯標 香焼調査は見当たらず

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長崎要塞第二地帯標 香焼調査は見当たらず

わが家から見える伊王島大橋。左の高い山は、大橋を渡った沖ノ島の「遠見岳」。山頂「遠見所」跡で4月1日、「長崎要塞第二地帯標 第十四号」が見つかったことにより、香焼側の尾ノ上海岸竹崎鼻の山(54mピーク)、安保の香焼新トンネル上の山(92mピーク)も、念のため調査。
「長崎要塞地帯略図」により、4年前、栗ノ浦地区や、深堀赤土から香焼にかけての海岸は調査済みであったが、地帯標の標石は発見できなかった。

きょう4月7日、宮さんを同行。2つのピークを調査する。尾ノ上海岸竹崎鼻の山(54mピーク)は、山頂に平らな広場があったが、標石類は何もなかった。
安保の香焼新トンネル上の山(92mピーク)へすぐ移動。恵里団地上の栗ノ浦との里道峠の所から尾根伝いで行く。基準点のようなものは、かなり離れた高台にあった。途中、炭鉱の試掘のような場所があっただけ、こちらも標石類は何もなかった。

きょうの成果は、車に戻る直前、宮さんが「戸町岳の新戸町登山口で、要塞地帯標を見た」と話す。それも2年前の会の例会、戸町岳下りのとき。おやおや、その標石は私はまったく知らない。「新発見だ!」とすぐ新戸町登山口へ向かった。(これは次の記事へ)
佐世保市の高橋さんが、きょう沖ノ島「遠見岳」の標石調査に来てるはずだが、連絡が取れない。高橋さんにとっては残念なこととなった。

宮さんの調査同行記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27574300.html

深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング  平成23年4月

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深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング  平成23年4月

平成23年4月3日(日)曇り。伊王島大橋が3月27日開通したため、深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング。沖ノ島裏側へと歩く。参加9人。みさき道歩会の例会。
長崎バス深堀バス停9時30分発ー香焼ー香焼トンネルー伊王島大橋ー遠見岳11時50分着(昼食)ー畦の岩這ー伊王島港ー香焼ー深堀バス停14時50分着(徒歩距離 約15km)

開通後、2週目の日曜日。人出の混雑を予想したが、走る車が多いだけ。ウオーキングで歩くグループはほとんどいない。人間ウオッチングで期待した人にもあまり出会わなかった。
尾上海岸の砂浜で中学生のグループが、お別れのバーベキュー会か準備をしていた。安保地区のチューリップ花壇は満開。香焼新トンネルを抜けると伊王島大橋へ着く。

大橋を渡って、すぐ左方の遠見岳(標高149.1m)へ登り昼食。香焼総合公園展望台より、大橋の景観はこっちの山の中腹からの方が良い。歩いて山頂まで25分はかかる。本日の目的「長崎要塞地帯標」の標石を掘ると、第二地帯標「第十四号」だった。

午後は山頂から引き返し、途中の遠見番所跡から以前の旧道に入る。桜や大橋を眺めながらコンクリート坂段を下ると、荒々しい「畦の岩這」海岸へ出る。沖ノ島の外洋側。鬼の洗濯板のような岩場がある。大潮と重なり、潮が遠くまで引き、高島が浮んでいた。

乗越トンネルを通って、伊王島港で一応、解散としたが、こんな混雑の日にやすらぎ伊王島の温泉へ入れない。船の時間まで1時間あり、全員、深堀の方へ歩いて戻った。14時50分深堀帰着。距離数は15kmをオーバーした。
伊王島大橋の写真は、 https://misakimichi.com/archives/2652
要塞地帯標の標石は、 https://misakimichi.com/archives/2653
宮さんの参加記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/27549227.html

2−特 沖ノ島の遠見岳 (確認 長崎要塞第二地帯標 第十四号)

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2−特 沖ノ島の遠見岳 (確認 長崎要塞第二地帯標 第十四号)

陸軍省「長崎要塞第二地帯標」が、新たに思いがけない場所で見つかった。開通した伊王島大橋を伊王島側へ渡り、すぐ左手に登る沖ノ島の遠見岳(標高149.1m)。大橋から山頂まで歩いて25分ほどかかる。寛永20年(1643)、沖を航行する船を監視するため設けられた沖之島遠見番所の、山頂は「遠見所」跡だった。

4月1日、伊王島大橋をこの山から撮影に行き、要塞地帯標の標石を発見。「長崎要塞地帯略図」にない地点で、これまでの調査の盲点だった。
刻面は「陸軍省」「S.M.2d.Z. 長崎要塞第二地帯標」「明治三十二年六月十日」、埋没してわからなかった番号は、きょう掘って確認すると、「第十四号」だろう。
この標石としては珍しい上部に方角を示す「十」。四等三角点と方角は合致する。

「長崎要塞地帯略図」により伊王島灯台広場に残る標石は、第三地帯の「区域標」として私は整理していたが、良く写真を見ると刻面は、「長崎要塞第二地帯標」「第十五号」。
今回見つかった沖ノ島の遠見岳山頂のは、「第十四号」だから、その前の続き番号となる。伊王島として一体をなす島の端と端2本のみで、標石は島内には他にないだろうと思われる。

「長崎要塞地帯略図」どおりといかない、今回調査の標石だった。第二地帯は、要塞の「第一地帯から外方約4km内の区域」。線引きが海面の場合、海面に続く次の島や陸地の目立つ地点にこのような設置をしたことが考えられ、今後の参考となりうる。

「伊王島大橋」が3月27日に開通  長崎市伊王島町

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「伊王島大橋」が3月27日に開通  長崎市伊王島町 

長崎新聞2011年3月28日の”ながさきニュース”は次のとおり。写真は4月1日撮影。1枚目は香焼側の総合公園展望台から、8枚目以降は伊王島側の遠見岳中腹から。

長崎「伊王島大橋」開通  離島結び利便性や交流拡大に期待

長崎市の離島、伊王島町と本土側の同市香焼町を結ぶ「伊王島大橋」が27日、開通した。橋の供用開始で島と同市中心部は車で30分。通勤・通学、救急搬送など島民の生活の利便性向上や交流人口の拡大が期待される。

橋は、一般県道伊王島香焼線の一部で全長876メートル。片側1車線で歩道が北側にあり、通行は無料。県が1997年度から建設を進めていた。総事業費約120億円。1日平均625台の利用を見込んでいる。

開通式には地元関係者ら約200人が出席。中村法道知事は「住民の利便性や物流の効率化、地域産業の活性化に寄与すると期待している」とあいさつ、テープカットで開通を祝った。東日本大震災を受け、くす玉割りや楽器演奏などは行われなかった。
午後には一般車両の通行が始まり、県内外からの車で早速、島内がにぎわった。

4月3日、会で実施した「深堀から香焼と伊王島大橋ウオーキング」の様子は、
https://misakimichi.com/archives/2654

長崎外の古写真考 目録番号: 755 富士山と小川

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 755 富士山と小川

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 755 富士山と小川
〔画像解説〕
様々な地点から、富士山を撮った古写真は多数存在する。本写真はその中では極めて素朴で寂しい風景となっている。演出されていないありのままのこのような風景が、当時の真の日本風景かもしれない。

目録番号:1213 富士山の遠望(1)
〔画像解説〕
場所は特定できないが、富士山が正面に見える。中景は川が流れ、川岸に沿った道路に篭に乗った人物、それを先導するこうもり傘をさした男などがはっきりと見える。前景窪みの工作物は何であろうか、識別できない。

目録番号: 612 柏原からの富士山(4)
〔画像解説〕
柏原は駿河湾に注ぐ勝間田川河口左岸に位置する。中央を通る田沼街道沿いに小商人・小職人の町屋が並び、川崎湊の発展に伴ってにぎわいを見せたという。町から外れた、景観の良い街道筋であろう。

■ 確認結果

目録番号: 755「富士山と小川」は、2枚目の目録番号:1213「富士山の遠望(1)」と同じ場所であろう。3枚目の目録番号: 612「柏原からの富士山(4)」も同じ。次の記事をまず参照。
https://misakimichi.com/archives/2376
現在の静岡県富士市沼田新田あたりの光景。2枚目の中景の川と見えるのは、富士沼(浮島沼)。前景窪みの工作物は、工事中の排水路。開削が完成して木橋を架け、沼の水を川のように流しているのが、1枚目の目録番号: 755「富士山と小川」の様子?と思われる。

平凡社「大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖」2004年11月 初版第二刷発行の218頁 駿河之国に、同じような写真が「柏原富士沼」として掲載されている。同解説は次のとおり。
⑦ 柏原富士沼  (現、富士市沼田新田あたり) 原宿と吉原宿の間、柏原の排水路あたりから北を向き、浮島沼(富士沼、須津沼とも呼ばれた)とその先の富士山を撮影。

以前の記事のとき、地元「鈴川倶楽部」から、次のコメントをもらい、場所を特定できている。
2010/6/27(日) 午前 7:55  鈴川倶楽部です。場所は特定できて、現在の柏原の昭和放水路です。右に見える山は愛鷹山で透水性が少なく、雨がふると浮島沼に流れ込み、その出口が田子の浦ひとつしかなかったので、浮島沼周囲の村は冠水被害に会いました。そこで、地形的に掘割をしやすいスイホシと呼ばれたこの地を、もうひとつの吐き出し口に開削しました。

長崎外の古写真考 目録番号: 745 大八車を引く男たちと富士山

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 745 大八車を引く男たちと富士山

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 745 大八車を引く男たちと富士山

■ 確認結果

目録番号: 745「大八車を引く男たちと富士山」は、東海道「保土ヶ谷」あたりでないだろうか。
WEB「浮世絵」氏は、北斎・広重の浮世絵と東海道の古写真その5 保土ヶ谷 において、葛飾北斎「富嶽三十六景」より「東海道保土ヶ谷」に対比させ、「撮影データ不明 長崎大附属図書館提供」とし、この写真を掲載している。
「信濃坂」の次の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/2620
現在の保土ヶ谷から見た富士山は、HP「<<梅>>備忘録〜Random Walk」から。

長崎外の古写真考 目録番号: 598 屋形舟(2) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 598 屋形舟(2) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 598 屋形舟(2)
〔画像解説〕
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と思われる。

目録番号: 628 屋形舟(3)
〔画像解説〕
整理番号12-28と同じ。川を航行する屋形船に多くの人が乗船している。船頭2人が櫓をこぎ、他の12人は客か。男女入り交じった客はそれぞれ思い思いの場所でポーズをとっているが、川遊びか渡し船の演出写真と思われる。

■ 確認結果

目録番号: 598「屋形舟(2)」と、目録番号: 628「屋形舟(3)」は、同じ光景の写真。山谷堀が隅田川に流れ込む河口にあった有明楼(ゆうめいろう)前の今戸河岸で撮影。背景は向島で牛島神社や長命寺のある辺りだろう。

大正14年(1925)東京朝日新聞社発行『アサヒグラフ臨時増刊写真百年祭記念号』に同じ写真が、「内田九一氏と東京隅田川の舟遊」として載っている。
説明に「明治七年頃の撮影で舟中欄干にもたるるは内田九一氏 平田健一氏所蔵」となっている。内田九一の弟子か、「臼井秀三郎」の撮影とされる。
この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/2230

今回、目録番号: 598「屋形舟(2)」と、目録番号: 628「屋形舟(3)」の2作品を取り上げたのは、カラーが鮮明。一見、同じような写真に見えるが、比べてみると「背景の富士山が消えた」「着物の色が変った」「別物がある」など、違う点がある。
比較写真で主なものに青囲み線をした。カラーの技術上のことだろうが、写真がこんなに変る見本として見てもらいたい。