長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 120P 明治天皇巡幸時の長崎の街
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊
120P 明治天皇巡幸時の長崎の街。1872年内田九一撮影
■ 確認結果
姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。
120P 明治天皇巡幸時の長崎の街。1872年内田九一撮影
●豊かな町の熱烈な歓迎
1872(明治5)年、西国巡幸の途中に長崎を訪問した明治天皇一行は、長崎の人々の熱烈な歓迎を受けました。組み写真は、随行写真家の内田九一が撮った長崎の街のパノラマです。天皇の行在所が置かれた島原町(行幸を記念して萬歳町と改名された。現在の万才町)の高木邸から撮影されました。元の写真はキャビネ大3枚の鶏卵紙で、着色されています。
この時、長崎の人々は家を提灯で連結して「山」や「奉迎」の文字を浮き出させ、停泊した艦艇はイルミネーションを灯し、近郊の住民はかがり火を焚いて歓迎した、と伝えられています。…
データベースでは、目録番号:6111「市街地パノラマ(1)」、目録番号:6112「市街地パノラマ(2)」、目録番号:
6113「市街地パノラマ(3)」である。
この作品は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1927
目録番号:6113「市街地パノラマ(3)」は、目録番号:3230「長崎市街地」と同じ写真である。私の指摘により、刊行本の解説となったと思われるが、データベースの方でも解説をお願いしたい。