石段にされていた陸軍省標石  伊万里市東山代町

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石段にされていた陸軍省標石  伊万里市東山代町

佐世保市在住の高橋輝吉さんは、戦時中、佐世保鎮守府があった佐世保や、軍需物資の積み出し港として宇品(広島市)とともに全国で2ヵ所、陸軍輸送港域に指定されていた佐賀県伊万里地域の陸軍省標石を、丹念に調査されている。
高橋氏の足跡はこれまでも紹介しているが、先日、また珍しいコピー写真が送られてきた。場所は伊万里市東山代町浦川内あたりと思われる。4年ほど前とのこと。メモ書きは、
「伊万里東山代より松浦市への山越えの横道で、3,4回目、此の一帯石の手掛かりなし。偶然に発見。先方、佐賀のGHQがと後は声なし。奄美でも20本を海へドブンで終わり。旧陸軍の遺物を整理したのかなー」

写真を見ると、数本の標石が石段にされている。伊万里一帯には、当時はそれこそいたる所の里道、海岸、山中などに100本以上が、陸軍の警戒区域を示す標石として設置されていた。
戦後、大戦の遺物をGHQが撤去した際、不要な標石をこのような石段に転用することも許したかも知れない。今となっては、珍しく貴重な光景である。
高橋氏は1年前、再びこの場所を訪ねた。石段はすべてコンクリートの新しい階段に造り代えられ、標石は上の広場に放置されていた。お蔭で石をひっくり返し、リストどおり標石の刻字を確認できたが、後日の保存が心配となる。

リストにあるのは、法改正により佐世保を削り長崎とした明治32年7月14日「長崎要塞区域標」が7本、昭和15年6月10日「陸軍輸送港域第一区標」が1本の計8本。
高橋氏は伊万里地域でこのほか、23本ほど探し出している。後のカラー写真がその主なものの一部。黒髪山から縦走コースの青螺山山頂で見る標石も、この種の1本「陸軍輸送港域第ニ区標」「第四十号」である。