長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 78P 南山手から見た長崎港と大浦、出島方面
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊
78P 南山手から見た長崎港と大浦、出島方面。 1873年冬、内田九一撮影
■ 確認結果
姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。
78P 南山手から見た長崎港と大浦、出島方面。 1873年冬、内田九一撮影
●南山手と下り松
1873(明治6)年冬に、長崎再訪中の内田九一が南山手から撮影した出島、大浦方面と長崎港です。微妙に重なる2枚組で、建物の窓の形が同じです。1枚のモノクロ写真の裏には九一自筆の「長崎六十六」という書き込みかがあります。また、外国人が書いたと思われる「424」という番号もあり、いったん海外に流失して里帰りしたことを推測させます。右は後年の着色写真です。…
背後の松の木は、江戸時代からここが「下り松」と呼ばれた名残です。湾奥は浦上方面、右の船溜りは五島町の海岸付近、左は稲佐渕村の集落です。
データベースでは、右が目録番号:2868「南山手からの大浦居留地と出島(1)」、左が目録番号:3223「グラバー邸付近からの長崎港」である。この作品は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/2270
パノラマ写真となり、「微妙に重なる2枚組」と今頃、紹介している。これは私の古写真考の指摘によりわかったことだろうから、少しは感謝してもらいたい。内田九一撮影と思われる作品が、このように粗末な研究として扱われていたことが、問題であろう。