川原慶賀が稲佐山から描いた「長崎眺望」図は、どんなものか

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川原慶賀が稲佐山から描いた「長崎眺望」図は、どんなものか

長崎新聞の2014年(平成26年)1月5日付第1面トピックス記事「川原慶賀の作品に道教の寺」、及びNBC長崎放送が2014年2月6日午後6時15分から”報道センターNBC”で放送した特集「川原慶賀の風景画 道教の寺が長崎に?」については、私たちの疑問を本ブログで前に展開した。

江戸時代の絵師、川原慶賀が長崎市街と港を描いた「長崎眺望」図は、出島のオランダ商館員フィッセルのコレクションとされ、オランダのライデン国立民族学博物館が所蔵している。江戸期の1820年前後の風景とみられる。
川原慶賀「長崎眺望」図は、「道教の寺?」関係のため、弥生町高台ピーク(私たちの推定地点 長崎女子短大背後の丘)から描いたと思われるものを、これまで紹介してきた。

川原慶賀の作品は、これと対をなすようなあと1枚の、稲佐山山頂からの「長崎眺望」図がある。長崎港を東と西からまさに対面をなして山なども描いている。
もはや「道教の寺?」と関係なくなるが、写真がまだない時代、長崎全体をこれも正確に描いた貴重な大作である。原田博二氏著「図説 長崎歴史散歩」1999年河出書房刊から図版を掲げてみる。sat*mo*a*emo2*08氏が、主な地名や山名などの書き込んでくれた。

長崎市西部の「稲佐山」(標高342m)は、長崎観光の名所。長崎市街と港など大パノラマが広がる。写真が発明された幕末・明治期となり、次のような古写真も残っているので、時代の対比として見てもらいたい。現在のパノラマ写真を添えた(ズーム拡大)。
きのう稲佐山へ出かけた。なかなか同じように写せる場所がなく、推定場所の間違いも考えられる。写真写りも悪いので、そのときは後日差し替えたい。

「プロセイン・ドイツが観た幕末日本」300・301頁に掲載。「ⅤⅠⅠ−51 長崎全景のパノラマ写真」1861年。(これは山頂でなく中腹、現在のホテル清風あたりからの撮影と思われる)
https://misakimichi.com/archives/3568
「写真の開祖 上野彦馬 −写真に見る幕末・明治ー」産業能率短期大学出版部昭和50年発行の126頁に掲載。上野彦馬撮影「稲佐山から長崎の港を俯瞰」。撮影年代は未詳。(これはほぼ山頂からの撮影と思われる)
https://misakimichi.com/archives/2804

川原慶賀の作品は、このほか金比羅山から長崎港入口を向いて描いた有名な「長崎眺望」図がある。プロセイン・ドイツ、F.ベアト、上野彦馬らも、同じようなフォトリトグラフや古写真を残している。これらについては、本ブログですでに個別に紹介しているが、この記事と同じように、そのうち対比をまとめてしてみたい。