長崎の幕末・明治期古写真考 ベアトの幕末 153頁 鍋冠山からの長崎港
長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
レンズが撮らえた F・ベアトの幕末
153頁 鍋冠山からの長崎港 (長崎大学附属図書館蔵)
〔画像解説〕
大浦居留地、出島、対岸、長崎湾北部、長崎湾上の多数の船。慶応年間(1865〜67)の長崎の賑わいが見てとられる写真。
目録番号:1288 鍋冠山からの長崎港
〔画像解説〕 超高精細画像
鍋冠山から大浦居留地、出島から長崎湾奥方向の北部をみた鳥瞰写真である。左下の大浦川に、慶応元年(1865)6月に架設された弁天橋がすでにあるが、明治2年(1869)2月に出島から築町、築町から新地にかけて、出島新橋、新大橋がまだ架かっていない。このことから、この写真の撮影時期は、慶応元年(1865)から明治元年(1868)の間である。この写真の特徴は、大浦外国人居留地、出島、長崎市街地の北部、対岸の飽の浦から稲佐地区、さらに長崎湾奥の浦上新田、これらの長崎湾の地形全体が撮影されていることである。大浦居留地は万延元年(1860)に埋め立てられたが、それ以外の地域は、ほぼ江戸時代のままの姿であるために、浦上新田が干拓された享保15年(1730)頃まで遡り、江戸時代中期の長崎の地形が現実感を持って見ることのできる写真である。鮮明な写真であるために、大浦外国人居留地や出島全域を拡大して見ることができる。
■ 確認結果
山川図書出版企画・編集「レンズが撮らえた F・ベアトの幕末」が2012年11月発行されている。
153頁「鍋冠山からの長崎港」(長崎大学附属図書館蔵)は、何度も同じことを指摘するが、撮影地は「鍋冠山」ではなく、「星取山」からが正しい。
現在の写真は、上が星取山山頂近くの墓苑から、下が鍋冠山展望台から。景色の違いが、明らかにわかるだろう。
F.ベアト撮影のこの作品は、多くの出版物に利用されている。長崎大学附属図書館が間違った解説の写真を、いつまでもそのまま提供するので、出版物はすべて誤っている。
この項は、本ブログ次の記事を参照。
https://misakimichi.com/archives/3626
https://misakimichi.com/archives/2832
https://misakimichi.com/archives/3107
山川図書出版について言うと、2011年4月25日発行した同じ古写真シリーズ集「レンズが撮らえた 幕末の日本」202頁に掲載された写真も、「鍋冠山からの長崎港」と解説している。
同編集部へ間違いを指摘したが、今回も生かされていない。目次頁に「*本書に収録した写真は、原則として所蔵元の題名で掲載した」とあるが、どこも無責任である。
所蔵元長崎大学の権威が疑われる。監修者も読者の立場に立った解説指導をお願いしたい。