長崎の古写真考 長崎の写真師たち 立山から望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 長崎の写真師たち 立山から望む

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

NAGASAKI GENEI 長崎の写真師たち 
清河武安 立山から望む(仮称タイトル)

目録番号:6030 旧長崎奉行所と師範学校

■ 確認結果

「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。

長崎の写真師たち 清河武安「立山から望む」(仮称タイトル)を取り上げたのは、長崎大学データベースの目録番号:6030「旧長崎奉行所と師範学校」と、撮影地を比べるため。撮影年代はもちろん異なる。
清河武安「立山から望む」の撮影地は、長崎市玉園町「永昌寺上の墓地から」で、寺の屋根と墓地が写る。同じ墓地上から、データベース目録番号:6030「旧長崎奉行所と師範学校」も、撮影しているという不可解な見解がある。

風頭山中腹に、坂本龍馬「亀山社中」建物が写っているとして、話題になった。朝日新聞、朝日選書、山川出版彦馬の世界に掲載された。この項は、本ブログ次を参照。
https://misakimichi.com/archives/2158
https://misakimichi.com/archives/3485  ほか

撮影年代が違うが、両方の作品を比べるとすぐわかる。データベース目録番号:6030「旧長崎奉行所と師範学校」の撮影地を、「永昌寺上の墓地から」とするのは、間違いであろう。
立ち並ぶ通りの民家が、寺と墓地になるとは考えられない。旧奉行所との距離感も違う。永昌寺まだ先の「聖福寺大雄宝殿背後の高台あたりから」撮影されたと思われる。
この古写真は、長崎歴史文化博物館に大きく展示している。博物館も自分たちの旧奉行所のことだから、撮影地は正しく確認してほしい。

NAGASAKI GENEI 長崎古えはがきの長崎全景の中に、「長崎彦山」もある。清河武安「立山から望む」とも、原版があったら、風頭山中腹に坂本龍馬「亀山社中」建物が、これにも鮮明に撮影されているのではないか。