長崎の古写真考 幕末明治の長崎 93P 志賀波止と呼ばれた稲佐「ロシア村」の桟橋

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長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 93P 志賀波止と呼ばれた稲佐「ロシア村」の桟橋

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊

93P 志賀波止と呼ばれた稲佐「ロシア村」の桟橋。 1874年ごろ撮影

■ 確認結果

姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。

93P 志賀波止と呼ばれた稲佐「ロシア村」の桟橋。 1874年ごろ撮影
●「ロシア村」の志賀波止
稲佐にあった「ロシア村」の志賀波止と呼ばれた船着き場です。撮影は1874(明治7)年ごろ。現在の旭大橋の稲佐側の付け根付近ですが、今はその面影がありません。アメリカ海軍の将校R・E・カーモディのアルバムに収載されていますが、撮影者は上野彦馬か、本人あるいはその弟子に付き添われたアメリカの写真家とも思われます。…

「志賀の波止」を撮影した貴重な写真だが、データベースではまだ公開がない。アメリカ海軍の将校R・E・カーモディのアルバムに収載されているそうだが、アルバムの全作品とも早急に公開してもらいたい。
長崎大学附属図書館では、古写真展『古写真で見る 1874年、激動の長崎—県庁倒壊と科学の黒船』を8月
27日から長崎市立図書館多目的ホールで開催する。これに展示するらしいが、この解説では誤解があろう。

詳しくは、松竹秀雄氏著「ながさき稲佐 ロシア村」長崎文献社2009年刊を参照。現在の旭大橋のたもとには、長崎日ロ協会が建てた「幕末・明治のいわゆるロシア村」の説明板が、稲佐側に2ヵ所ある。
旭大橋へ入る登り口脇の坂段のところにあった船着き場が、いわゆる「ロシア村の上陸桟橋」と考えるべきではないか(写真5,6)。この写真はあくまでその北側の「志賀の波止」の写真で、現在の大橋橋脚下(福田小動物病院側)旭町公園となっているようだ(写真7,8)。