高橋輝吉氏稿 「脇野の標石石段の石を解明」

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高橋輝吉氏稿 「脇野の標石石段の石を解明」

以下は、佐世保市高橋輝吉氏から最近、送られてきた資料。伊万里市周辺の佐世保(長崎)要塞地帯標、佐世保軍港境域標、伊万里軍港境域標などの標石について、これまでの調査結果を5編にまとめられている。
添付資料は数が多いが、私の判断で適当に掲載した。規則・軍港境域図は、「海軍制度沿革 巻15 海軍大臣官房」原書房発行からである。

4 脇野の標石石段の石を解明  高橋 輝吉

伊万里市東山城町脇野の標石石段の所へは、3回くらい行った。このとき港域標「第二一号」もあり。10年前のときに、「どうしてここに」と聞きますと、多くは語らず「佐賀のG.H.Qが…」と。
多分、終戦時に、旧陸・海軍が遺した多くの標石等を撤去し集めたようである。伊万里方面に砲台地はなかった。

6年くらい前、ここを通ったら、石段は新しいコンクリートに変っていた。以前の古い標石は、角の方に集めてあった。許しを得て、号数や陸軍名を上にして、いろいろな角度から写真を撮った。
ゆっくりと話す間がなく、私が標石を見たので、20年前の標石石段を、新しいコンクリート石段に変えたのかなー。
(註 本ブログ次の記事も参照。 https://misakimichi.com/archives/1825

松浦方面へ下る。右側山、中にも立札があったと教えてもらいましたが、現物なし。見本の書はありました。横辺田より「高法知岳」に松浦へ。草ノ尾高原に区域標「第一一六号」あり。見通しの良い所です。