長崎の古写真考 幕末明治の長崎 50P 亀山社中の建物

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長崎の幕末・明治期古写真考 幕末明治の長崎 50P 亀山社中の建物

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「古写真に見る幕末明治の長崎」 明石書店2014年6月刊

50P 亀山社中の建物。 1875年撮影の写真に写り込んでいた

■ 確認結果

姫野順一氏著「古写真に見る幕末明治の長崎」が、明石書店から2014年6月発行されている。本書は、2007年から2013年まで朝日新聞長崎版に毎週1回、5年9ヵ月に亘って連載された長崎古写真の解説記事「長崎今昔」から、後半部分をテーマに沿って再編集している。
著者の解説は、新聞掲載時から疑問が多かった。そのつど本ブログ古写真考前の記事で指摘済みで、一部は修正されているが、刊行本の内容で再び問題となる作品を取り上げる。正しい解説をお願いしたい。

50P 亀山社中の建物。 1875年撮影の写真に写り込んでいた
●亀山社中
次頁左上の写真は坂本龍馬が創設した日本初の商社(カンパニー)とされる亀山社中だった建物です。これまで社中の昔の写真は無いと思われていたのですが、2009(平成21)年12月11日の朝日新聞の紙面で初めて公開しました。1875(明治8)年に撮影された長崎奉行所立山役所の写真に偶然写し込まれていたものです。ぼやけているのは小さな部分を拡大したためです。…

データベースでは、目録番号:6030「旧長崎奉行所と師範学校」。この作品は、本ブログ次を参照。
朝日選書  84P写真  30 「亀山社中」はどこから撮影されたか
https://misakimichi.com/archives/2158
長崎の幕末・明治期古写真考 彦馬の世界 160P 旧長崎奉行所と師範学校
https://misakimichi.com/archives/3485

目録番号:6030「旧長崎奉行所と師範学校」に、亀山社中の建物が写し込まれていることは異論がないが、この作品の撮影場所を新聞発表では、「玉園墓地」(永昌寺墓地か)からとしているのは、大きな誤認だろう。「聖福寺」大雄宝殿の背後、開山老和尚(鉄心)塔所がある石段の入口あたりの道からが考えられる。
「旧長崎奉行所立山役所」も写された貴重な写真なので、長崎歴史文化博物館においても、正しい撮影場所の検証をお願いしたい。