長崎の古写真考 幕末明治の長崎 113P 1869年ごろの香港の3枚組パノラマ写真 ほか

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 長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 113P 1869年ごろの香港の3枚組パノラマ写真 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊

113P 1869年ごろの香港の3枚組パノラマ写真
114P 上海の古城壁と大境閣。人物の半分は日本人。1874年ごろ撮影

■ 確認結果

姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。

113P 1869年ごろの香港の3枚組パノラマ写真
●梅屋と孫文が出会った香港
1869(明治2)年ごろの香港のパノラマ写真です。「山頂」と名がついた山から撮影された3枚組です。洋館が立て込み、繁栄がうかがえます。長崎を撮影した英国人ベアトの写真が収められたアルバムに、追加で貼られたもので、アルバムの所有者が香港寄港中に入手した写真と思われます。対岸は九龍地区で、今は本土と3本のトンネルでつながっています。…

114P 上海の古城壁と大境閣。人物の半分は日本人。1874年ごろ撮影
●上海の望楼に羽織姿の日本人
英文の写真説明で「上海の古城壁」と書かれています。1874(明治7)年ごろ撮影された、上海中心部を取り巻く城壁上にそびえる大境閣(道教の寺院)です。
米海軍のR・E・カーモディ大尉がアメリカに持ち帰ったアルバムに収載されていますが、撮影者は不明です。写っている人物の半分は羽織姿の日本人です。
街を囲む堀割と城壁は古代都市の象徴でした。…

データベースでは見当たらない作品。113Pは「長崎を撮影した英国人ベアトの写真が収められたアルバムに、追加で貼られたもの」、114Pは「米海軍のR・E・カーモディ大尉がアメリカに持ち帰ったアルバムに収載されていますが、撮影者は不明です」とある。
なぜ、このような貴重なアルバムの作品を、長崎大学ではデータベースで公開しないのか。刊行本の執筆者の心得違いもはなはだしい。長崎大学のコレクションは、国民の文化共有財産であって、執筆者の単なる著作のための私有物ではない。
執筆者は前附属図書館長、現在でも同大学「古写真資料室」の研究員である。データベースでまず公開してから発刊すべきではないか。大学はほかにも貴重な古写真を所蔵しながら、隠していると思われても仕方ない。