長崎の古写真考 幕末明治の長崎 61P 立山中腹から見た長崎の街と港

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長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 61P 立山中腹から見た長崎の街と港

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊

61P 立山中腹から見た長崎の街と港。 1866年ベアト撮影

■ 確認結果

姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。

61P 立山中腹から見た長崎の街と港。 1866年ベアト撮影
●幕末長崎の街と港
福済寺裏山の立山中腹から、ベアトが撮影した幕末長崎の街と港です。背後の海岸には大浦の外国人居留地も見えます。キャプションでは「イギリスの居留地」と説明されています。写真は…幕末長崎の街並みが見事に写し出されています。
1866(慶応2)年2月というベアトの書き込みもあります。撮影時期が明確なため、幕末長崎の街並みのベンチマーク(基準点)となる写真です。
このころ坂本龍馬は、…二人は連れだって4月2日に長崎を訪問します。従って、この写真は龍馬とお龍が目にした長崎の景色ということになります。…

データベースでは、目録番号: 763「大黒町および出島と長崎港口」。この作品は、本ブログ次などを参照。
https://misakimichi.com/archives/2328
撮影場所が「福済寺裏山の立山中腹から」となって、必ずしも明確ではない。どこも「龍馬が見た景色」となる傾向もどうかと思われる。

撮影場所は「立山から」に間違いないが、長崎大学が「幕末長崎の街並みのベンチマーク(水準点)となる重要な写真」としながら、具体的な撮影地点をはっきり検証されてないため、いろいろな意見が出ている。
私が推定した地点は、「ホテル長崎」左横に赤い建物の老人ホーム「プレジールの丘」が建つ。このすぐ下となる「西勝寺の無縁諸霊墓」の一段上、「中山家之墓」あたりである。ホテル横の空き地に墓地が造成され、その上部に老人ホームが新しく建っている。

「立山」とは普通、バス終点付近を言い、このあたりが山頂だろう。しがって目録番号: 763「大黒町および出島と長崎港口」の撮影場所は、「福済寺裏山の立山中腹から」とまぎらわしくしないで、目録番号:2882「長崎立山からの長崎港」などと同じく、「立山から」撮影の説明で良いのではないか。
何度となく指摘しても、解説を一向に改めないのは、いかがなものか。現地確認を必ずお願いしたい。データベースは修正されたのに、超高精細画像の解説がまだそのままである。